ジョージジェンセンの隠れた女性デザイナー ヴィヴィアンナ・トールンの生涯

ヴィヴィアンナ・トールンの生涯

ヴィヴィアンナ・トールン

Vivianna Torun Bülow Hübe
ヴィヴィアンナ・トールン・ビューロ・ヒューべ

 

1927年12月4日スウェーデンの大都市マルメで生まれ、彫刻家の母、タウンプランナーの父、3歳年上の兄弟とともに育ちました。

10代でジュエリーを作り始め、ストックホルムの工業芸術アカデミーに進み、21歳で初の個展を開きました。

大学在籍中の18歳の時、その時付き合っていた人との子供を妊娠、スウェーデンに戻り自分の作品を売り生活費を稼いだことが彼女の銀細工職人としてのキャリアの始まりでした。


卒業後、1948年、パリへ渡り、パブロ・ピカソやアンリ・マティスのアトリエを訪問するなどして交流を深めました。

トールンとパブロ・ピカソ
その数年後、彼女は自分の工房を開き、そこでスウェーデンで女性初の銀細工職人になったのです。

彼女は3度の結婚をし、4人の子供を授かりました。

ジョージジェンセン マルシアシリーズ ブレスレット
※ジョージジェンセン マルシアシリーズ ブレスレット

 

マルシアシリーズの、「マルシア」は3人目の夫との間に授かった娘の名前です。

1948年、セレブな奥様たちのジュエリーを作ることがいやになったトールンは、シルバーをねじれたかたちにデザインし、そこにクリスタルと石を装飾したジュエリーを作り始めました。

彼女はこれを『アンチステータスジュエリー』と呼びました。

1962年、パリで行われたエキシビションのために、ステンレス製のバングルタイプの腕時計をデザインしました。

これがのちにジョージジェンセン初めての腕時計として発売されることになります。

1966年、3人目の夫と離婚した年からその後生涯、スブドとよばれるスピリチュアルな団体に所属し、その活動も精力的にこなしました。

1967年から2004年までジョージジェンセンとともに彼のブランドを盛り上げていきました。

2004年、コペンハーゲンにて76歳で亡くなりました。


ジョージジェンセンとヴィヴィアンナ・トールン

腕時計 ヴィヴィアンナ


1967年から、76歳で亡くなる2004年までデザインを提供し続けました。

1960年、トールンがミラノトリエンナーレで金賞を受賞、同じ年、スカンジナビアの優秀なデザイナーに贈られるアメリカンランニングプライズも受賞し、そこでのちに、ともに何年も素晴らしい作品を生み出すことになるジョージジェンセンと出会いました。

1967年からトールンはジョージジェンセンとともに、次々と名作を世に送り出していきました。

1978年にはインドネシアに自身の工房を作り、ジョージジェンセンブランドのために多くの作品をてがけました。

ジョージジェンセン メビウスシリーズ

《メビウス》

ジョージジェンセン ヴィヴィアンナオープンウォッチ

《ヴィヴィアンナオープンウォッチ》

ジョージジェンセン フォーゲットミーノットシリーズ

《フォーゲットミーノット》

ジョージジェンセン ビーンズシリーズ

《ビーンズ》

ジョージジェンセン ヒドゥンハートシリーズ

《ヒドゥンハート》

などがその一部です。

彼女はジョージジェンセン自身の次に、優秀で有名なデザイナーとなりました。

1992年、トールン65歳、トールンとジョージジェンセンがともに25年歩んだ年、トールンは素晴らしい芸術家に贈られるプリンスエウシェンメダルを授与されました。

トールンはデンマーク王室御用達となった、ジョージジェンセンブランドに大きく貢献したのです。


ヴィヴィアンナ・トールンの魅力

ジョージジェンセンにデザインを提供し始めた当初は、「ジョージジェンセンらしくない」と言われた彼女のデザインは、今では広く親しまれ、ブランドを代表するデザインとなりました。

究極のシンプルにこだわり、自然そのもののかたちを柔らかな曲線で表現し続けました。

彼女の、人の体のかたちに沿わせるような滑らかなデザインや、着け心地は芸術そのものです。

高価な石や派手なカラーは使わず、ムーンストーンやクウォーツなどを好んで使うことを好んだ彼女のアクセサリーは激しい自己主張はせず、つけた人にスッと馴染む自然の美しさにあふれています。

 

ジョージジェンセン デュードロップシリーズ
※ジョージジェンセン デュードロップシリーズ

数ある彼女のデザイン作品の中で特に時計『ヴィヴィアンナ』、ブレスレット『メビウス』、イヤリングとネックレスの『デュードロップ』は彼女の代表作といえます。

彼女のデザイン性や、芸術の価値観というのは最初こそ認められなかったのですが、それはジョージジェンセンに共通するものがたくさんあったことによって今となっては人気のデザイナーとなっているのです。

 

彼女は、

「アクセサリーは愛のシンボルであるべきである。

つけた人の一部となるように身体を飾り、ともに動かなければならない。

時代を超えて、つけたひとを引き立てる存在であるべきである。

つける人が17才だろうが87才だろうが関係ないのです。」

と話しています。

これが彼女のアクセサリーへの理念であり、今も昔も変わらず、幅広い年齢層に愛される理由でもあるのでしょう。