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  • デンマーク王室御用達! ジョージ・ジェンセン (Georg Jensen) の歴史と意匠

「実用に美を取り入れたジョージジェンセン」  


ジョージ・ジェンセンの創始者であるゲオルグ・イェンセンは、かつて『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』において「過去300年において最も優れた銀細工職人」との評価を受けました。


元々は彫刻家であったイェンセンですが、途中で銀細工師に転向します。

ジョージジェンセンのブローチ GEORG JENSEN # 172a


彼はまさに、芸術の一つの流れを作った人物でした。

フランスの芸術評論家エミール・セデインも、イェンセンについて「実用的なものを美しく」変えることに心血を注いだ人物である、と述べています。


イェンセンのデザインの多くは今なお非常に人気が高く、世界中の収集家たちの興味を引き付けてやみません。

 

「アート&クラフト(芸術と工芸品)」の精神


「実用性と芸術の統合」というイェンセンの方向性は、「アート&クラフト(芸術と工芸品)」という大きな流れに基づいたものです。

これはイェンセンが銀細工師として働き始めた頃、デンマークで盛んになっていた動きでした。

「アート&クラフト」の特徴は、自然から生まれたもの、または自然そのものからインスピレーションを得たモチーフと、スタイリッシュで流れるようなフォルムです。


これは産業革命に対する一種の対抗でした。

当時は利潤を求める風潮の中、安っぽく粗悪な製品が市場を席捲していたのです。


この流れの中にいた芸術家はみな、日常生活においても

美しく機能的な道具を使わねばならないと強く感じていました。

イェンセンも例外ではありません。彼の最初のデザインには、

美と実用性を組み合わせようという熱意が見て取れます。

この時、イェンセンは花や果物、葉や鳥といった自然界のモチーフを

実用的な日用品の中に取り入れました。  

ジョージジェンセンのカトラリー モデル エコーン
 

デンマークの自然が育んだ芸術


イェンセンは子供時代をデンマークのロヴェールで過ごしました。

彼が自然に心惹かれていたのはこの経験のためと言えるでしょう。

家の近くの沼地で採った粘土から彫像を作り、年若いうちから

卓越した芸術的才能を発揮しています。


13歳の時には、彼は父の職場である工場で金細工師見習いとして働いていました。

どうやら息子には芸術の才能があるらしいと感じ取ったイェンセンの両親は

コペンハーゲンに居を移し、彼の才能を伸ばそうとします。

イェンセンは金細工師のもとで見習いとして働き、空いた時間は彫刻の創作に励みました。



イェンセンが自作の彫刻の一つを国立美術学校に提出すると、

非常に感銘を受けた教授の計らいで美術学校への入学許可が下りました。

この学生時代に、彼の彫刻「ハーベスター(刈り取り人)」が

シャーロッテンボーの春季展覧会で展示され、批評家たちの称賛を受けます。

この時イェンセンはすでに一人前の金細工師になっていましたが、

彫刻家として身を立てる決意をしました。


ジョージジェンセンのネックレス

銀細工師イェンセンの誕生


しかし、再び彼の彫刻が注目を集めることはなく、彫刻家としての将来には繋がりませんでした。

失意のうちに貧困に陥ったイェンセンは、友人とともに瀬戸物屋を開きます。

しかしここでも事業は失敗に終わり、彼は家族を養うために銀細工師に転向します。


1904年、イェンセンは自らの工房を開きます。

ここで最初に装身具類を作り、続いて食器類を作成しました。

看板は「ジョージ・イェンセン 彫刻・銀細工」と出し、

あくまで自身のことを彫刻家であると自負していたようです。

銀を彫刻の素材とすることで、イェンセンはついに自らの創造力を

商機につなげることができたのでした。

装身具類の展示が数軒の美術館で成功し、小さな工房で売れるようにもなりました。

ここに来てやっと、イェンセンは美しく精巧、かつ実用的な作品を生み出す細工師という

評判を勝ち得ます。


 

工芸家たちの競演


イェンセンは他の芸術家や工芸家と合作を行い、自らの創作の幅を広げようとしました。

そうした工芸家はみな、「装飾品が主役であってはならない」という

イェンセンと同じ理念を持っていました。ヨハン・ローデ、ヘラルド・ニールセン、

シグヴァード・ベルナドッテ、グノーフ・アルベルトゥス、ヘニング・コッペルらは、

20世紀の最先端をゆく銀細工を作り上げました。



こうした創作は、イェンセンのパターンの中でも人気のあるものになりました。

イェンセンはデザイナーの支援には特に熱心であり、十分な報酬が支払われるよう

常に気を配っていました。


 

世界のジョージ・ジェンセン


1915年、新聞業界の有力者であるウィリアム・ランドルフ・ハーストが、

サンフランシスコ万博を訪れた際イェンセンの展示に非常に感銘を受け、

全ての作品を買い上げました。これをきっかけに、アメリカの仲買人はこぞって

イェンセンの作品に注目するようになりました。



1918年には『ジョージ・ジェンセン』はスウェーデン王室御用達に指定され、

1920年には300人の工人を雇う会社に成長しました。

今日ではロイヤルコペンハーゲンが『ジョージ・ジェンセン』を所有し、

卓越した技術を引き継いでいます。


 

銀細工の父 


1935年、イェンセンは亡くなる頃には「スカンジナビア銀細工の父」として

知られるようになっていました。彼は60歳の時、このように述べています。

「銀は人間が所有している、最も素晴らしい素材だ。簡単には変形しないが、

それでも変えなければならない―そうすれば月光のように輝き、黄昏の薄明のように照り映える。

露に濡れれば、大地から立ち昇る霧のように見える」
 
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