エミールガレ・ドーム兄弟(ドームナンシー )ルネラリックの専門的な知識の源泉
こんにちは、アンティークテーブルウェアの妹尾です。
今日のこのブログでの話は、私がどうしてガレやドーム兄弟の知識をここまで蓄えているのか。
という知識の源泉の話になります。
ですので、ガレやドーム兄弟の作品の紹介をするページではありません。
ですが、私が販売してる商品に間違いがないというのは充分にご理解していただける内容となっていると思います。
先生と私との出会い
骨董品のジャンルでの勉強方法は一般的には、専門書を読むことです。私も100冊以上の専門書を読んできました。
ですが現実には、それだけでは網羅できない市場です。
そこで私が考えたのは先人から学ぶということです。
福岡の一等地である天神の赤坂にその専門店があるのは知っていましたが、私はその格式の高いお店の風貌からお店に入ることを躊躇っていました。
ですがそんなことを言っても、自分の知識が深くなる訳でもありませんし自分の事業が伸びるとも思えませんでしたので、勇気を出してそのお店に入り勉強させてくださいと伝えたのが先生との初めての出会いでした。
先生の初めて出会った時の印象は、寡黙な方であまり多くを語らないような見た目だったのですが、実際に話してみるととても優しく訪れたその日にたくさんのことを教えてくれました。
先生の歴史
先生は現在73歳なのですが、20代の頃からフランスに空手を教えるという仕事で渡航し、そこで見つけたガラス製品(ガレやドーム兄弟)の美しさに心を奪われ、そこから今に至るまでその商品を販売してある方です。
先生の時代は、ダイレクトに日本のバブル経済の時代だったので、その骨董品市場の伸びとともに需要も増え、毎週フランスに行っては日本の資産家の方に商品を販売していたらしいです。
そのころは、日本ではガレやドームが引く手数多でしたがフランスではまだそのことが認識されておらず、ヴィトンやエルメスは飛ぶように売れたけどガレやドームは安いままほったらかしにされていたらしいです。
今では考えられない時代ですね。
感覚的には、80年代に入ってくるくらいからだんだんとフランス人も日本人の間でガレやドームやラリックが流行ってるようだ!という認識が広まってきてそこから値段が上がってきたとおっしゃってました。
そんな中でも、ちょっと怪しい業者が毎週あなたは来てるからと、車のトランクに大量のガレやドームを入れて、先生に安く販売してくれていたそうです。
このように、先生が扱っていた時代(現在も扱ってますが)というのは、圧倒的に作品に触れることができた時代だったとおっしゃっています。
今となっては、美術館クラスの作品も数えきれないほど扱ってきたとおっしゃっていましたが、実際に話を聞いてみると私もそうだと思います。
先生とフランスにガレとドーム兄弟の勉強へ
このようにもう50年の知識を持つ先生から指導を受けてるので、今では先生の70%程度の知識を持っていると考えています。
ですので、このガラスのカテゴリーにおいては私は先生の次に専門性があると考えています。
実際にフランスにも同行させていただきました。
やはり本場のフランスなので、日本よりは圧倒的に商品数があります。
とはいえ、日本はバブル時代に半分くらいのドーム兄弟やガレを持ち込んでるから実際には、本場とは言えども半分くらいしか残ってないのが現状らしいです。
フランスに行った時には、仕入れルートを教えて頂いたり何より美術館に連れて行ってもらう事によって本物に触れ、自分の知識を大幅にアップデートできたと思っています。
日本にもたくさんの美術館がありますが、やはり本場の美術館のコレクションの数は全然違いました。
下記の写真はドーム兄弟、エミールガレの故郷でもあるナンシーのナンシー美術館で撮影してきた写真です。
実際にこの目で見る事によって、自分の真贋を見分ける目というのは格段に向上しました。
日本ではなかなかお目にかかれない作品がたくさんありますね。
このような作品をたくさん見ることによって、私の知識の幅が広がっていくのでした。
現地仕入れ先を開拓に
現地では素晴らしい作品がたくさんあることを上記でお話させて頂きましたが、実際に手に入れることが出来ないと意味がありません。
そして、その場所というのは、実はクローズなところでもあるためなかなかその場に行くことが出来ないらしいです。
私も先生がいなかったら、確実にその場にはたどり着けてないと思います。
場所は公開することは出来ませんが、こんな感じでエミールガレ専門店、ドーム兄弟専門店、ルネラリック専門店があります。
こちらはルネラリック専門店のオーナーです。