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イタリア製 ベネチアングラス(ヴェネチア、ムラノガラス)ペーパーウェイト・置物

ベネチアングラス(ムラノガラス) ペーパーウエイト・ウェイト・置物ガラスのトップページ

ベネチアングラス(ムラノガラス) ペーパーウエイト・ウェイト・置物ガラス
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ベネチアングラス(ムラノガラス)のペーパーウェイトの歴史

  ベネチアングラス(ムラノガラス)ペーパーウェイト・ウエイト・置物
ベネチアングラスの中でも特に有名なムラノガラスは、 今から遡ること数千年前に誕生したと言われています。

その長い歴史には驚きを感じますね。

そしてさらに驚かされる事は、実はペーパーウェイトは 偶然誕生した作品だと言うことです。

たまたま、ガラス工房の細工師が、仕事終わりに失敗作の
色付きガラスを他のガラス溶液の中に投げ入れたことで、
丸くて重みのある文鎮に適した作品が偶然できたのです。

これが、いわゆるペーパーウェイトの誕生です。

ベネチアングラスのペーパーウェイトの誕生 紀元前1600頃



紀元前1600年頃、古代エジプト人は色のついた棒や杖、 ガラス玉を混ぜ合わせ、透明なガラスの貝にはめ込んで 模様を作り出しまし、それを壺やタイルといったものの装飾に用いていました。


エジプトとその洗練された文化が、ローマ帝国に吸収された後、 この飾り物はローマで人気を博しました。


西側帝国の敗退につれ、エジプトとシリア、現在のアラブ諸国、そしてベニスとムラノが西暦約1200年に ガラス細工を輸入した場所である東側帝国で、ガラス細工は発展と成長を続けました。

ベネチアングラス(ムラノガラス)ペーパーウェイト・ウエイト・置物

ベネチアングラス(ムラノガラス)ぺーパーウェイト初の試作品

ムラノガラスペーパーウェイトの初の試作品は 1845年に初めて作られました。
この年、古代の技術と模様のおかげにより、 ガラス細工士のピエトロ・ビガグリアが、ギオバンニとその息子、 ギアコモ・フランチンが作った、その当時の最高級のムリーノガラス技法を用いて、世界初のミルフィオリペーパーウェイトを作ることが出来ました。 数年後、ガラスペーパーウェイトはフランス、ドイツ、イギリスで製造されました。
しかしながら1860年以降、フランス製のものが好まれるようになり、 その後すぐにムラノは製造を中止せざるを得なくなりました。

ムラノガラス工房の再開

ムラノの製造は1930年に再開されることとなり、 それは二つのカテゴリーに分けられることとなりました。

単調なデザインや模様の繰り返しで、美術的価値がほとんどなく、 商業用としては使えないもの。

もうひとつは、ムラノガラス細工の中でも重要なブランドである、 Venini、Salviati、Cenedese やVistosiといった、 常に新しいもの、高品質の作品を作っていく試みが重要、 かつその試作品の製造が非常に限られたものがありました。




1970年代以降のムラノペーパーウェイト細工

ペーパーウェイトのほとんどは、束を作り、ミレフィオリの元、 もしくは色のついたガラスの上に垂直にプレスし、 必要に応じて形を作りながら、全体を透明なガラスで覆いながら作られます。


その後、半球の形に作り変えられ気泡を防ぐために、 この時点では穴を空けずに、窯の中に移動されます。

一見すると簡単な作業ですが、複雑なミルフィオリのペーパーウェイトは、 作るのに丸一日かかることもあり、ミルフィオリの元は180本から220本ほど使用することもあります。


上記のことが、1970年代以降製造規模が縮小し、高級なものの製造拠点は島に残ったものの 大部分の製造拠点は、徐々にベニス近郊の本土に移った理由です。

  なぜ製造拠点の移動が行われたかというと、「ムラノグラス」と刻印された、 中国産の偽物ペーパーウェイトとの競合、進出に対抗する為でした。

初めてペーパーウェイトが登場した時はそれ自体は、機能的にガラスを用いることの出来る、最新鋭で現代的なものでありましたが、それは古代のミルフィオリやガラス細工の技術が根幹にあってこそのものだったんですね。

古代から今日においても、この最終的な使用目的である、紙を机の上に抑えるという機能的な役割は、 ペーパーウェイトの芸術的、装飾的価値という最大の特徴のために二の次の目的となっています。

ペーパーウエイト・ウェイトと構えずに芸術品、美しい置物として コレクションされて行かれてはいかがでしょうか。
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