17世紀から始まるフランスのアンティークシルバーカトラリーシルバーポットの起源と歴史をご紹介
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装飾芸術の分野において中でも銀細工は、今も昔も常に価値のあるものとして認識されています。
陶磁器や木材、ガラスなどの素材とは一線を介し、銀そのものにまず貴重な価値があることと、貴重な銀を細工することでさらに価値が加わるからです。
例えば、銀の貨幣がお金として実際に使用できるという貨幣の価値に加え、銀で作られているということで更に価値がつきます。
銀は富と社会的地位の象徴でもあり、そのほとんどが当時の最新の生活様式を反映しています。
当時の銀(シルバー)の価値
銀は溶かしてまた再度加工することが可能です。
18世紀では、残念ながら銀製品に施された職人の技よりも、銀は金属としての価値の方に重きをおいていました。
そのため、流行ではなくなり時代遅れとされた銀製品は溶かして加工し直され、当時の最新の様式のものへと作り替えられていました。
17世紀後半から18世紀におけるフランスの銀食器も当時の苦しい財政危機の餌食となりました。
当時、ルイ14世とルイ15世が統治していたフランスは続く侵略戦争と贅沢を尽くした宮廷により財政難の危機を迎えていました。
国王は造幣局をはじめ国中に銀を集めるよう勅令を出し、集めた銀を溶かすと失われた国の宝を補填するために用いたのです。
よって、17~18世紀前半のフランスの銀食器は現存するものの、数はとても少なく希少なのです。
ギルド制度と銀製品(シルバー製品)
中世ではギルドという制度が確立され、徒弟制度と言われる厳しい身分制度が存在しました。
ギルドの親方は職人と徒弟を指導し製品の品質から規格・価格などを厳しくギルド内で統制しました。これにより様々な手工芸などの品質の維持が図られたのです。
フランスの銀食器が高い品質を維持することが出来たのはこのギルドが一役を買ったことによります。
勿論、銀製品の品質の高さは銀細工職人の地道な努力の賜物です。
銀細工職人を目指すものはまず8年間弟子として学び、さらに2~3年は職人として働きました。
職人が 親方として認めてもらうには技術を査定するために自信作を見本として提出します。
この見本がギルドに認められてから更に、最終試験に合格しなければなりませんでした。
厳しい統制のおかげでギルドの刻印が銀製品の品質自体を保証するものとなりました。
また 銀細工に必要な刻印の中でもギルド長の刻印があるものは、銀の含有量が適切であることも保証していました。
なぜなら、銀だけでは耐久性のあるものを作成するには柔らかすぎるので、少量の銅を混ぜることにより強度を強くさせていたからです。
フランスでは銀の含有量が958.33/1000であることが求められ、刻印はそれを証明する印となりました。
財政危機の影響
ルイ14世のもとで最もつくられた銀細工は、ヴェルサイユ宮殿のための家具でした。
コンソール・テーブル、燭台、鏡などで贅沢な品々が用意されました。
しかし、これらは財政危機を理由に17世紀後半にルイ14世自身の勅令によって集められ溶かされてしまいます。
残念ながらルイ統治時代の最期に家庭内で用いられた銀細工がほんの少量、現存しているだけとなってしまっています。
現在、メトロポリタン美術館で展示されているフランスの銀食器の最も古いものは1683年から84年のフォークとスプーンです。
この時代になってようやくフォークとスプーンを統一するという概念が受け入れられるようになりましたが、 ナイフはまだ一般的ではありませんでした。
※シルバースプーン フォーク 1683-84年
新たな銀食器の誕生
17世紀にお茶とコーヒーがフランスにもたらされると新たな銀食器が誕生するきっかけとなりました。
現存する最も古いパリのシルバー・ティーポットは現在メトロポリタン美術館に所蔵されています。
そのシルバー・ティーポットに残されている刻印によると、1699年から1700年にかけて製作されたものである事が分かります。
他にも1702年に作られたとても小さなティーポットのドローイングがスウェーデンに送られていたとの記録も残っています。
当時のスウェーデンはフランスの銀細工だけではなく、他の装飾芸術の流行の影を強く受けていました。
※装飾豊かなシルバーティーポット 1699-1700年
18世紀半ばに作られたコーヒーポットにはとても革新的で大胆なデザインのものもあります。
注ぎ口や取手の付け根を彩るコーヒーの葉や果実がうまくあしらわれ、ポットの役割を美しくうまく表現しています。
本体に彫られた螺旋状の溝はこの時代に人気が絶頂だったロココ様式の特徴を捉えています。
※シルバーコーヒーポット (木製の取っ手)1757年
食習慣とともに進化する銀製品(シルバー製品)
17世紀後半から18世紀にかけ食習慣が大きく変化しました。
ヴェルサイユ宮殿スタイルとも言われ、大皿などにきれいに料理を並べて、召使に好きなものを取らせテーブルにセッティングする方式はservice à la française(フレンチサービス)として知られるようになります。
現在では高級レストランなどで提供されるサービス方式をフレンチサービスといいます。
ヘッドウェイターが助手に指示を出して料理などをサービスする方式です。
メインやデザートなどの料理はグリドンと呼ばれるクッキングワゴンで運ばれます。
service à la françaiseは深皿の開発の一因となりました。
テーブルに置かれるものの中でも最も目を引き、最も高価なものとなったのです。
豪華なフランス18世紀の深皿はルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボンのためにつくられたものだと言われています。
その卓越した特徴は非常に彫刻的な蓋の先端や取手にみることができます。
三匹の犬が牡鹿を倒しているモチーフは当時の狩猟を模写した繊細な細工が施されています。
深皿の中身が鹿肉のシチューだったことを暗示しているのかもしれません。
豪華でありながら上品な仕上がりは職人の成せる技です。
※シルバーの深皿(三匹の犬が牡鹿を倒しているモチーフ) 1757-59年
新古典主義を反映した銀細工職人
元々は8個か12個のセットだった大燭台が2つあります。
これには偉大なる銀細工職人のロバート・ジョーセフ・オーギュスト(1723?-1805)の刻印がされています。
彼は1778年に国王の銀細工職人となりました。
これらの大燭台はオーギュストの初期の作品で、1760年代後半に登場した新古典主義を反映した古典建築をモチーフとした大胆で彫刻的な様相を呈しています。
新古典主義とは建築・絵画・彫刻など美術分野で支配的となった芸術思潮でギリシャの芸術が模範とした作品が多く生み出されています。
※シルバー大燭台 1767-68年
職人によるこだわりの細工
古典的モチーフを色濃く映し出しているものとして1784年から85年につくられた水差しに見ることができます。
職人の凝ったデザインは彫刻部分に顕著に現れています。
取手となっているのは半身のナルキッソスです。
ギリシャ神話に登場する美しい少年で水面に映った自分に恋をしたといいます。
ナルシストの語源ともなった ナルキッソスは反射する蓋の表面を眺めている姿が模写され、ナルキッソスの伝説をモチーフにとても洗練された方法で表現しています。
※シルバーの水差し 1784-85年
当時の財政や流行などに翻弄されながらも銀は職人たちの手によって、形を変えながらもその美しさを後世に伝え残してきました。
銀製品の歴史を振り返ると、17~18世紀のフランスの歴史に大きく影響を受けていたことがわかります。
銀細工の職人が丹精を込めて残した作品が時を経ても変わらず美しいのも納得ができます。
当時のままの作品を手にすることができるのはアンティークの醍醐味と言えるでしょう。