ジラールペルゴ(Girard-Perregaux)の腕時計とクロノグラフの歴史

ジラールペルゴの看板

時計作りのイノベーション(革新)は全ての会社が目指すものとなった。イノベーションは創造性の同義語であり、時計業界でビジョンと才能を持つことであるのです。


ジラールペルゴはスイスの時計メーカーの1つで、常に高品質で厚い信頼を得ること、さらに並外れた「サヴォアフェール(才覚)」を維持することで、そのブランドを時計界で最も美しい宝飾品と際立たせています。

つまり、ジラールペルゴは独自のムーブメントを生み出しているのです。

1971年、ケース組立工、施盤工、時計メーカー、金細工職人としてそれぞれ見習い経験を積んだ若者ジャン=フランソワ・ボットがジラールペルゴを生み出しました。

19歳の時ボットは彼が初めて制作した時計にその名を刻んだのです。

彼の時計はとても薄いことで知られ、時計職人としてその才能を見せていました。

ジュネーブはかつてボットが経営した工場があった場所で、その間彼自身もそこに住んでいました。

ジュネーブの工場でボットを訪れ、その才能を讃えた名立たる著名人の中には、イギリスのヴィクトリア女王もいました。

また、ボットはヨーロッパ全土の裁判所と取引しており、聡明で敏腕のビジネスマンとして彼の才能を見せつけ、その時代最も有名な時計職人でありました。

数年後、ジャック・ボットとジャン・サミュエル・ロッセルがその産業・文化的に大変優れた工場をボットから引き継ぎました。

その後、1852年にコンスタン・ジラールがジラール社を創設します。

その2年後にジラールはマリー・ペルゴと結婚し、1856年に2人の名前を合わせたジラールペルゴをラ・ショー=ド=フォンに創設します。

間もなくして父親からジラール=ペルゴの工場を受け継いだコンスタン・ジラール=ガレットは、労働者に精密さを求めたことで、ジラール=ペルゴを国際腕時計品評会の審査員の永久的な座を手にしました。

ガレットは古くから有名なボットの会社を買収し、ジラールペルゴ社としました。

ジラールペルゴの時計は全ての業界で成功を収め、その例の1つにジラールペルゴの時計はフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵が20世紀、自身の飛行船の飛行試運転の際に時間を計るために使用されたことがあります。

ジラールペルゴ社は常に変化をしてきたが、ドイツの腕時計メーカーであり、ミモの所有者であるオットー・グラエフがジラールペルゴの株を購入したこともその変化の1つであります。

この結果、コンスタン=ジラールの創設より50年ほど経った1930年、ジラール=ペルゴは懐中時計よりも腕時計を売上げるという快挙を達しました。

ジラールペルゴのブランドが新しい市場ヨーロッパとアメリカに製品を導入したことを除いて、この成長と共に生まれた腕時計の1つが防水のシーホークモデルです。

一方、ミモはヨーロッパ市場に力を入れていました。

その後、時計製造界では、後にヴィンテージ1945と呼ばれる、アートデコに影響を受けた長方形モデルが誕生します。

成長を続けながら、ジラールペルゴのブランドは自社に研究開発部署を持つ数少ない製造会社で、同社が発展するために重要で革新的な動きを生み出すことに一役買っていました。

そのうちの1つに、高周波動作機能(36,000回振動/時)のジャイロマチック(自動巻き)の製造ラインを備え付けたことが挙げられます。

この機能が備わった時計は正確であることを意味します。

この革新的変化の認識で、1967年ヌーシャテル天文台は認定したクロノメーターの70%以上はジラールペルゴの高周波クロノメーターであると発表します。

その偉業により弾みをつけたジラールペルゴは、スイスで初の産業界においてクォーツ時計を生産する会社となりました。

ジラールペルゴのエンジニアによって決められたその周波数は32,768HZで、クォーツ時計の世界基準として今なお使われています。

その後、ジラールペルゴは磨かれた八角形の溝縁で梨地仕上げのブレスレットになっているスポーツモデルのロレアートを発表します。

スイスの時計業界が同社のクォーツ時計に湧いている中、名高い時計会社ジラールペルゴは昔ながらの仕組みの時計に立ち戻ったことは驚きでした。

ジラールペルゴの熟練した時計職人が、有名なトゥービリオンをスリー・ゴールド・ブリッジの懐中時計として20個のレプリカを制作しました。

1991年、ジラールペルゴの200周年を記念したトゥービリオンのスリー・ゴールド・ブリッジの懐中時計のミニチュア化された腕時計に人々は歓喜しました。


1992年、イタリアの起業家であり建築家、元レーサーのルイージ・マカルーソがジラール=ペルゴの社長に就任します。

マカルーソ率いる同社はフェラーリとブランドライセンス契約を結びました。

このことで、フェラーリのシンボルであるカヴァッリーノ・ランパンテが刻まれた、スプリット・セコンド・クロノグラフが限定シリーズが制作されました。

フェラーリとの契約により、有名なスポーツモデルやグランドコンプリケーションが生まれました。

多くのスイスの時計会社がこの読めない動きに驚かされている中、ジラールぺルゴは工場の規模を拡大し、超薄型時計であるGP3000、GP3100を発売しました。

1998年、20世紀初めの建物であるビラ・マーガレットを買収し、同社の博物館にリニューアルします。数年後、ジラール=ペルゴは人気のトゥービリオンのスリー・ゴールド・ブリッジの自動巻きバージョンを発表し、SIHH(国際高級時計展)への参加を記念しました。

この製品には純プラチナのマイクロローター(1999年特許取得)が香箱の下に搭載されています。

同時期に、コラムホイールクロノグラフの直径23.3mmの新製品がジラールペルゴの商品に加わりました。

さらに、ジラールペルゴは新しいデータシステムを搭載し、月の満ち欠けを示す大きなディスプレイ画面と、クロノグラフを搭載し世界各国の時間を示すww.tcを発表します。

とどまることを知らないジラールペルゴは、新しいクォーツ時計と、女性をターゲットにした、複雑性を減らしたキャッツアイを発表しました。

ジラールペルゴが関わった数々の偉業の中のひとつに、MMWオラクル・レーシングチームと共にアメリカズカップに参加したことが挙げられます。

最終的に、グシュタードに同社初のブティックをオープンし、手動巻で8口径のGP2700と13口径のGP4500を新しい商品として追加しました。

紹介が最後になりましたが、同社にとって大変重要であるトゥービリオンを技術的に優れ革新的な新たなバージョンとして3サファイアブリッジ ロレアートEvo3トゥービリオンを生み出しました。


ジラールペルゴのコンペティツオーネシリーズの紹介

ジラールペルゴのクロノグラフ腕時計

ジラールペルゴは1966ドゥアル・タイムとエスメラルダ トゥービリオンの発表でバーゼル・ワールド2016で素晴らしい成功を収めたが、まだ新しい商品シリーズのヴィンテージクロノグラフであるコンペティツオーネについてはまだ触れていません。

この商品シリーズにはストラダーレとサーキットの2つのタイプがあります。

ジラールペルゴは1950年代、1960年代に製造したレーシングクロノグラフで知られており、シンプルなカバーのデザインと全体のバランスで愛されました。

コンペティツオーネシリーズは、42mmのカバーの中に同じヴィンテージの仕様になっています。

同シリーズは2つのタイプがあり、ストラダーレとサーキットです。

どちらも本質的には同じ時計(サイズ、自動巻き、46時間作動)ですが、1つはスチール製(ストラダーレはスルバーかブラックの文字盤)、もう一方はチタンとカーボン(サーキイットは蜂の巣の文字盤)になっています。

ジラールペルゴクロノグラフ腕時計の画像

ストラダーレはその伝統的な線や見た目から、クラッシックコレクターに人気です。
秒針、30分針、12時針の文字盤が特長です。
更に日付枠も秒針と12時針の4時を示す間にあります。

時計はGP03300自動巻きが原動力になっていて、先にも述べた通りブラックかシルバーの文字盤、ブレスレットタイプかワニ革ストラップを選べます。
ジラールペルゴのクロノグラフ腕時計

サーキットはコレクションの中でも最先端を行くもので、チタンとカーボンの複合物で出来ており、ストラダーレと同じく42mmカバーとなっています。
ブラックの蜂の巣状になった文字盤に赤のアクセントがあり、レイアウトは同じです。