英国(イギリス)の高級陶磁器ブランドロイヤル・アルバート(Royal Albert Bone China England)ってどんなブランド? 

ロイヤル・アルバート

Royal Albert Bone China England(ロイヤル・アルバート・ボーンチャイナ・イングランド)はスタフォードシャーで1896年、トーマス・ワイルドにより設立されました。ロイヤル・アルバートは歴史の中でも最も有名な陶磁器の柄を持ったメーカーです。
どの柄でしょう?Old Country Rosesオールド・カントリー・ローゼスがそれです。陶磁器の最高傑作で、他の柄をはねのけて、基準を作り上げた柄です。
ロイヤル・アルバートの花柄は、もちろんThe English Country Gardenイングリッシュ・カントリー・ガーデンにインスパイアされたものです。

ヴィクトリア女王の60周年式典

1896年、トーマス・ワイルドは、アルバート工房として知られる工場を買い取りました。この工房の名は、プリンス・アルバート生誕祭の一年前に名付けられていました。
ブランドはアルバート・クラウン・チャイナの名で取引を行っていました。1904年、ヴィクトリア女王の60周年式典にて式典のために一式を作成した働きが認められ、Royalの名が与えらえました。
右側に表示してあるのは、最新のロイヤル・アルバートのオークションの画像です。
これはアップデートされるオークションの値段を調べるのに指先一つで済む、最も便利な方法です。定期的なチェックをおすすめします。ワンクリックで行える特別な方法です。
いくつかはBuy-it-nowの値段を表示しますが、これは希望小売価格で、必ずしもこの値段で買わなくてはいけないものではありません。ほとんどの場合、これより半額より低い値の最終値がつきます。


世界で一番人気の陶磁器?

企業はホームページで、「世界で一番人気のある陶磁器」と言っています。
私はこれを、私がフランスのリヨンに友人を訪ねた時の事例をもとに断言できます。
彼が毎日アールグレイの紅茶を飲むので、水切りにはロイヤル・アルバートのカップとソーサーが座っていました。
この
彼らのホームページ上の言葉をバックアップする事実があります。私はビジネスの中で人々から自信満々にロイヤル・アルバートのオールド・カントリー・ローゼスは、今までで一番沢山生産された陶磁器の柄だと言われたことがあります。今、それを裏付ける物を探している所です。

ロイヤル・アルバートでのワイルドについて

ロイヤル・アルバート

トーマス・C・ワイルドはアルバート工場を買い取っていた父のトーマスSnrを手伝っていました。しかし、トーマスSnrはその後数年で亡くなってしまったため、息子のトーマスJrが引き継ぎました。
この事は悪い事ではありません。トーマス・C・ワイルド&Co(ロイヤル・アルバート・ボーンチャイナとして知られます)は、ほぼ初めから目立った成功を収めます。ティーセットがメインの商品でした。
メインとなる大きなアイディアは、クラウン・ダービーの様なクオリティで、もう少し安い物、でした。例えばHeirloomエアルームは、その後20世紀の数十年に渡って続くヒット作でした。
ロイヤル・アルバートの名は、バックスタンプとして1904年辺りから使われていましたが、企業名として使われるのは1972年以降の事です。
ワイルドは、別で装飾スタジオとして使用するために、1905年にセント・マリア工房を買いました。
その他の作品はほぼ連続して、 Parks Place パークス・プレイス(1910), Shore & Cogginsショア&コギンス (1918), the Edensor Worksエデンサー・ワークス (1918), William Lowe ウィリアム・ロー(1919)と続きます。
1920年代には、ワイルドはスタフォードシャーの16以上もの工房を取り仕切っていました。ですから、実はロイヤル・アルバート・ボーンチャイナだけでなく、とても成功していたのです。

ハロルド・ホルドクロフト・ファクター

ロイヤル・アルバート

ワイルドは、1930年代に後を継いで、広がりすぎた展開の合理化とセント・メアリーの現代化を模索していた二人の息子から、参加させられます。
彼らは、ハロルド・ホルドクロフトという素晴らしいデザイナーを獲得していました。これは、ロイヤル・アルバート・イングランドにとって、とても良い経営判断となりました。
1940年代の戦時中も、ワイルドは製作と輸出を続けました。
輸出で得た利益は当時四苦八苦していたイギリス経済にとってはとても重要で、ワイルドは1947年に株式取引のリストにのり、その地位は業務拡大のための資金を集める事が出来ました。
明らかに、公平さを欠いてしまう事は、家族のコントロールを危険な位置におくことになります。
しかしながら、ファミリーは彼らの子会社のコントロールを維持しました。Roslyn China Ltdロズリン・チャイナ, Chapmans (Longton) Ltdチャンプマンズ(ロングトン), Shore & Coggins Ltdショア&コギンス, そしてParagon China Ltd パラゴン・チャイナ(1960年に買収)です。
言うのに充分ですが、どうしても避けて通れないことは(多くのインスピレーションに溢れる輝かしい日々を送った高級磁器メーカーがそうであるように)、少しずつもっと大きな、成功した、実態のよくわからないような企業、企業グループに飲み込まれて行ってしまうことです。
このパターンは多くの有名な陶器ブランドで繰り返し繰り返し起こっていて、終わりの始まりとしても知られます。

企業体であること

アライド・イングリッシュ・ポッタリーズ

ピアソン・グループは、UKの多角的な小売企業グループであるロウレイズに所有され、そして1960年代半ば、ワイルド・ファミリーに売られました。この合併により、巨大陶器企業のアライド・イングリッシュ・ポッタリーズが誕生する事となります。
トーマス・E・ワイルド(トーマス・c・ワイルドの息子)は、トーマス・c・ワイルド&サンズLtd.の社長の地位を生涯に渡って与えられました。彼の二人の息子も経営に参加しました。
彼らは長くは持ちませんでした。親会社の馬鹿げた判断で追い出されてしまいました。しかし、この時が最後の輝かしい時代でもありました。彼らと旧知の仲である、1962年、デザイナーのハロルド・ホロクロフトが世界中で大ヒットした素晴らしい柄、オールド・カントリー・ローゼスを生み出したのです。
これは、1921年の柄、キングス・ランサムをベースとして作られました。下に紹介してあります画像をご参考ください。


20世紀以降のロイヤル・アルバート

ロイヤル・アルバート

1970にのみ、トーマス・c・ワイルド&サンズLtd.は企業の名前を公式にRoyal Albertロイヤル・アルバートに変更しました。(実際には誰もがこの名前を知っていましたが。)
その二年後、アライド・イングリッシュ・ポッタリーズは、ロイヤル・ドールトンに合併され、その次はロイヤル・ドールトングループ全体がウェッジウッドグループの傘下となりました。
個人的には、こういった企業レベルの動きを考え語ることは、つまらないだけでなく、かつての素晴らしい名前の大事な物を殺しているのです。アート・ビジネスは興味深いクリエイティブな人々が、とても興味深くダイナミックなことをして、経営されていくものです。ロイヤル・アルバート・ボーンチャイナ・イングランドは、その内の一つでした。
企業の発展を、現代の企業に残せば、新たな方針を得られ、それは彼らの次のボーナスの金額を押し上げるでしょう。長い目で見た考えでなければ、資産を減らすだけでしょう?
会議いくらしても、際立ったビジョンには十分ではありません。
セント・メアリーは1998年に終了しました。


21世紀のロイヤル・アルバート

今日のロイヤル・アルバート・ボーンチャイナ・イングランドは、ウェッジウッドグループに所有されています。
以前はロイヤル・ドールトンが、"デザイナー"アプローチを企業のために採択して、 Zandra Rhodes(ザンドラ・ローヅ)などを共に製作しました。
ある、アンティークロードショウの陶器エキスパートのブログを読んだのですが、彼は、ロイヤル・アルバートのザンドラ・ローヅ・ラインは、将来的なコレクションの一つとして見れる、と助言していました。
ロイヤル・アルバート