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  • ドイツの高級陶磁器 ローゼンタールってどんなブランド!?(Rosenthal Dinnerware)
ローゼンタールのプレート
Rosenthal Dinnerware(ローゼンタール ディナーウェア)は、お店で食器を眺めている時に、それまでで一番ハイクオリティで現代デザインの物を見ているんだな、という気持ちを生み出すようなブランドの一つです。

筆者はビジネスを始める前から、ローゼンタールに対してこんな気持ちを持っています。以前、ロンドンのナイツブリッジで、ローゼンタールのお店の横で働いていましたので、よく興味と憧れの視線で、ウィンドウに熱い息を掛けながら、じっと商品を見つめていました。
彼らは、こういったイメージをどう作り上げたのでしょうか?

ローゼンタールの質素な灰皿

何かと思われましたか?
そうです、みんな、何かに取り掛かる時には突破口が必要です。
ローゼンタール・ディナーウェアは1879年、ドイツのゼルプで、フィリップ・ローゼンタール・Snrによって設立されました。1879年、フィリップは自身の装飾工房をエルカースロイト城に立ち上げました。
ローゼンタール社の食器

今日のローゼンタールがいかに成功している企業かは皆様ご周知の通りです。
しかしながら、皆さん突破口が必要です。彼らの場合、それは質素な灰皿でした。
彼らからしてみれば、それは明らかに質素すぎる物ではありませんでした。1886年、その灰皿は、ローゼンタールの初の大ヒット商品で、その後に続く道の土台を敷いてくれた商品でした。
そのアイコン的なデザインで、ローゼンタールの灰皿は、現在でもデザインとして通じる物です。
1916年、彼らはさらにもう一つの大ヒット作、マリアシリーズを生み出します。


ローゼンタール社の20世紀初頭の像

ローゼンタール社のマリアシリーズ

その他、ローゼンタールからの商品で印象に残るのは、20世紀初期〜中期に欠けての像だと、
はっきり言えます。

ホーザー・デファンティの白鳥の湖のオデットの像などは、手に入れる事が出来る中でもトップクラスの美しい陶器美術作品だと、個人的には思います。ただただ、彼女の美しい頭のポジショニングから、金箔の土台まで、全てのディテールが美しく精巧です。

豊かな時代は続く

この時代は、ローゼンタールにとって、豊かな時代でした。企業は陶器商品がどうあるべきかのポイントをしっかり押さえていましたし、現実的に、ただのビジネスとしてではなく、アートとしてのビジネスを行う良い例となっています。
20世紀は何人かのトップアーティストやデザイナーがローゼンタールと仕事をしていますが、
お世辞抜きで素晴らしい仕事をしています。

右側のグラフィックイメージを見て頂くとローゼンタールとアーティスト、デザイナー達の商品をずらっと並んでいます。いかに彼らが長い期間に渡って商品を製作し続けているかお分かりいただけるかと思います。

クリエイティブが集う場所

ローゼンタールのマーク、刻印、バックスタンプ
例えば、オットー・コッホは1920年代から1960年代にかけてローゼンタールで働いていました。初期の若いときは、彫刻家と絵付師として働き、その後有名なバンホーフのローゼンタールスタジオの美術部署のリーダーを務めていました。後期は工房全てのトップになりました。
フィリップ・ローゼンタールは強いクリエイティブな人々のメリットをすぐに見抜いていましたし、彼自身が能力のある信頼できるグループといる環境が好きでした。
コッホに関しては、彼は品質の細かい部分にまで気付く素晴らしい目を持っているのと同時に、非常にスタッフ思いで、大変実用的なトレーニングプログラムを立ち上げました。
バウハウスの提唱者、Drウィリヘム・ワゲンフェルドはローゼンタールのために近代20世紀で一番の陶器製造方法を作成していました。彼はその長く傑出したキャリアの中で多くの賞を獲得しています。
初めてはっきりと美術部署と名付けられた部署が出来たのは1910年でした。

では、創業者フィリップ・ローゼンタール自身はどんな人物?

ローゼンタールのカップ&ソーサーとプレート

この素晴らしい人物に関しての昔話を聞いたことがあります。(1979年3月13日号ミルウォーキーセンシャルのフィリップ・ローゼンタール・ジュニアのインタビューから引用しております。)
これがどれだけ歴史的な事実かは私はわかりませんが、お話は素晴らしいです。
19世紀後半、若かりし頃のローゼンタール・シニアはアメリカに渡り、カウボーイになりました。彼はとても悪名高く、作家のO・ヘンリーの関心を引き、彼の作品にも登場しました。
ドイツに戻ったあとは、彼は自身の父がしてきたように、器の装飾を始めました。ローゼンタール ディナーウェアが成功し名が知られるようになっただけでなく、1908年、ローゼンタールはトーマス・セラミック・カンパニー(1908年創業)を買い取ります。トーマスは常に別の視点で動き、そしてとても良い仕事をしました。
様々な理由があったのですが、1930年代に、ファミリーは、残念ながら、全ての株式権利を放棄する、という決断を下しました。ローゼンタールは名前だけ、となったのです。
ファミリーはユダヤ系のルーツを持っていましたが、ユダヤの教えを実践してはいませんでした。事実、フィリップJrが子供としていうならば、彼は家族のルーツがユダヤにあるとは思いつきもしませんでしたし、ヒトラー支持でもありました。ファシスト政権の元では、皮肉な事に、ローゼンタールは支持されており、戦時中ヒトラーは日々のドイツ鉄道での移動中には、ローゼンタールの食器で食事をしていました。


ローゼンタールの息子(フィリップJr)は、勉強のためにイギリスに送られており、家族は危険が迫っていることを予期していました。
彼自身の言葉によれば、フィリップJrは陶器にも家業にも何の関心もありませんでした。(事実、彼はそれを「小さすぎる」として快く思っていませんでした。)
戦時中、ローゼンタールJrは、ナチスに対抗し、フランスの多国籍軍で同盟軍側として戦いました。
彼は捕らえられますが、戦時中ドイツ語の翻訳や執筆で援助を行ったイギリスへ逃れます。
そして戦後、ローゼンタールJrは、彼の父の事業に対する考えを変え、ドイツへ戻りました。ローゼンタールにとって幸運なことだったと言えましょう。


ローゼンタールJrの帰還

1950年、フィリップ・ローゼンタール・Jrは、チャイナビジネスに対する関心を見出し、広告マネージャーとして、彼の父が創業した企業へ参加します。その後、起訴で11%の株式を勝ち取り、企業をコントロールしました。また、ローゼンタールのオリジナルの城に住みました。
ローゼンタール・Jrは、父の会社において、とても興味深く難解なことは、企業が常にデザイン面でのアプローチを行っていたことと言っています。もしそれを考えたら、納得がいきます。
ローゼンタールいわく、メーカーから生まれたデザインは、アーティストの時間、アーティストのための時間を表現する価値があるそうです。言い換えると、沢山の刺激を受け全く新しい独特のテイストを作り出さない限り、何を参照しても、過去を楽しんでも、過去の栄光を真似ても、デザイン面は貧しくなってしまう(その結果、価値を失っていく)、という事です。
ローゼンタール・Jrは、世代や価値観が変わり、若い人々が器の価値を教わっていかない中で、大きな陶器企業は、ヨーロッパ全体、イギリス、アメリカでも、減っていくだろうと読んでいました。これは、彼が20世紀後半の現代社会における世代や価値観の変化から感じたものです。
ローゼンタール ディナーウェアの有名な工房は、

Selb Kunstabteilung factoryゼルプ・クンスタブタイル工房

Bahnhof-Selb factoryバンホフ・ゼルプ工房

Selb-Plossberg factoryゼルプ・プロスバーグ工房

Studioline factoryスタジオライン工房

です。

モダン ローゼンタール

ローゼンタールの食器
2000年、フッチェンロイターで、有名なドイツの陶器メーカーが、ローゼンタールの名前で買収されました。しかし、その後ローゼンタール自身もイギリスのウェッジウッドグループにすでに買収されていました。
20世紀後半のローゼンタール・ディナーウェアもさらに一層蓄積し新しい物を取り入れてはいましたが、1997年にウェッジウッドが過半数の株式を所有し、瞬く間に世に送り出し、成功したのが陶磁器のVersaceヴェルサーチコレクションーモダンクラシックでした。
ヴェルサーチコレクションは、Meandreメアンダー, Medusaメドゥーサ, Russian Dreamロシアンドリーム, Hot Flowersホットフラワー, Tabletopテーブルトップ, Baroccoバロッコ, Butterfly Gardenバタフライガーデン, La Merラ・メール、を含みます。