バルジュー7750(ETA7750)とタグホイヤーの歴史
ETA7750とタグ・ホイヤーの歴史
タグホイヤーのキャリバー16としても有名なETA7750ムーブメントはおそらく最も成功した自動巻クロノグラフムーブメントです。ETA7750のムーブメントは様々なブランドに採用され広く普及しました。
キャリバーはCOSC(スイス公式クロノメーター検査委員会)の定めるクロノメーター基準に合いやすいため、IWC、Tudor(チュードル)、Panerai(パネライ)、Hublot(ウブロ)やTAG Heuer(タグホイヤー)といった幅広い高級ブランド製品に使用されています。
しかし時計業界が2014年にムーブメントの40周年を迎える年にETA7750の時代は終焉を迎えようとしていました。
ETA7750はスイス時計業界の歴史を反映した製品です。
1970年代初期、1970年代中期のクオーツ革命で、スイス時計業界が産業危機に直面し
ETA7750の生産は中止となります。
危機が落ち着いた1980年代中期に再びETA7750の生産が始まりました。
1990年代後半までにETA7750は世界で最も人気を博した
自動巻クロノグラフムーブメントとなりました。
1975年に製造中止となったキャリバーにとって喜ばしいことです。
7750の開発
ETA7750はバルジュー社によって開発されました。バルジュー社はASUAG(連邦、銀行、スイス時計商工会議所、UBAHおよびFHの 支援を受けて設立された団体)の傘下である伝説のムーブメントメーカーです。1931に設立されASUAGは多くのスイス独立系ムーブメントメーカーを統合しました。
1970年代初期までにASUAGはcertina(サーチナ)、Edox(エドックス)、Eterna(エテルナ)やLongines(ロンジン)と合併しました。 ETA7750の起源は1966年にバルジュー社の傘下となった
ヴィーナス社の製品が元となっています。
世界で最も著名な自動巻クロノグラフムーブメントの多くは1960年代後半の軍備拡張競争の最中に開発され1969-1974年に革新の黄金期がきました。
ホイヤー、ブライトリング、ハミルトンクロノマチック(1969)、セイコー6139(1969)ゼニス・エル・プリメロ(1969)そしてレマニア5100(1973)が相次いで発売されました。
バルジュー社は手巻きクロノグラフで業界を牽引していましたが、時計職人エドモンドを1970年代初期の新型 ムーブメントの開発責任者として任命しました。
自動巻き業界にやっと開発の流れが出来ました。
手巻きのバルジュー7733(ヴィーナス188の後継製品)を元に、1973-1974に7750は世界初のコンピュータで設計された時計として市場に出回りました。
信頼性が高く、コストパフォーマンスに優れたキャリバーである7750は現代のライバル会社の時計と比べても比較的厚くて大きい製品です。
7750からはソニックシグネチャーと呼ばれているローターの回っている音が聴こえます。
片方向巻上げで、ローターが比較的大きく重いので、ローターがどちらに回っても自動的にゼンマイを効率よく巻き上げます。
腕時計をしていると、揺れによってローターが片方向に回転しネジを巻きあげる振動を感じ取ることができます。
バルジュー7750の初期バージョンの石数は17で振動数は21,600bphと28,800bphです。
クォーツショック
幸先の良いスタート(初年度約100,000ユニット)にもかかわらずバルジュー7750は1975年までにほとんどの生産は中止してしまいました。
日本で低価格のクオーツムーブメントが開発され高級スイス時計は打撃を受けました。
(世界初の市販クォーツ腕時計は1969年のセイコーから販売された「アストロン」)
需要が減り1975年に製造を中止したにもかかわらず1980年代初期までバルジュー7750は販売されていました。
ゼニス社のエル・プリメロでも起こったように、現地の製造者が7750製造に使用していたダイスや設備を処分しようとして発注を受けなかったのです。
発注企業から設備を隠してしまったのです。
ホイヤーとバルジュー7750
1960年代に、バルジュー手巻きムーブメントの大手顧客としてホイヤーは自社のキャリバー11エンジンを保有していましたが、7750ムーブメントを搭載した時計も作っていました。
ホイヤーが2種類の新モデル‐ケンタッキー(下)とパサデナ‐を発売した1977年に初めての7750搭載品が作られました。
ケンタッキーは比較的販売期間は短く(1977-1978)パサデナはホイヤー一族の経営が終焉を迎える1982年まで販売されていました。
ホイヤーは1981年にパサデナと似た設計の二代目ホイヤー・モントリオール(下)を発売しました。
なぜホイヤーは1982年にバルジュー7750の使用をやめたのでしょうか。
需要が減少したからではなくホイヤーの新しい共同経営者であるLemania(レマニア)の方針によるものでした。
バルジューがASUAGの傘下に入ったとき、レマニアはライバル会社のSSIHにいました。
ASUAGとSSIHが1980年代初期に合併しスウォッチを構成したとき、組織改革が必要でした。
スウォッチがすでにETAやバルジューのムーブメントメーカーを傘下に収めていたので、レマニアはSSIHをNouvelle Lemania(ヌーベル・レマニア)として新しい独立系企業としました。
その後レマニアはスウォッチグループ傘下に戻っています。
Breguet(ブレゲ)は自社製ムーブメントはレマニアが作ったと言っています。
ヌーベル・レマニアは1982年にホイヤーを買収するためにピアジェと合併しました。
ホイヤーがレマニア自動ムーブメント(レマニア5100とLWO283)を確実に使用出来るようにするためです。
1980年代初期、7750の新製品が7年以上も発売されていなかった状態下で、ホイヤーによるバルジュー7750の使用はそのブランドヒストリーの中では比較的短命に終わるかと思えました。
1985年7750の再生
スウォッチグループの設立後、経済が落ち着き始め1985年にバルジュー7750製品は再び製作が開始されました。
バルジューは7750の品揃えをムーンフェイズコンプリケーションのように増やそうとしました
なぜ7750が復活したのでしょう?
旧ホイヤーと、クロノスイスの創始者ゲルト・リュディガー・ラングは2008年Watch Timeで下記のように語りました。
バルジュー7750の特徴は並外れた強さと故障しにくさを持った自動巻き機能です。
費用対効果比が優れています。
どのクロノグラフでも修理が難しいとされている経過時間を計測する機能に関する作業が必要ではないので修理が簡単です。
7750が設計されて以来何回かの改良が重ねられてきました。
例えば1980年代初期クロノスイスはメタル製ブロッキングレバーを製造し、搭載した世界初の会社です。
ETAはその後変革を採用し自社のムーブメントに取り入れました。
このキャリバーは非常に新しい装置だと一般的に思われているかもしれません。
他にクロノグラフを搭載したモデルがないのですがから勿論異存はございません。
全体的に薄くし、大きな日付表示やパワーリザーブ・インディケーターを搭載した作品も見てみたいものです。
しかし、私たちの望みは今後も長きにわたり7750モデルの製造を続けてくれることですね。
ークロノスイス Uhren GmbH創設者、経営者ゲルト・リュディガー・ラングー
7750の生産は1990年代までに約200,000ユニットまで盛り返し、ムーブメントは多くの時計ブランドのデフォルトのムーブメントになり供給面ではスウォッチグループの独占となりました。
他の時計メーカーにとってもムーブメントを自社開発するにはメリットが余りありません。
1990年代:タグ・ホイヤーと7750
1997年、タグ・ホイヤーがS/el クロノグラフ(下)と2000クロノグラフに7750を搭載して再販しました。これをきっかけにタグ・ホイヤーは様々な時計に機械式ムーブメントの再導入を開始しました。ですが、ほとんどのタグ・ホイヤーのクロノグラフ製品はクオーツでした。
1982年経営者の交代で、ホイヤー社による7750の使用は終わりを迎えました。
2001年タグ・ホイヤーの経営者としてLVMHが就任しました。
LVMHは機械式クロノグラフに力を入れた戦略を繰り広げました。
2000年代 タグ・ホイヤー・キャリバー16
7750は2000年代にバルジューのブランドで販売され、後にETA7750として知られるようになり、タグ・ホイヤー社のムーブメントとして2001年リンクリシーズのようなタグ・ホイヤーの様々な製品に使用されました。
以後2005年のCarrera(カレラ)新モデルに搭載したことでタグ・ホイヤー社のムーブメント
飛躍的に使用されるようになりました。
タグ・ホイヤーが1996年にカレラの復刻版をレトロ・ノベルティ(量産ではない)として
発売しました。
20年以上もの間タグ・ホイヤーは最初のデザインを使用してきましたが2005年にデザインが変わりました。
新デザインに加えタグ・ホイヤーは7750に自社の命運を預けて完成したのがキャリバー16です。
キャリバー16はCarrera(カレラ)、Link((リンク)(下)、Aquaracer(アクアレーサー)といったタグ・ホイヤーの多くの時計に搭載されています。
2010年キャリバー1887の到来
スウォッチグループはタグ・ホイヤーのようなライバル企業へのムーブメント供給を止めたことでスイス独占禁止規制当局と長らく対立をしているのをご存知の方もいらっしゃるでしょう。
ETA7750を使用できない時をふまえ、タグ・ホイヤーはセイコー6S78の使用権利を取得しました。
セイコー6S78はタグ・ホイヤー・キャリバー1887としてスイスで組み直され製造されました。
キャリバー1887は7750と同じ文字盤のレイアウトを使用しているのでETAムーブメントの交換が簡単です。
どの新しいムーブメントにとっても工業化の過程は非常に重要であることをタグ・ホイヤーは学んだ。
2010年代タグ・ホイヤーの時計が非常に人気であったのでキャリバー1887の供給は需要に追いつきませんでした。
まだキャリバー16が必要とされている証拠です。
伸びる需要の中、ETA7750の需要は減少していきました。
スイスの多くの時計産業がしたように、タグ・ホイヤーも他のスイス企業に目を向け始めました。
その企業とは、何年も細々とETAの孫請けとしてETA7750を組み立てていたステラでした。
ステラ SW500-2012
ETAの昔のムーブメントに対する特許権の保護が切れたので、ステラは市場の製品不足を補うためETAムーブメントそっくりのムーブメントを製造しました。
2012年販売が開始されたステラSW500は、元来ETA社の為に7750の製造をしていたステラが製造したETA7750です。
今日タグ・ホイヤーは数種類のモデルにキャリバー16を搭載しています。
元をたどれば、キャリバー16はETA7750でもありステラSW500でもある訳です。
キャリバー1887の製造は増加し新キャリバー1969は2014年にお目見えする予定となっています。
キャリバー16の終焉?
タグ・ホイヤーのETA7750に対する信頼は急速に落ちています。
独禁法に違反しないで、スウォッチグループがタグ・ホイヤーへのETA7750供給を確実に中止出来るようになる可能性がある状況下では、この信頼低迷は悪いことではないでしょう。
キャリバー16の需要が後数年あるなら、ステラSW500の時代は終わることになるでしょう。
部品がプラスティックにもかかわらず、コレクターがよくLemania5100(レマニア)の歴史を並び立て称賛しているのを見ますが、ETA7750については、魅力的なストーリーではあるものの頻繁には目にしません。
おそらく特有の12-6-9配置は3-6-9トリコンパックスより面白みがないのと、ETA7500ムーブメントの厚いスタイルのせいでしょう。
7750の成功はムーブメントが分解でき、汎用性があることです。
低価格性、頑丈さ、そして正確な動きを追求する時計ブランドは皆7750を選ぶでしょう。
高級で他の人が持っていないような時計を好む人たちにとってはETA7500の長所が魅力のないものに映るのかもしれません。