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ルイス・コンフォート・ティファニーのローレルトンホール

1902年にルイス・コンフォート・ティファニーはロングアイランドオイスターベイ数マイル先に、580エーカー(約235ヘクタール)もの大きな屋敷を建て始めます。ローレルトンホテルのリゾート内に、音楽学校と厩舎を建て、60エーカー(約24ヘクタール)の土地と屋敷以上費用をかけて庭園を建てます。ローレルトンホールと呼ばれる大きな屋敷は彼のアーティストとして最も大きなプロジェクトとなりました。モーゼ美術館には実際の屋敷からのローレルトンホールの建築素材や装飾などが見られます。
 ルイスコンフォートティファニー ローレルトンホール 空撮 1934年撮
ローレルトンホール空撮(1934)
 

建築設計と庭園

ローレルトンホールが建てられたころ、アメリカの裕福層はフランスやイタリアの大邸宅のようなローレルトンホールに魅せられ、当時彼らが建てた家のモデルケースとなりました。ティファニーは西洋というより東洋様式だと主張しました。彼は来る建築革命にも目を向けていました。屋敷自体は当時モダンなシルエットでした。建築ベースとなったコンセプトはシンプルであり実直で時に抽象的でありました。ティファニーはそれらプレーンなコンセプトを主張してた一方で、豊かな宝飾やモザイクガラスや木彫りや鋳物などアジアと中東のテイストをユニークにブレンドし内装にそれらを施しました。当時の建築家達や人々はローレルトンホールにおけるティファニーが作った内装風景を讃えました。コールドスプリングハーバーの広大な景色を見渡せる農村地帯の中心に建つティファニーの屋敷はロマンチックな絵画を模したような庭園や池、テニスコートや陽浴ビーチを擁しました。リセプションホール内の滝は湧き水が水源になっており、外にある滝、最後に海へとつながっています。
 ルイスコンフォートティファニー ローレルトンホール ダイニングルーム 1925撮
ローレルトンホールダイニングルーム(1925)

ルイスコンフォートティファニー ローレルトンホール リセプションホール 1925撮
ローレルトンホールリセプションルーム(1925)


ルイスコンフォートティファニー リビングルーム 1925年撮
ローレルトンホールリビングルーム(1925)


ルイスコンフォートティファニー ローレルトンホール ラッパズイセン庭園 1925年撮
ラッパズイセンテラス(1925)
 

内装

ティファニーは世界中から集めたユニークな作品や素材を自らの屋敷の内装に施しました。多くは自らが手掛けた家具電装、窓、机なども見られました。記述によると、ティファニーが集めたアートガラス、エナメルガラス、陶芸など多数の作品にはアーティストコレクションという意味の“A-Coll”と印字してあったとあります。いくつかの作品は巨匠が手掛けたものもあり、ティファニーの権力を魅せ付ける意図していたともいわれています。四季窓は自らがローレルトンホールに飾るため4つに裁断しました。さらにそれは1900年にパリ万博にて金賞を獲得しました。庭を見下ろすダイニングルームにあるガラス窓に貼られたウィステリアトランサムを含む他の装飾は、ティファニー様式の典型となる自然をモチーフにした素晴らしい作品でした。
 

ビジョンそして悲劇

1916年ティファニーは、1983年世界コロンブス万博のために制作したチャペルをローレルトンホールに収めました。2年後、古くなった農家屋をアトリエギャラリーへと変えました。ティファニーはローレルトンホールを完全に統一された環境であり、また世界には家庭や家族だけでなく、アート学校やミュージアムやスタジオなどは人間の美を追求する存在だと考えました。しかし、ティファニーが意図したローレルトンホールの真理が人々に伝わったのは彼の死から長い時がたった後でした。彼は最後に、彼の意志が長きに紡がれることを望み、ローレルトンホールを寄贈しました。悲しいことに、彼が亡くなった1933年以降、ローレルトンホールの歴史は彼の意志とは違う道に進んでいきます。1946年にローレルトンホールは財政破綻によりオークションに懸けられます。最終的には売却され、分割されてしまいます。1957年に荒廃的な火災に見舞われ、ローレルトンホールはティファニーの夢と共に没落してしまうのです。
 
多くの美しい作品は助かりました。現在も作品は現存しています。ジェネット・マッキーンによって絵画や絵窓、家具や装飾品は購入されモーゼ美術館に寄贈されています。