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ガラスの巨匠:ベネチアングラス(ムラノガラス)の職人パオロ・ベニーニ

 

ムラーノ島におけるガラス製造の歴史について語るとき、
独特なデザインに取り組む一流のガラスの巨匠が歴史に名前を刻んでいるのは
ごく自然なことです。


そのいくつかの物語は、驚きの発見や素晴らしい歴史の始まり、
そして著しい成功に溢れています。



例えば、イタリアの最も古くかつ有名なガラスの巨匠にベニーニという人物がいます。

1895年にミラノ近郊の小さな町で生まれたパオロ・ベニーニは、弁護士を目指していました。


しかし、イタリア人のジャコモ・カペッリンと出会い、
すぐにその進路を変更しました。


1921年、イタリアの2人の起業家がムラーノ島の
最初のガラス工場を開設し、Vetri Soffiati Muranesi Cappellin Venini&Cと名付けました。


その後、3人目の仲間アンドレア・リオダがチームに加わりました。

その背景には、
リオダのガラス工場を再開し、元々のガラス吹き職人を召還することでした。



それには、長い歴史とノウハウをうまく活用できるという
メリットがありました。

ですが、残念なことに生産開始前にリオダが工場を去ったため、
彼らの計画は予定通りに進むことはありませんでした。


またカペッリンが1925年に別の会社を立ち上げるために、
多くのガラス職人とともに工場を離れることを決めたことで、
彼らのパートナーシップはなくなってしまいました。


しかし、ベリーニは、ムラーノ島の一流のガラス職人として、
その地位を再構築し、会社を社名をVenini&C.と変更しました。

なぜ、仲間を失ったベリーニは再構築出来たのでしょうか?

それは、1925年以降、ベニーニは自身の美学を発展させ、
彼の会社のアイデンティティを定めました。


彼は芸術と建築の分野で革新的な流行を取り入れ、
世界中の才能のあるガラス職人と働き、特別な作品を作成するために、
世界中からガラス職人を招き入れました。


彼の美しさは、誰もが従っていた標準的なノヴェチェント
(Novecento)スタイルのようなものではなく、
彼の創造性を現代の形や実験的な風合いへと変換させたものでした。


また偏心的で現代的なデザインで知られていたにもかかわらず、
作品の一定の特性となった洗練され、かつ優美なスタイルでも
有名になりました。


職人が作り出す作品に、品質とデザインの高い基準を設定し、
生産のあらゆる段階におけるベニーニの個人検査により保証されました。


ベニーニの素で働いていた、もっとも影響力のあるヴィットーリオ・ゼッキンは、同社のアートディレクターに任命され、独創的なデザインを生み出すことで、ムラーノ島のガラス製造業を再び華やかな業界にさせました。


ゼッキンのデザインは、繊細でシンプルな形状に基づいていました。


古代の花瓶を思い起こさせるもので、
その時代の複雑なデザインとは対照的でした。

1920年代後半、ベニーニの兄弟フランコもチームに加わりました。

彼は化学分野の研究を行い、ベニーニ専用の独特の色を作り出しました。

それは、他の競合他社と大きな差を生む事になりました。

ゼッキンが退社した後、ナポレオーネ・マルティヌッツ
(有名なイタリアの彫刻家)がVenini&Cの新しいアートディレクターに
なりました。


1928年までに彼は自身のデザインを制作し始め、その多くはベニーニの傑作と考えられました。


例えば、ペレゴソ(pulegoso)技術は、小さなガラスの動物を生産する為に
頻繁に使用された二重層ガラス技術です。


ベネチアングラス・村のガラスのペレゴソ(pulegoso)技術を使った猫の動物フィギュア


しかし、アートディレクターとしてのマルティヌッツの任期は長続きしませんでした。


イタリアの建築家カルロ・スカルパが1932年にその役割を引き継いだのです。


スカルパとベニーニの忠実な協力関係は、10年続き新しいコンセプトを生み出しテクニック、デザイン、コーディング技術を一新しました。


スカルパが新たに作り出したガラス表面のコーティング技術は、
ハンマー表面、平滑表面、切開表面、および腐食表面でした。

テクニックの面では、彼はレース、ブラシストローク、水中技術など多く技術を完成させました。


以前の技法も取り戻され、それは、ハニー・フィリグリーと
ミルク・グラス技法の使用を通して、ベニーニのデザインをより特別なものにしました。


カルロの息子、トビアもベニーニのもとで働き、彼のオッチ(眼)シリーズにより有名になりました。


彼の父の作品は極端な優雅さを表現していましたが、
トビアのデザインは1950年代の最も洗練された優美なサイケデリックなデザインとなりました。

戦争時中による1940年代の休業後、ベニーニは有名なミラノの建築家かつ
デザイナーのジオ・ポンティを雇い、その生産活動を再開しました。


彼のデザインは色彩に富み、ベニーニのそれまでの作品からすると希少なものでしたが、ポンティの協力は、戦後の回復時に会社が軌道に乗るのを助けました。

1950年代はおそらくベニーニにとって、最高の年でした。
50年代はガラス業界に多くの矛盾が存在しました。


高いインフレにより、ガラスの芸術家たちは洗練されていない
デザインを生み出すことを強いられました。


一方、ベニーニは有名なデザイナー・ファルビオ・ビアンコ―ニを雇い、
彼はすぐムラーノ島の黄金時代のリーダーとなりました。ビアンコーニは、
1947年にベニーニで働き始めたイタリアのイラストレーター、そして風刺画家でした。


彼の卓越した創造性は、ガラス業界に活気をもたらしました。


彼は彼が設計したすべてのガラス作品にエネルギーと近代性を取り入れました。


彼がデザインしたあらゆる形は、官能的で自然な流動性で満たされているようでした。


ビアンコーニは、ファゾレト(ハンカチ)の花瓶、人魚のトルソ、パッチワークの作品などで、世界的な評価を得ました。

彼のよく知られている技術のいくつかは、
scozzese、forato、fasceです。なぜビアンコーニのガラス作品が世界中で
最も切望され評価されているのか不思議に思う必要はありません。



1959年にベニーニの死後、同社は1985年に売却されるまで子どもや孫に引き継がれました。

しかしベニーニの歴史は朗報のみにとどまっていません。 1972年に大火事が発生し、彼の炉と保管資料に大きな被害をもたらし、会社の記録のほとんどが失われました。



ベニーニのガラス職人は、失われた技術やデザインのいくつかを修復しようと試みましたが、その品質は当時のものと一致することはありませんでした。

古いオリジナルデザインの模写は、-慣習的であるか、または会社が古い保管資料を修復しようとしているか- 通常ベニーニのコレクターには難しいことです。


品質とデザインが本物の作品に基づいている限り、今日の技術によって特徴づけられた商品とプロセスは、ベニーニのガラス作品の大きな変化を反映しています。


Venini&C.は、ムラーノ島における一流のガラス製造会社の一つであり、
完璧な品質と革新的なイタリアのスタイルを代表しています。

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