ロンジンがロンジンになる前の初期の歴史

ロンジン ロゴ一覧

 

19世紀初頭のスイスの時計産業は、現在とは大きく異なっています。

 

通常、個々の部品はスイスのジュラ地域周辺の大家族によって作られました。

 

各家族は通常、1種類の部品に特化していました。

 

一度製造されたこれらの部品は、組み立てと販売を担当するコントワールと呼ばれる貿易事務所によって収集されました。

 

コントワールは今日のブランドに相当します。

 

コントワールは部品を個々の時計職人に再配布し、最終的な組み立てのために再び自宅で作業させました。

 

その後、これらの最終的に組み立てられた時計は、販売のためにコントワールに返送されました。

 

これは “エタブリサージュ(établissage)というシステムです。

 ロンジン創業者 オーギュスト・アガシ(Auguste Agassiz) 1832年設立


1832年、ロンジンは設立されました。創業者であるオーギュスト・アガシ(Auguste Agassiz)はビジネスを学び、銀行業界で一時期働いていました。

 

1832年、彼はパートナーであるアンリ ライゲル(Henri Raiguel)とフロリアン モレル(Florian Morel) (義理の兄弟)の3人で、サンティミエの町でコントワールとして独自の時計製造事業を開始することを選びました。

 

この時設立された「Raiguel Jeune & Cie.」がのちのロンジンとなります。

 

その後すぐに、彼らは独自の組立設備を設立し、コントワール モデルから離れ始めました。 

最終的に、ライゲルとモレルの両方が退職・引退し、アガシがコントワールの支配権を握りました。

 

彼は1850年に健康体調不良のために早期退職を余儀なくされ、1852年に甥のアーネストフランシヨンを引き入れました。

 

アガシは1877年に亡くなるまでパートナーであり続けましたが、フランシヨンの手により多くの変更が加えられ、近代化が進みました。

 

最後に、1867 年は Raiguel Jeune & Cie がロンジンとなった年でもあり、この名前は新しい工場があった細長い野原(Longines)にちなんでつけられました。