ガラスの巨匠:ベネチアングラス(ムラノガラス)の職人アルフレッド・バルビーニ

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ガラスの巨匠:ベネチアングラス(ムラノガラス)の職人アルフレッド・バルビーニ

イタリアにあるムラーノ島の歴史は、何百人もの才能にあふれ独創的な
ガラスの巨匠によって作られています。


彼らの多くは何世紀も前に有名になりましたが、ベネチアングラスは
今もまだ目を見張るような創造物で世界を驚かせています。


彼らはガラス工芸を発展させ、世界的な名声へとつなげるために協力し合ってきました。

そしてその名声は今でも続いています。


彼ら一人一人、ムラーノ島の歴史と美しさに非常に貴重な貢献をしてきました。


そして、新しいアイデア、芸術性の大胆さ、魅惑的なデザインに
興味を持つガラス工芸品のファンやコレクターを驚かせてきました。


例えば、バルビーニ家は、長年ムラーノの歴史において
重要な存在として君臨し、今日でもその存在感を残しています。
            
         
バルビーニ家を解読するには長い時間が必要になりますが
ここでは要約をまとめて簡潔に説明していきます。


ムラーノ島ガラス業界における彼らの話は、彼らの名が、
ベネチアのゴールデン・ブックに追加された16世紀にさかのぼることができます。


ベネチアのゴールデン・ブックは、ベネチア貴族の
クリーム・デ・ラ・クリームと最高のガラス職人で構成され、
本に名を連ねるためには、特別な許可が必要な本として知られています。


なので、この本に乗っていると言うだけで
ベネチアングラスの礎を築いてきた人物と言う事ですね。


バルビーニ家のメンバーは、政治、商業、またはガラス制作の
さまざまな分野で、長い間、ベネチアの歴史の中で
重要な役割を果たしてきました。


彼らが作った作品は美しいベネチアンミラー、他はエナメルガラス、
また他にも壮大なシャンデリアを作り有名になりました。


バルビーニ家の一部のメンバーは、王家と裕福な外国人の家庭専用の
装飾ガラスを作るために、海外へ移住しました。

帰国してからの長い間、バルビーニ家はムラーノ島で働く職人の

ピエトロ ビガリア、
ブリアーティ家、
ベルトリーニ兄弟
ベネットバーバリア



他のガラス職人に技術に関する相談も乗り様々な技術指導もしました。


そして、バルビーニの指導を受けた彼ら全員が、ムラーノ島の吹きガラスの躍動的な革新と歴史に大きく貢献しました。

 

ベネチアングラスの巨匠 アルフレッド・バルビーニの歴史


アルフレッド・バルビーニの話は、何世紀も後に始まります。


1912年ムラーノ島で生まれた彼は、すぐに熟練したガラス職人として
知られるようになりました。

ムラーノ島の最も有名な炉でキャリアを開始したアルフレッドは、
13歳の時にフェロ トーソ工房(Ferro Toso)で働き始めました。

トーソで17年間働いて炉を出て、吹きガラスの熟練工になるため、
Cristalleria di Venezia e Muranoに加わりました。

その間、彼は大胆で美しいガラスのデザインと製作において、
信じられないほどの才能を発揮しました。


1932年、彼はゼッキン&マルティヌッツ(Zecchin&Martinuzzi)に就任し、
創造性を発揮させ、その後3年間で最も芸術的なデザインをたくさん生み出しました。


ここでは、以前のようなガラス工芸の技術的側面に焦点を当てた炉とは違い、
芸術的な自由を得ることが出来ました。


残念なことに、ゼッキン&マルティヌッツは最終的に閉鎖し、
バルビーニはSeguso Vetri d'Art社に短期間働き、
その後1944年までVetreria Artistica MuraneseSocietàAnonima社で
働くことになりました。
 

第二次世界大戦後、バルビーニは独立してセグーゾとマルティヌッツとの
仕事に戻り、吹きガラスの熟練工とデザイナーとしての認知度を高めていきました。


彼の強い美学と鮮やかな想像力は、同僚や後援者の嗜好を容易に
満足させるためのデザインを作ることを可能にしました。


彼の経験は、他の2人の偉大な師匠、ルイージスカルパ クローチェと
サルビアティの仕事の後でさらに拡大しました。


1946年まで、彼はGino Cenedese&Cの芸術監督とビジネス・アソシエートになり、
この間、彼はガラス彫刻と「ヴェトロ・フマート」のような
色彩効果の経験を積みました。


1948年、ベネチアのビエンナーレとセネデーセ(Cenedese)社のもと、
彼は腐食した表面効果を模倣した "コーロソー"スタイルの
デコラティブアートガラスのコレクションを発表しました。
 

1950年サルビアティの経済的な助けを借りて、アルフレッド・バルビーニは
自身の会社Vetreria Alfredo Barbiniを開始しました。


この年からから1961年まで、バルビーニは多くのベネチア・ビエンナーレの
美術展で重要な存在となりました。


彼の興味は、1960年にベネチア・ビエンナーレに提出した有名な魚や
チューリップの芸術作品のようなアート作品に移っていきました。


その後に、彼の作品は花瓶やその他のガラスアートを多く作り彼の作品のほとんどは
それらのアートガラスになていきました。


※アルフレッドバルビーニが制作したとされる魚のアートガラス

アルフレッドバルビーニが作ったと言われる魚のアートガラス

 

彼が長年にわたって完成させ、専門化した技法の1つは、
マセッロ(Massello)技術でした。


この技術は、高温ガラスを引き伸ばして、一定の形状に成形し、
吹きガラス技術を使用せずに任意の形状にすることを基本としています。


彼のもう一つのシグネチャースタイルは、ソンメルソ(Sommerso)
技術でした。


彼はガラスの濃い色の層をお互いに重ね合わせ、
各層が非常に鮮やかで結合線が存在しないように見える方法を完成させました。

各層は輝かしい反射と驚くべき色の組み合わせを生み出して、
互いにシームレスにつながっていました。


※ソンメルソの技法を使った花瓶
 
ベネチアングラス・ムラノガラスのソンメルソ技法を使った花瓶



彼の好きなテクニックのもう一つは腐食(Corrosione)という技術で、
ガラス物の外層が金粉や他の金属で覆われ、熱に触れたときに腐食した外観を得ます。


アルフレド・バービニ自身が作った作品はどれも「
?A.Barbini」というサインが刻まれていたため、彼の作品と見分けることが出来るのです。


※アルフレッドバルビーニのサイン

アルフレッドバルビーニ(A.Barbini)のサイン





またワークショップで作った作品は「Barbini」としてのみ署名されています。


バルビーニの作品が賞賛されるのであれば、彼のワークショップも
同じ評価を受ける価値がありました。


1960年代半ばに建設されたバルビーニの炉自体は、ガラス製の工場以上に、
ゴシック様式の大聖堂に似た芸術品で、色の濃い色と光の反射を
照らし合わせたステンドグラスの窓から照らされていました。


アルフレッドは息子のフラヴィオと彼の娘オセアニアをガラス製作の芸術を紹介し、
彼の全財産を残しました。


バルビーニは2007年2月13日に死去し、ムラーノ島と
世界全体にガラス工芸の豊富な知識と技術を残すと同時に
古い工芸品を現代美術に変化させました。

いかがでしたでしょうか?

アルフレッドバルビーニがベネチアングラスに与えた影響は
ムラーノ島の中でも非常に有名な話なのです。


これほどまでの優れたガラス職人が後世に残した技術を使い現在でも
ベネチアングラスは制作されています。


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