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イギリス製 ミントン Minton

ミントン Minton アンティーク食器のトップページ



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世界的に有名な芸術性の高い陶磁器メーカーミントンとは、どんなブランドなのでしょうか。

この記事ではそんな素晴らしい作品を世に出してきた、ミントンの歴史と魅力について解説をしていきます。
 

ミントン(MINTON)の歴史

ミントンの創設者トーマス・ミントンはシュルーズベリー・グラマー・スクールを卒業すると、近くにあったカーフレイ社(後にコールポート者に買収される)でトーマス・ターナーに弟子入りし、彫刻家になることを学びました。

ジョサイヤ・スポードの為に発案されたウィローパターンや、ブローズリーのブルー・ドラゴンの発案に貢献し、そのデザインは今でも使用されています。
下記の画像はウィローパターンになります。
ミントン ウィローパターンの飾り皿

ミントンの弟アーサーはロンドンで陶磁器小売業を営んでおり、トーマスは1792年に契約が取り消しになるまで、小売提携を結んでいました。

そしてトーマスは顧客に近づくために、1793年にイギリスのストーク=オン=トレントに移動し工房を設立しました。

トーマスは、クリーム色とブループリントのミントン・チャイナ、マジョリカ、ミントン・ボーンチャイナ(骨灰磁器)、パリアン磁器で有名になりました。

ミントンはその長い歴史の中で、ファッション・トレンドを陶芸の分野に取り入れる方法を生み出し、その結果幅広いスタイルを世に送り出してきました。

スポード社に並ぶ成功をおさめ、1800年頃にミントンも磁器の生産を始めましたが、1816年から1824年の間は磁器は生産されませんでした。

ミントン社とコープランド社は、「パリアン」として知られている上質な白い磁器を、1840年代に最初に生産したという主張で対立しています。

独特のターコイズブルーのエナメル(セーヴル・ブルー・セレステにインスパイアされたもの)はミントン独特の特徴です。

中国七宝焼きの技術を模倣した作品の品の中でも最も印象的であり、その多くはクリストファー・ドレッサーによってデザインされました。
クリストファードレッサーによってデザインされた飾り皿
 

ビクトリア朝時代


トーマス・ミントンの工房は、ビクトリア朝時代の様々な芸術品の中でも、傑出した陶器を生み出しました。

ミントン工房の最初の製品は青を特徴とした銅板転写の製品で、有名な「ウィローパターン」デザインは人気を博しました。

優れた品質のパリアン・フィギュアも、ミントンの製品の中でも非常に人気があります。

ミントン社製マジョリカ(Majolica)の技法を使った人形

ミントンの磁器工房による作品は、19世紀に大使館や国家元首のために特別発注された食器の中で、最も人気のある食器でした。

1820年代にミントンはボーンチャイナの生産を開始し、この初期のミントン磁器はフランスのセーヴル磁器に匹敵するとされており、その作品にも大きな影響を与えていました。

完璧を求めるミントンの戦略のひとつとして、ミントンのボーンチャイナを一般の人々に手ごろな価格で提供する、というものがあり、トーマスはそれを実現しました。

同じころ、ミントンの置物と装飾用磁器の生産が増加します。

初期のミントンは、フランスのセーヴルに匹敵すると見なされており、同時に大きく影響を受けていました。。
 

二代目の工房


1836年にトーマス・ミントンが亡くなり、息子のハーバートが事業を引き継ぎました。
下記はハーバートミントンの肖像画です。
ハーバートミントン
当時のミントンの陶磁器工房の生産は、時代の典型的な形や装飾的なパターンに倣った、塗装または転写された、実用的で気取らない陶器やボーンチャイナの食器が主な商品でした。

ハーバート・ミントンが引き継いだミントン社は、彼の功績によりその評価を一層高めました。

ハーバートは19世紀の最も優れた起業家としての頭角を現し、多くの熟練した芸術家を雇いました。

また、新しい技術と生産方法を導入し、産業企業としても、芸術的卓越性溢れる工房としても、双方の観点で評判を得ていました。

AWNピュージン、ヘンリー・コール卿、アルバート王子によるデザインも、ミントンの製品に使用されました。

画家であり彫刻家でもあるアルフレッド・ステヴァンス、フランスの彫刻家であるユーグ・プロタット、エミール・ジャンネスト、そして画家のジョン・シンプソンらも工房で雇用されていました。

1845年、ハーバートはマイケル=デイントリー・ホリンズと資本提携し、タイル製造のビジネス「ミントン・ホリンズ&カンパニー」として、さらに名が知られるようになりました。

ハーバート・ミントンは、1840年代に焼き付けタイルを作成する製法を確立したことで、世界中の施設、教会、やインテリアに使用されるタイル資材を提供する巨大産業のトップに立ちました。
ミントン社が作ったタイル
焼き付けタイルとは、さまざまな色の粘土で作られた装飾を表面に埋め込ませたセラミック製のタイルで、元々は中世に製造されていたものです。

後にハーバートは、転写および塗装されたタイルを製造するための産業技術を活用することで、新たな道を切り開きました。

そして、20世紀が訪れるまで、ミントン社はクリストファー・ドレッサー、ウォルター・クレーン、モイヤー・スミス、ウィリアム・ワイズ等、時代を代表する芸術家達によってデザインされた、たくさんの種類のタイルを製造しました。

レリーフ成形タイルは、1860年代からミントン・シリーズに登場しました。

 −パリアン製品(パリアン・ウェア)

ミントン製の磁器は、パリアン製品を代表する作品をいくつも世に送り出しました。

パリアン製品とは、1840年代に開発された素焼きの磁器の製作方法で、見た目が大理石のようになるのが特徴で、彫像作品に最もよく使用されています。

ミントンの彫像を制作した芸術家には、ジョン・ベル、アメリカ人のハイラム・パワーズ、アルバート・キャリア=ド= ベルーズらも含まれます。

その時代以前に存在した大きな彫像作品の縮小モデルは、パリアン製品として生産され、人気を博しました。

その素材は、上塗り工程と絵付けが施されたボーンチャイナと組み合わせて、展示作品用に制作されていました。
 

レオン・アルヌーの時代


1849年、フランスの陶芸家、レオン・アルヌーがミントンのアートディレクターに就任しました。

1892年に任期を終えるまでに、象嵌細工が施された陶器、リモージュ磁器のスタイルを含むルネッサンス風の陶器の開発、ミントンが誇る豊かな色彩と重釉のマジョリカの発足(1850年)など、様々な業績を残しました。

アルヌーは造形家そして装飾家であったマーク=ルイス・サロンを魅了し、後にサロンはセーヴルで開発したパテ・シュル・パテ技術をミントンに紹介しました。

 パテ・シュール・パテ

ミントンは、19世紀イギリスの磁器工房の中で、セーヴル式のパテ・シュール・パテ製法を採用した唯一の工房で、パテ・シュール・パテのパイオニアでした。

パテ・シュール・パテは美しくしくも大変骨の折れる製法で、色付きの素材の上に粘土を溶解したスリップ液を何度も重ね塗りし、そのたびに乾燥させる必要があります。

サロンと弟子たちは、この技法を使用し他のどの工房にも匹敵しないスキルで、布をまとった乙女や天使たちのデザインを纏った花瓶や絵皿を製作しました。


マジョリカ

マジョリカ
マジョリカは1851年の大展示会で初めて展示され、庭用の大きな装飾品から、繊細な展示品、食卓用の食器や水差しまで、あらゆる種類の商品が生み出されました。

マジョリカは、ミントン・ボーンチャイナ、七宝焼き、パテ・シュール・パテ、エッチング金彩に続く、19世紀のミントンの大変クリエイティブで技術的で才能あふれるを代表する製品と言えるでしょう。

マジョリカは、フランスとイタリアのルネサンス様式の陶器を模倣して、1850年にミントンの工房によって開発された、イギリスの製品です。

マジョリカの語源は、イタリア語「マイオリカ」を、初期の作品を説明するためにミントンによって英語風に使用されたものです。

その製造方法は非常に特殊でした。着色された釉薬を使用して、すでに成形された作品を色付けしたものでした。 その製法はすぐにイギリス、ヨーロッパ、北米の数多くのメーカー真似されました。
 

3代目の時代

ハーバート・ミントンは1858年に亡くなりました。

ハーバートの死後、会社は甥のコリン・ミントン=キャンベル引き継がれました。コリンは叔父のハーバートのように、先見の明のある人物でした。

コリンは、クリストファー・ドレッサーなどにミントンのスタンプをつけるよう依頼しました。 

1860年代よりミントンの作品は、オリエンタルなデザインが多くを占めました。

陶器およびボーンチャイナのデザインは非常に独創的で、中国の七宝焼き、日本の漆器と象牙文化、イスラムの金属細工、さらにトルコの陶器から影響を受けていました。

エッチング金彩

ミントン 金彩(ゴールド)アシッドエッチングの技術を使った飾り皿
ミントンの初期から引き継がれる「ミントンの製品に素晴らしいデザインを描く」と言う信念は、ブランドの卓越した文化を無限に引き出し、ボーンチャイナ誕生以降の製品制作に大きく影響しました。

コリンがこの信念に従い、行ったもう一つの革新がエッチング金彩でした。

1863年にミントンは、金箔の細部を吸収するために釉薬を塗った部分の外側に刻み目を付けると言う、特殊な酸エッチング技術の特許を取得しました。

エッチング金彩は、1枚のプレートの装飾に最大10,000ドルの費用がかかる、複雑なゴールドのパターンでも有名なミントンのアイテムです。その独特な芸術作品の多くは、家宝として購入されます。


1870年、ミントンのアート陶芸スタジオがロンドンのケンジントンに設立されました。

このアートスタジオは、画家であったWSコールマンの指示の下に建設されました。

これは、アマチュアとプロのアーティストの両方が、ミントンの陶磁器やタイルのデザインの絵付けを奨励するためのものでした。

スタジオは大変な人気となり、影響力のあるスタジオとなりましたが、残念ながら1875年に全焼し、再建されることはありませんでした。

コリンは3代目としてさらにミントンを繁栄させましたが、1887年の彼の死後、後継者の中に起業家的なスキルを持っている人物はいませんでした。

ミントンの工場は、高品質の陶磁器を20世紀を通して製造し続けましたが、熱心さに欠けたミントン一家により経営は衰退し、会社は破産間近まで追い詰められました。

1900年代初頭までに、ミントン社の19世紀を誇る偉大なデザイナーやアーティストのほとんどが亡くなったり、定年退職、または希望退職していました。

1902年から、スリップを使用した製法のマジョリカ製品が、アールヌーボーの時代にミントンを代表する作品として認められました。

ハドンホール

1949年、元々先代トーマスとハーバートが設立したシリーズの最新盤として、ハドンホールが考案されました。

ハドンホールはミントンの中で最も有名なパターンと言えるでしょう。 ジョン・ワズワースがデエザインしたこのパターンは、特に日本市場で人気があります。

ハドンホール
 

20世紀のミントン


創業者トーマスは世界的に有名な職人であり、ウィローパターンの創始者です。

それから、同じように才能のある息子が統治を引き継ぎます。二代目のの甥であるコリンは、起業家的であると同時に、卓越した芸術的スキルを持っていました。

ミントンようなブランドが創造され、長年にわたり愛され維持されるために多くの秀才たちが指揮をとってきたことがわかります。

しかし残念ながら、1968年にロイヤル・ドルトン・グループに吸収されるまで、2つの世界大戦中の混乱を含めて、20世紀の間ミントンにとって次第に困難な時代になりました。

その後2015年に親会社は、ウェッジウッド・グループに買収されました。
 
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