ユニバーサル・ジュネーブ社 ポールルーターの歴史

時計のデザインと言えば、おそらくジェラルド・ジェンタのデザインほど有名なものはないでしょう。それには理由があります。
スイス生まれのこのデザイナーのおかげで、時計業界屈指の超人気ロングセラーデザインのいくつかが誕生したのです。

中でも有名なのは、ロイヤルオークやノーチラス、インジュニアSL

ただ、こうした有名デザインを抜きにしても、ジェンタは個性的なデザインをロレックスからオメガ、セイコー、ベンラス、ハミルトン、果てはタイメックスに至る各種時計に注入し、数え切れないほどの企業の製品ラインに貢献する輝かしい経歴を築いてきました。

ユニバーサル 腕時計



また、ジェンタが誇る時計のデザインへの貢献の一つにその初期の作品があります。
そのデザインができたのは、彼がオーデマ・ピゲ、パテック・フィリップ両氏と仕事をする20年近く前のことでした。

1954年、ユニバーサル・ジュネーブは当時23歳のジェンタを指名し、スカンジナビア航空のニューヨーク/ロサンゼルスからヨーロッパへの極地便の就航記念に、時計のデザインを依頼しました。

この時計はポーラルーター(後にポールルーターに改称)として有名になり、その後ユニバーサル・ジュネーブが作る一連の時計で大きな成功を収めるもととなります。

これからポーラ(ポール)ルーターにまつわる起源と歴史をさらに詳しく見ていきましょう。

ユニバーサル・ジュネーブ



1947年、3社が統合されスカンジナビア航空ができました。
航空機の歴史から言えば、同航空は多くの点でパイオニア的存在だと言えます。

1952年、スカンジナビア航空は、当時ダグラスDC-6B「Arild Viking」がロサンゼルス・コペンハーゲン間を28時間で就航、民間航空機として初の北極航路を築きました。

その1年後、同航空はノルウェー・アラスカ間をテストフライトし、史上初の北極点越えを実現。

さらに1年後の11月14日、スカンジナビア航空は極圏を近道として利用しコペンハーゲン・ロサンゼルス間の就航に成功し、飛行時間を36時間から22時間に短縮。

スイス紙はこの偉業を「千年に一度の新商業航路」と絶賛しました。

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しかし、北極点の上を飛ぶことで磁力という深刻な問題が新たに生まれました。

まず、スカンジナビア航空は、極点に見られる強い磁場を克服する全く新しいナビゲーションシステムを開発しなければなりませんでした。

また、時間管理という別の問題もありました。北極点上空を飛ぶことで、パイロットや乗員が身に付ける計器に乱れが生じたのです。

そこで、スカンジナビア航空のオフィシャル・サプライヤーであるユニバーサル・ジュネーブが、防磁設計された時計作りに特化して選ばれました。

そして、コペンハーゲン・ロサンゼルス間の歴史的フライトを記念し、ユニバーサル・ジュネーブは当時あまり知られていないジェラルド・ジェンタを取り込み、時計をデザインさせ、それを同社の公式パイロット時計としてスカンジナビア航空に供与したのです。

ジェンタの参加により、ポーラルーターというふさわしい名前が付きました。

初め、乗員がロサンゼルス国際空港に降り立った際、この時計は配られました。文字盤にスカンジナビア航空のロゴが入っているのが特徴で、これまでに数百個しか支給されていないとのことです。

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ポーラルーターが正式に発売されたのが1954年。

当初のデザインは34.5mmのケースに丸く張り出した豪華なラグと奥ゆかしいダイヤル、きめのあるインデックス・リングが特徴で、シリーズの基礎となっていましたが、後のモデルは当初のデザインにある程度変更を加えています。

1年後にはポールルーターと名前を変えましたが、改名してもその面影が変わることはほぼありませんでした。

1969年頃まで、ユニバーサル・ジュネーブはポールルーターのコンセプトを崩すことなく同種の製品を作り続けることに。

中でも、ポールルータージェット、ポールルーターデラックス、ポールルータースーパー、ポールルータージュネーブ、ポールルーターコンパクト、ポールルーターデイデイト、ポールルーター「NS」、ポールルーターサード、ポールルーターサブなどが有名です。


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(初期のポールルーターの一部はもちろん)ポーラルーターには、初期のスカンジナビア航空の時計に見られた(1948年に発表された)のと同じCal 138 SSバンパームーブメントが取り付けられていました。

1955年、ユニバーサル・ジュネーブは、ポールルーターにその手のものとしては初めてとなる、新しい215マイクロ・ロータームーブメントを取り付けました。


この画期的な215が初めて発表されたのが1955年のことでしたが、ビューレンとの法的な争いのため、ユニバーサル・ジュネーブは1958年まで同ムーブメントの特許を取得できませんでした。

その結果、初期の215にはローターの下に「特許権係争中」の文字が刻まれていたのです。

215に続いて発表されたのが218で、215に基本的改良を加えたのが特徴でした。特に微調整に関してはそれが言えます。


218-2は、ポールルーターデイトレンジに広く採用されています。



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1962年、ユニバーサル・ジュネーブは、おそらく2種類の有名なマイクロローターシステムのバージョン、cal.68とcal.69を発表しました。

この2種類のバージョンには、油が流れるのを防ぎ、結局のところ分解修理の頻度を減らす科学的処理を含む多くの改良が見られました。

また、その特徴として、55時間にもおよぶ素晴らしい電力の蓄積が挙げられます。

cal.69はポールルーターサブやスーパーモデルに多く見られました。



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初期のポーラ(ポール)ルーターの一部は別として、日付部分のバリエーションはコレクターの間でも根強い人気でした。

台形の飾り窓が美しく、タッチも初々しい。

日付部分に見られる遊び心満載のフォントもまたしかり。

型にとらわれないガラス蓋には飾り窓の形にマッチしたルーペが配してあり、稀に見る逸品のため、手に入れば運が良かったと喜ぶべきでしょう。



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ポールルーターサブもまた、コレクターの間では人気のバージョンで、ユニバーサル・ジュネーブが1961年から1968年頃にかけて製造しました。

このモデルには2種類の正式バージョンがあります。

初期の(珍しい)EPSA製デュアルクラウンスーパーコンプレッサーと、(ここに示す通り)後に出たシングルクラウンモデルがそれです。

シングルクラウンが今日比較的よく見られる一方で、スーパーコンプレッサーは信じられないほど出回っていません。

ましてや保存状態が良いものにはまず出会えませんし、出会えたとしても残念ながら偽物である場合がほとんどです。

スーパーコンプレッサーには2種類のバージョンがあります。

初期のバージョンは、弓なりのラグが付いたケースやベゼルに刻まれた繊細なレタリング、時針の中に並ぶ小さな光の点がその特徴。

後のバージョンは、面取りを施した一直線のラグが付いたケースや極太の印字、光る文字盤がその特徴となっています。

初期のバージョンは、ポールルーターの中では極めてまれな時計の一つです。

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長年にわたり、ポールルーターは、ユニバーサル・ジュネーブカタログの中では最高級時計に位置付けられてきました。

総体的に見て、1950年代後半、スチール製のポールルーターは、ロレックスエクスプローラーとほぼ同じ価格で販売されていました。

1969年に当初の勢いに陰りが見えても、ポールルーターは80年代後半から90年代前半にかけて復活を試みましたが、クウォーツモデルは世間に受け入れられず、あえなく失敗に終わりました。


今日、おそらく数年前ほどの数は見込めないものの、ヴィンテージ物はいとも簡単に見つかります。

とは言え、ユニバーサル・ジュネーブポールルーターは、依然ジェンタのデザインの中でも最も求められる安心価格の時計であり続けています。