日本のガラス ガラス用語集 (氷コップ)
ガラスについての用語集
アイリッシュ・カットグラス
このカットグラスは、アイルランドで18世紀頃からさかんに作られるようになりました。
イングランドにあった、多くのカットグラス工場は、規制上有利なアイルランドのこの地へと移転してきましたので、イングランド製のものと区別がつきにくくなっています。
しかし、それでも次第にアイルランド特有のスタイルが作られるようになったのです。
これは、日本のカットグラスにも大きな影響を与えたと言われています。
あられ文
これは、断面がV字型をしている工具を使って作られています。
格子状に線を彫り込むことで、先の尖ったピラミッドの形のカットを一面に施したものです。
ダイヤモンド・カットとも言われています。
魚子文というものもあり、これはあられ文のカットの間隔をせまくして細かく掘られたもののことを言います。
板ガラス
昔から鏡や窓ガラスとして使用されてきたのが、板ガラスです。
とても重要な製品でさまざまな製造方法が試されてきました。
クラウン法や鋳造法といった製造方法は、伝統的なものとなります。
明治初年には、円筒法という製造方法が日本で導入されました。
これは大量のガラスを吹き竿の先端に巻き、細長い風船のような形に吹くのです。
そうして、両端を開いたり切ったりして円筒を作ります。
それから縦に切れ目をいれて、延展炉の中で加熱し、柔らかくなってから平に押し開く方法のことを言います。
しかし、ガラス板を作るのは、他のガラス製品を作るときよりも、高度な技術が必要とされています。
設備も同じように高度なものが必要なのです。
そのため、この方法で板ガラス製造が日本で軌道に乗るためにはなんと、30年以上もの長い月日が必要となってしまったのです。
その後も、建築用の材料としてますます需要が高まると、板ガラスの製造方法はさまざまな革新が行われました。
機械化や自動化がされていくに従って、現在では熔けた錫の上に、ガラスを流しこみ、平滑な板ガラスを作るフロート法と呼ばれる製造方法が一般的となっています。
色被せガラス(被せガラス)
複数色のガラスを、二層以上に重ね合わせたもののことを言います。
色ガラスを透明なガラスの外側に被せたものが多くあります。
これに地のガラスとの対比によって文様を表すために、カットやグラヴュールなどを行い、上層のガラスを部分的に削り取るのです。
色を重ねる方法には、吹き竿の先にある透明ガラスに固まりの色ガラスを鎔着して包み込む方法。
色ガラスを型の中に吹き込み、さらにその内側に透明ガラスを吹き入れて、取り出し、成形する方法。
透明ガラスの玉の中に、坩堝の色ガラスを巻き取る方法というような方法があります。
種類の異なるガラスを重ねるためには、膨張係数を合わせなくてはいけません。
そこが難しいポイントでもあるのです。
しかし、これは古くはローマ時代から行われていました。
「ポーランド・ヴァーズ」のようなカメオ・グラス。
アール・ヌーヴォー期のガレの作品などによく使われていたのです。
日本では、幕末の薩摩切子など明治以降も美しく優れたカットグラスの作品が生まれているのです。
エッチング
エッチングというのは、強力な酸の力を利用して、ガラスに侵蝕させ文様を彫り込む方法のことをいいます。
フッ化水素酸、もしくはフッ化水素酸と硫酸の混合液を使います。
やり方としては、まずワックスなどをガラスの面に塗り、保護膜を作ります。
それを部分的に剥がして、酸に浸けるのです。
そうするとそこだけ侵蝕され、ガラス面に凹凸が出来るのです。
酸の濃度や浸ける時間に変化を浸けることで、侵蝕の具合を変えることができます。
比較的新しい技法となっているのですが、グラヴュールよりも簡単にガラスを掘ることが可能です。
そのため、ガレやドームたちがアール・ヌーヴォーの時代にこの方法を色被せガラスに使った装飾製品を多く生産し、大変な流行となったのです。
日本には、品川硝子に外国人の技師からこのやり方が伝えられました。
宮崎竹次郎がここでその技術を習得し、明治25年(1892年)には、この方法を専門的にスタートさせていたようです。
外山順三もこの方法の研究を明治20年より前から続けていました。
その結果、宮内省にも納めるようになるのです。
製品の種類としては、食器類や灯火具の笠などが多くあります。
蝋を塗った場所に模様を彫り込む機械が、明治の末年頃に導入され、さらなる量産がスタートしたのです。
酸を利用した腐食は、これだけではなく、カットの仕上げに光沢を与えるために使われたり、ガラス面の艶消し状に仕上げるということに利用されています。
江戸切子
薩摩藩で江戸時代に作られた薩摩切子。
それに対して江戸で作られていたと考えられているカット製品のことを、江戸切子と呼んでいます。
しかし、色被せガラスのカットに関しては薩摩切子に帰せられていますが、単色の透明ガラスのカット製品に関しては、どれが江戸製のものなのかというところは、現在でもハッキリとはしていません。
カットの作業は手作業で行われています。
昭和60年度に、東京都の伝統工芸品に指定されました。
この江戸切子は、品川硝子で英国人の技師からカットの技術を学んだ伝習生(山田栄太郎、酒井六三郎、池田助七、高野清二郎、大橋徳松、黒田作太郎、八重田常吉、今村仁之助)らを始まりとして、彼らの弟子たちが受け継いできた東京地方のカットグラスなのです。
エナメル絵付け
色ガラスの粉末からできた顔料を油で溶いてガラス面に塗り、陶器の上絵のように低温で焼き付ける装飾法のことを言います。
焼き付けの温度には、顔料によって違いがあります。
そのため、複数の顔料を使用する場合は、何度かに分けて焼き付けを行う必要があるのです。
この方法は、ローマの時代から行われてきました。
イスラムのモスクランプなどに優れた作品が残されています。
日本では、松浦玉圃が明治時代に大変な苦労をして研究を行っていました。
そして、電球の記号や、コップの線模様などを白色顔料を使って入れることに使用されていたのです。
橘硝子製造所では大正時代から装飾的な製品が作られていました。
オパルセント・グラス
半透明でオパールのような色調のガラスです。
乳白色ガラスの一種でもあります。
調合の具合によっては、光の加減で淡いブルーや黄色みがかって見えることもあります。
花縁(はなぶち)
花弁のような装飾の形にカットし、整えられたもののことを言います。
ガラス製品の口縁部が輪花形かそのヴァリエーションになっています。
型押し
ガラスに型の模様や形をうつして成形する方法のことをいいます。
まだ柔らかい状態のガラスと型を押し付け合って作るのです。
プレスド・グラス(プレスガラス)といいます。
簪の飾りというような一部のものに、江戸の時代には使われていました。
しかし、品川硝子で洋式の製法が導入されると、複雑な模様も可能となりさらに普及することになったのです。
江戸時代後期になると、模様が複雑な型押しの食器類などが多く生産されるようになりました。
生産された食器類は海外へも輸出されるようになったのです。
プレスド・グラス技術は比較的近代の技術です。
もともと19世紀の初め頃に、カットグラス製品のコピーを製造するために考えられた技術なのです。
方法としては、模様のある型の上に、焼けたガラスを置き、プランジャーという内型を上部から強く押し付けてガラスを外側になじませました。
このとき、置くガラスの量や型が適切かどうかが製品の完成度に変化が出てきます。
型吹きとは違い、容器の内側は、内型の形に対応しています。
さらに複雑な形をした製品を作る際は、複数に分解することができる割型が使用されています。
型吹き
型吹きというのは、吹き竿に巻き取ったガラスに空気を入れたパリソンと呼ばれるものに、空気を吹き込むことでガラスを型になじませます。
そして、その模様や形を写し取る方法のことを言うのです。
ガラスの内側も型の模様と同じものになります。
吹きガラスがはじまったローマ時代に、時を同じくして考案されました。
この方法を使うことにより、複雑な模様のものであっても、簡単に製品を量産させることができるようになったのです。
型の材質はさまざまあります。
鉄、銅、石、木などです。
割型は複雑な形や模様の場合に使用されます。
カット・グラス
グラインダーと呼ばれる回転円盤を使用して、彫り込むことで文様を表現したもののことです。
このとき、ガラスの表面には研磨剤と水を付けています。
幾何学的文様が表現されるのが特徴となっています。
具象的な文様を彫り込むグラヴュールとは雰囲気が異なります。
断面の形や、サイズは円盤によってさまざまあるのです。
水平だけではなく、V字やU字などもあります。
どの円盤を使用するかによって、カットされるパターンが変わってくるのです。
この方法は、ローマ時代から広く行われてきました。
この技法にあった鉛クリスタルグラスが、17世紀にイギリスで開発されたことにより、盛んになりました。
日本で行われ始めたのは、幕末頃と言われています。
しかし、その当時は円盤ではなく、鉄でできた棒状の形をした工具で彫られていたのです。
この工具での製法は明治時代になっても、まだしばらく続けられていました。
洋式製法が導入されたのは、品川硝子がきっかけとなったのです。
品川硝子で使われるようになったことで、次第にその方法が普及していきました。
伝統的な東京のカット・グラスの製造方法をご紹介しておきましょう。
まず、鉄製や石製の回転円盤を使用して、デザインのあたりをつけたガラスに金剛砂の粒子を細かくして粗削りをして、石掛けを行います。
最後に磨き粉を付けて研磨するのですが、このときの回転円盤は柳や桐といった木製のものを使用します。
磨き粉は、房州砂のようなものです。
ときおり、毛ブラシ盤やバフと呼ばれるフェルトの回転車を使って、ツヤ出しをして仕上げたのです。
現在では、石や鉄でできた円盤ではなく、ダイヤモンド・ホイールなどを利用しています。
他にも、最後の研磨工程をフッ化水素酸と硫酸の混合液に浸す酸磨きをすることが多くなってきています。
ギヤマン
ポルトガル語やオランダ語から転じた言葉となっています。
ザクロやダイヤモンドというような硬石などのことを、最初の頃は表していました。
これらを使用して彫ったダイヤモンド・ポイント彫り、グラヴュールのことなどもギヤマン彫りと言うようになったのです。
次第にこのような技法で装飾されたガラス製品のこと、そのものをギヤマンと呼ぶようになってきました。
それまで和製の粗末なガラス(びいどろ)よりも、舶来ガラスのように透明で、丈夫な製品のことを19世紀頃に入るとギヤマンと呼ぶようになったのです。