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  • ドイツの刃物ブランド・ゾーリンゲンのスイッチブレードの歴史
ゾーリンゲンのスイッチブレードの歴史 片手で扱える画期的ナイフに150年以上の歴史 便利で、閉じれば安全に収納でき、携帯可能なナイフの発明の素晴らしさは、 使う人に一番分かります。 開ける時に片手が塞がったままでは、刃を取り出すことすらできません。 この不便さから、ゾーリンゲンの職人が片手で開ける折りたたみナイフを発明したのでは、 とも思えます。 ドイツのスイッチブレードの歴史は、長期の記録がないうえ、 ヨーロッパ大陸の戦争でも文書が失われてしまい、細部まで明らかにできませんが、 これだけは言えます。 ドイツでは、スイッチブレードは「目新しい」ものでも、 1950年代だけの流行だった訳でもありません。 第二次大戦の後、1950年代に幸先のいいスタートを切ったスイッチブレードは、 イタリアから安く大量に輸入されて人気のあったスティレットナイフですが、 その百年前の1850年頃、もう既にゾーリンゲンの有力スチール製品メーカーの数社が 「アウフシュプリングメサー」という、「跳ねて開くナイフ」を意味する名称を 販売カタログで使っていました。 「シュプリングメサー」、いわゆるスプリングナイフの名称は1850年代からのものです。 当時も20世紀半ばも、ナイフは日常生活の中心的存在でした。何かの物を切ることは、日常の欠かせない作業で、様々な仕事がありましたので、楽に使えるポケットナイフの開発は切実なものでした。 工業化で新しい生産技術が考案されたことによって、新しい便利な発明品を、続けて効率よく生産し、安い価格で市場に出せるようになりました。 ドイツのスイッチブレードには、一本刃のものも、複数の刃を持つ多機能型のものもありました。 狩猟家は、ノコギリ刃や獲物の内臓を取り除く器具のついたものや、カートリッジに収められた多様な刃を引き出して使うものを好みました。 また、そういった実用的なものばかりではなく、高級な材質を使った凝ったデザインのものも好まれました。 その初期のものが、1868年版のブックレットに図と一緒に紹介されています。その表題には“Atlas zur Fabrikation der Stahl-Waaren” 「スチール製品目録」で、副題に「ナイフ、フォーク、鋏、サーベル、短剣等のゾーリンゲン製を特集」と書かれています。そこに、波刃やクリス刃の短剣が飾り台に乗せられて、象牙を繊細に彫った柄と、貝殻を象った見栄えのする鍔をつけて掲載されています。ナイフの断面図を見ると、バックスプリングやロック機構、よく見られるものに近いフリックスプリングなどの技術面を読み取ることができます。     1880年頃に、ゾーリンゲンのナイフメーカーがスイッチブレードの新しい機構を開発し、特許申請(DRP ?ドイツ帝国特許)と実用新案の登録(DRGM ?デザイン及び機能のドイツ国内登録)を行いました。このような新案登録や特許取得が、シュプリングメッサ―の市場開拓を妨げたか、といえばそうではなく、むしろよりよい製品を開発するために、製造者はこぞって改善や改良に取り組みました。 1897年、ドイツ・ベルリンの特許局は、あるゾーリンゲンのナイフメーカーの、「折り畳みレバーが安全に動作して」不意の開閉を防ぐ発明にDRGM実用新案を与えました これは「レバーロック」と呼ばれるものです。レバーロックで切り替えるナイフが即座に人気を得ると、続いて翌年に次の新製品やメカニズムが発明され、今や30以上が知られるようになりました。                                         「シュプリングメサー」の製造販売は少数の製造者に限ったことではありませんでした。1900年から第二次大戦まで、大抵の代表的メーカーや卸売業者がスイッチブレードを取り扱っていました。様々な商標やブランド名が80以上知られていることが、この様式のナイフの需要を裏付けています。その市場規模は、ドイツ国内やヨーロッパに留まらず、オランダの植民地や、ロシアや中国、アフリカ、北米中南米へと世界規模の拡がりを見せ、大成功を収めました。「メイド・イン・ジャーマニー」の評判は20世紀に絶大なものでしたが、―「ゾーリンゲン製」の刃物やスイッチブレードも、この評判を支えていたに違いありません。 やはり、第二次世界大戦ではゾーリンゲンのナイフ工業も打撃を受けました。多くのメーカーが破壊され、工作機械や金型が失われて、ナイフメーカーがわずかに残りました。そのうちの何社かは、アメリカの輸入業者との共同経営が成功し、アメリカの商標や自らのブランドのもとで高級スイッチブレードの製造を再開しました。ところが1958年のアメリカのスイッチブレード規制が、このビジネスに歯止めをかけます。そのため、それ以後に自社製品の中にスイッチブレードを入れているところは数えるほどになりました。1968年にドイツでもスイッチブレードが規制され、1972年と2004年にも、さらに厳しい規制がかかり、スイッチブレード以外のものも禁止されましたが、それでも高級工芸品の分野では、十分な市場を確保できていました。    1980年代には、流行に乗って、カスタムナイフのメーカーが人気を得ると、手鍛造のダマスカス刃の需要が高まり、高級材も再び使用されはじめなりました。  1990年代中頃には、コンピュータ制御による加工技術によって、ライナーもコイルスプリングも使わないスイッチブレードが製作できるようになると、プレスボタンで開く方式が再び導入されました。 もっとも、ボタンで開く方式は、ドイツが刃物の中心地になる75年以上前には既に用いられていました。何社かの製造カタログや広告には、ボタン式のポケットナイフの他に、1920年代のスライドセーフティーを備えたポケットナイフも図解されています。  2003年と2008年の4月、ドイツで最後の武器規制改正法が施行され、バリソンナイフ、空挺ナイフ、前開きのスイッチブレード等が禁止されました。スライド式スイッチブレードは、刃渡り8.5cm以内で、中心の幅が刃渡りの20パーセント以上でなければ違法とされていましたが、この制限は数年のうちに削除されました。 このような規制によって、メーカーの中には在庫一掃セールを行ったり、最後の生産を終えて製品を売り払ったメーカーもありますが、いずれにせよ、将来新しい方式のものが開発・製造販売される現実的な可能性は十分にあります   ©ヘニング・リッター、フベルトゥース カトラリー カンパニー、ドイツ・ゾーリンゲン 2003/2008 この研究を奨励し、翻訳の手助けをしてくださったBill DeShivs に心からのお礼を申し上げます