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- ガラスのペーパーウェイト・置物 その歴史とコレクターたち(サンルイ(St.Louis)クリシー(Clichy)バカラ(Baccarat))
ペーパーウェイトの始まり
古代中国で文鎮は神聖なものとして扱われていました。
では西洋の文鎮、ペーパーウェイトが広まったのはいつ頃なのか。
書き物の際、机の横に置いていたペーパーウェイトはもともと日用品の一つでした。手のひらにすっぽりとおさまる程度のアイテムはどのようにして西洋の美術品となったのか。
美術品としてのペーパーウェイトはその歴史の中で多くの人々を魅了しました。この小さな美術品が西洋で広まったきっかけは19世紀のグラス産業の復活でした。
19世紀初め、ヨーロッパでは新たな装飾美術が流行し始めました。
18世紀半ばに始まった産業革命で人々の暮らしは大きく変化しました。効率性を重視し、機械化していくなかで日用品もまた、大量生産された個性のないものが増えていきました。その中で職人による手作業の製品を愛用する動きが出てきました。
イギリスを中心に起こったこの動きをアーツ&クラフト運動と言います。生活様式が変わってしまい、いつの間にか味気なさが残る日用品に囲まれることに対して、人間の手作業だからこそ生み出せる日用品を「作品」として愛で、そしてそのぬくもり溢れるものに囲まれて生活していくという運動は多くの人たちの関心を惹きつけました。
ペーパーウェイトが生まれたのは、ちょうどそのような時代でした。1840年半ば、ミルフィオリやランプワークと言った古来のグラス製造技術が注目を集めはじめたのです。
そしてビクトリア朝では貴族など上流階級の間で手紙を書くことが流行った影響もあり、ペーパーウェイトは日常生活の中の美術品として多くの人々に愛されたのでした。
各国でのペーパーウェイトの発展
ペーパーウェイトの発展は大きく”クラシック”と”モダン”の2つに分けることができます。
ここではペーパーウェイトの歴史的流れと共に、主な西洋各国でのペーパーウェイトの発展についてみていきたいと思います。
・フランス
ペーパーウェイトが美術品として発展した大きな立役者としてフランスの工房の存在について触れなければいけません。
クラシックやアンティークと呼ばれるペーパーウェイトの歴史はフランスで大きく発展した3つの工房から始まります。その3つの工房とはサンルイ(
・バカラ(baccarat)アンティークペーパーウェイト
・サンルイ(St.Louis)アンティークペーパーウェイト
・クリシー(Clichy)アンティーク ペーパーウェイト1850年
現存している最古の記録によるとヴェネチア開催されたでオーストリア産業界主催の博覧会でペーパーウェイトが初めて出品されたそうです。この展示で出品されていたのはヴェネチアのピエトロ・ビガッリアの作品でした。突如現れた新たなグラスウェアにいち早く反応したのがフランスのサンルイでした。
(このサンルイと共に名を馳せたのがイタリアのムラノのペーパーウェイトと言われています。)
フランス第二のグラスウェア工房はクリシーです。一番古い記録によると1845年から製造を始めたと言われています。ミルフィオリの様式を踏襲したクリシーのペーパーウェイトの中でも古いものの中に「バーカーコレクション」と呼ばれるものがあります。この作品たちには”ESCALIER DE CRISTAL 1845”と彫られています。
(ちなみにEscalier de Cristalはパリにあるノベルティ・ショップの名前)
また、1851年のクリスタル・パレスで開催されたロンドン万博、そして1853年のニューヨークで唯一展示されたのがクリシーのペーパーウェイト作品でした。
そして三番目にその名を連ねるのはグラス工房の中でも、今なお高級品として名高いバカラです。バカラがペーパーウェイトの製造を開始したのは1846年のことでした。現在もその技術を引き継ぎ、時代に合った洗練されたグラスウェアを作りつづけています。
その後、イギリスやボヘミアの工房が次々とペーパーウェイトの製造に乗り出したと言われています。この時代だけでも15,000個から25,
・アメリカ
アメリカでのペーパーウェイトの人気の火付け役となったのはフランスの工房、クリシーでした。ニューヨークでの展示会に出品されたクリシーの作品は多くの来場者の目にとまり、その後アメリカでペーパーウェイトが広がっていくきっかけの一つとなりました。
アメリカ製のグラスペーパーウェイトと聞いて名前が挙がるのは18
・アメリカ制 ヴィンテージ ペーパーウェイト(ニューイングランド・グラス・カンパニー)
また近現代で「アメリカのペーパーウェイトのルネサンスの父」
・イギリス
19世紀のイギリスのガラス製造をけん引した工房の一つがジョー
バッカス製のペーパーウェイトは現存している数が非常に少なく、
・スコットランド
スコットランドで名をはせたのがポール・イサートです。
1930年頃にペーパーウェイトの制作を始めたイサートは197
父親から技術を受けつぎ、
ペーパーウェイトが広まるきっかけは手作業のぬくもりを愛する人々の心だったと言っても過言ではありません。そしてバカラやサンルイは長年の経験と高度なテクニックを駆使したエレガントな作品を今なお生み出し続けています。新たに生み出される作品を見てもそのスタイルの中には、ペーパーウェイト製造の隆盛を誇ったクラシック様式の雰囲気が残っているものもあります。
また、アメリカの工房でもペーパーウェイトの美しさを伝え続けているところがあります。
この手のひらサイズの美術品に魅了されたコレクターはたくさんいます。そこでここからは著名なコレクターやペーパーウェイトにまつわるエピソードを交えて少しご紹介したいと思います。
著名なコレクターたち
これらのペーパーウェイトの愛好家として名を連ねる著名人には意
す。
・コレット
本名シドニー=ガブリエル・コレット。
フランスの女性作家。
そんなコレットはペーパーウェイトを「不変の小さな庭」
年老いて、
・トルーマン・カポーティ
そして別れの際、
(My dear, really there is no point in giving a gift unless one also treasures is oneself.)
19世紀末文学の旗手のように語られ、
人も物も美しいものを愛したワイルドらしく、彼は小さな美術品であるペーパーウェイトを愛したと残されています。
また、著名な文芸人だけでなく各国の王族にも愛されていました。
ペーパーウェイトのコレクションがある美術館
・シカゴ美術館/ Art Institute of Chicago
アーサー・ルブロフ・コレクションを所蔵。
1978年にシカゴ美術館のコレクションの仲間入りを果たしまし
ルブロフ氏はシカゴで不動産で成功した人物で20世紀を代表する
1947年にペーパーウェイトのコレクションを始めたルブロフ氏
そのうち1200個はこのシカゴ美術館で現在保管、
・バーグストーム・マーラー・ガラス美術館/ Bergstrom Mahler Museum of Glass
アメリカ、ウィスコンシン州にあるエヴァンジェリン・バーグストームのコレクションを展示している美術館です。
バーグストームがペーパーウェイトに出会ったのは幼い頃でした。
夏休みに家族で訪れた祖母の家には美しいペーパーウェイトがあり
バーグストームは結婚後、夫と共にバーグストーム・ペーパー・