フランスの高級グラス バカラ (Baccarat) のデザイナーたちをご紹介

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マルセル・ワンダース(Marcel Wanders)

バカラのデザイナー マルセル・ワンダース(Marcel Wanders)

ワンダースは、快楽主義のデザイナーであり詩人です。

幼少期より自身のルーツであるオランダに慣れ親しんできた彼は、オランダ派が大きな影響力を持つようになった21世紀初期デザインの中でも、最も大胆で型破りなスタイルを提案しています。

バカラも彼の才能を認め、正統派アール・デコから生まれた遊び心溢れるインスピレーションを比類なきものと賞賛しています。

マルセル・ワンダースは、自然界を題材として、”United Crystal Woods”という、バカラの異なった顔をまとめあげたコレクションを提案しましたが、このコレクションには、レース模様が様々な深さで施されたキャンドルホルダー“La Fôret des Songes”、研磨されたメタルあるいは大理石の台座を持つ大型の花瓶“Les Rois de la Fôret”(大理石バージョンは限定品のみ)。

そして、この上なくエレガントなワイングラスとカラフェのセット“L’Ivresse des Bois”などがあります。

この想像の森の頂点に君臨するのは” L’Esprit des Bois”でしょう。

磨かれたステンレススチールの身体とエッチングが施された角を持つこの世のものとは思えないような鹿の家族は、キャンドルの明かりの中で幻想的な雰囲気を醸し出します。
 

トーマ・バスティード (Thomas Bastide)

バカラのデザイナー トーマ・バスティード (Thomas Bastide)



芸術家の家系に生まれた(母親は画家、父親は作家)T. バスティードは、幼少期から創造的でありたいと願い、立体、つまり「三次元」に強い興味を持っていました。

情熱のおもむくままに、グラフィックアートの専門学校にてアートとデザインを学び、フランス国立高等工芸美術学院(ENSAAMA)でインダストリアルデザインを専攻し、プロとして初めて手掛けた仕事では、有名デザイナーのレイモンド・ローウィ(Raymond Lewy)と接することができました。

1981年、幸運にもバカラに入社し、他のブランドとコラボレーションを行う傍ら、今日でもバカラの主幹デザイナーを務めています。

彼の「ガラス素材」への情熱は、立体への興味に負けないほど強いものです。

マルセイユの国際ガラス造形美術研究センター(CIRVA)にて、窯、サンドブラスター、のこぎりやその他様々な道具でガラスを形作り、ガラスの透明さにコンクリートと金属を組み合わせることによって彫刻に命を吹き込み、さらなる技術を磨いています。

彼がバカラのためにデザインしたコレクションは、ベース(ウェーブ、トルネード、ギンコなど)から大胆な彫刻作品(リベルテ、タンシオン、エレファン・ラシーヌ)まで幅広いレパートリーをカバーしています。

このコレクションには、グラマー、オクシタン、ガレ、スターレットなどの成功を収めている数多くのビジュウも含まれています。彼の名声は欧米においてますます高まっており、1989年には彼の「ネプチューン」コレクションのベースが「国際テーブルトップアワード」(International Table Top Award)のデザイン賞を受賞しました。

彼の作品は、フランスの芸術に関心の高い日本でも非常に人気があります。


 

エマニュエル・バブレ (Emmanuel Babled)

バカラのデザイナー エマニュエル・バブレ (Emmanuel Babled)



1967年生まれのフランス人デザイナー、エマニュエル・バブレは、イタリアに移り住みミラノのEuropean Instituteで学びました。

10年ほど前、"Venini"でシリーズ作品を制作したことで表現手段としてのガラスに目覚め、それからずっと同社と定期的にコラボレーションをしています。

エマニュエル・バブレの作品は、東京のIdée、パリの"Yves Gatous"や"Scremini Gallery"などで何度か展示され、1997年には"Néotu Gallery"にて、2001年9月には、自身が発起人となった「Smash」グループのガラスデザインエキシビジョンにおいても彼の作品が出品されました。

現在、ミラノのドムスアカデミー(Domus Academy of Milan)およびアイントフォーヘン・デザイン・アカデミー(Eindhoven Design Academy)の客員教授を務めています。

 

 

ノエ・デュショフール・ローランス(Noé Duchaufour-Lawrance)

バカラのデザイナー  ノエ・デュショフール・ローランス(Noé Duchaufour-Lawrance)


ノエ・デュショフール・ローランスは、1974年にフランスのマンドに生まれました。

彼のプロジェクトは非常に挑戦的なもばかりで、最初に手掛けたロンドンにある「Sketch」レストランにより、2002年に彼は国際的な名声を手にします。

このプロジェクトでは、常に斬新さを求めている都会の人々のための隠れ家を作ろうと、マーク・ニューソン、ユルゲン・ベイといった有名デザイナーとコラボレーションし、5つの空間(近代的かつ居心地のよい2件のレストラン、2件のバー、そしてティールーム)を生み出しました。

「Sketch」の成功から程なく、ノエは、デザイナーやエディターにとっては避けて通れない国イタリアから、インテリア建築および家具デザインのプロジェクトに参加するよう声がかかります。そしてもちろん、日本やフランスといった他の国々からも、大きなプロジェクトをオファーされ続けています。

ノエ・デュショフール・ローランスは、フランス国立高等工芸美術学校の金属彫刻科およびパリの国立高等装飾美術学校を卒業し、常に一つ一つの作品に芸術的なアプローチを吹き込もうとしてきました。

彼はアニッシュ・カプーア、伊東豊雄、そして建築デザイナーのカルロ・モリーノといったデザイナーを好んでいます。

2002年から、数多くの国際的なコラボレーションの経験を積み重ねるようになり、2005年には、元ルカ・キャルトン、現アラン・サンドランスのミシュラン星付きレストランのインテリアを改装しました。

ミラノでは、TADコンセプトストアを手掛け、パリでは、プランタン・オスマン本店のルーフテラスにあるパノラマレストラン「Deli-Cieux」をデザインし、2007年にはモンテカルロにあるMaya Barのインテリアデザインを完成させました。

最近では、Desgrippes Gobé氏と共同制作を行い、エア・フランスの新しいラウンジイメージの提案を担い、2007年7月、東京で初めてこのラウンジがオープンしました。チェコッティ・コレツィオーニやザノッタといったいくつかの家具ブランドにも従事し、バカラではランプやライトの新しいコレクションを特別にデザインしました。


 

ジョルジュ・シュヴァリエ(Georges Chevalier) (1894-1987)

バカラのデザイナー ジョルジュ・シュヴァリエ(Georges Chevalier) (1894-1987)



1913年に国立装飾芸術学校を卒業後、ジョルジュ・シュヴァリエは1916年よりバカラとの共同製作を開始しました。

1925年、国際装飾芸術展覧会において、シュヴァリエはバカラのクリスタルモデルのみではなく、バカラ・クリストフルパビリオンの内外装をも手掛けました。

非常に長い期間、バカラのありとあらゆる分野で制作を行ったため、グラスセット、プレート、ゴブレ、動物の彫刻、香水ボトル、ジュエリー、どれをとってもシュヴァリエのバカラクリスタルへの情熱があふれています。

1970年代までずっとバカラで制作活動を行い、同社の形状や装飾のレパートリーに多大な影響を与えましたが、バカラの「伝統的遺産」を失うことなく20世紀のモダニティへと向かわせたのは、他でもないシュヴァリエの偉業だったといえます。
 

マティアス(Mathias)

バカラのデザイナー マティアス(Mathias)

マティアスと物との間には、数々の創造に彩られた長い逸話が存在します。

ライトからミラー、家具からテーブルセットまで、彼のイマジネーションにより、風変りな物体が独特の気高さをもつようになるのです。

詩人であり、衝動的で魅力的な、20年にわたり知性あふれる容貌と象徴的なオブジェの多様性で知られているマティアスは、ファンタジーと 審美主義を楽しく融合させる方法に長けています。

彼とバカラとのコラボレーションは、1996年の「ランコントル」コレクションによって始まりました。

この Meilleurs Ouvriers de France(フランス最優秀職人)によって作られた素晴らしいコレクションは大成功を博し、ほとんど全ての作品が品切れになるほどでした。

この成功の後、マティアスとバカラの絆は深まり、マティアスがバカラの新しいライティングコレクション「ミルニュイ」をデザインするのは当然の流れでした。

マティアスは幼少の頃、祖父とシリアやトルコで暮らしており、そうした子供時代を象徴するかのように、夜の光が中東の伝説の雰囲気を思わせる独特の魅力を持った 「ミルニュイ」シリーズをデザインしました。
 

 

アリック・レヴィ(Arik Lévy)

バカラのデザイナー アリック・レヴィ(Arik Lévy)



アリック・レヴィは1963年、テル・アビブに生まれました。

スイスのアートセンターユーロップにてインダストリアルデザインを学んだ後、1991年にプロのデザイナーとしてのキャリアをスタートさせ、以降様々なデザインエキシビションに参加しています。

アリック・レヴィは、有名なコンテンポラリーダンス会社の舞台装置デザイナーとしても国際的に有名です。パリのLdesignをはじめ、アリック・レヴィと、パートナーのピッポ・リオニは多くのプロジェクトを創造的に導き、あらゆるデザイン関連分野に新たな風を吹き込んでいます。

アリック・レヴィは、素材、テクノロジー、創造テクニックを特有のやり方で自在に操り、ヨーロッパのみでなく、世界中の数多くのプロジェクトに彼のスキルを応用しています。

キャリアの初期段階から、彼のコンセプト、デザイン、手法は世界中の博物館、ギャラリー、アートフェアの数々のイベントやエキシビションにて注目を集めました。

世界的に名高い博物館は、彼のデザインを永続コレクションとして収蔵しています。彼のデザイン会社の顧客には、ヴィトラ、バカラ、ハトリア、Desalto、リーン・ロゼ、Cinna、Zanotta、カルティエ、LGエレクトロニクス、セイコーエプソン、Gaia&Gino、Serralunga、Baleriイタリア、Ansorg、スウェデッセ、Softline Allkitなどが含まれています。
 

 

ウィリアム・サワヤ(William Sawaya)

バカラのデザイナー ウィリアム・サワヤ(William Sawaya)



ウィリアム・サワヤは1948年ベイルートに生まれ、1973年にベイルートのNational Academy of Fine Artsを卒業しました。

インテリアデザインに特に興味をもち(レバノンにある自宅を改装するプロジェクトで最初の成功を収めます)、プロとしての活躍の場をフランス、イタリア、日本、ギリシャ、ロシア、アメリカそしてペルシャ湾地域へと広げていきました。

パリとミラノで勉強し、家具のデザイナーとしてのキャリアを開始しますが、彼は家具のデザインを、現代の異なる文化を総合的に勉強するためのプロジェクトの一部ととらえています。

1978年にイタリアに移り、Paolo Moroniと共に、”Sawaya and Moroni Design Office”を設立します。

1984年には、”Sawaya and Moroni Contemporary Furniture”という芸術プロジェクトを立ち上げ、サワヤ自身がマネージャーとなりました。

 

個展(1992年1月にパリで開かれた“Les Fleurs du mal”や、1993年4月に東京で開かれた“New Sensualism”)、共同展示(1991年4月ミラノで開催された“Exhibition 30 Anni di Design”、1991年2月ローマで開催された“Exhibition II Design Delli Anni 80”)にかかわらず、多くのアートやデザインのエキシビションに出品しており、彼の作品は様々なデザインや建築の書籍、雑誌、新聞で注目を集めています。

彼の素晴らしい作品は、多くの美術館で見ることができますが(デュッセルドルフの王立博物館ではガラスの花瓶、ニューヨークの現代アート美術館ではCalla)、私蔵や公的なコレクションとなっているものも多くあります。

サワヤは、バカラにて2004年の「ランコントレ」コレクションをデザインしました。


 

サヴィネル&ロゼ(Savinel & Rozé)

バカラのデザイナー サヴィネル&ロゼ(Savinel & Rozé)


ジル・ロゼとイヴ・サヴィネルはフランス国立工芸院で出会い、パリの国立工学専門学校で勉強を続けました。

1973年、Sopha Praxisを立ち上げ、1982年には独自の創造的視点を前面に出していきたいとの理由から、サヴィネル&ロゼ/デザイナーズ・アソシエを設立します。

好奇心を、そしてお互いの異なるアプローチや経験を補完し合いながら、顧客の満足を第一に考えています。

1991年より、念願かなって情熱的にバカラのガラス食器コレクションの制作に携わり、ベストセラーである「ベガ」シリーズを生み出しました。


 

フィリップ・スタルク(Philippe Starck)

バカラのデザイナー フィリップ・スタルク(Philippe Starck)



今日、フィリップ・スタルクは世界で最も高名なデザイナーの1人であり、印象的な建築、家具デザイン、日用品など幅広い作品で知られています。

1982年、当時のフランソワ・ミッテラン大統領宅、そしてCafé Costeの内装を手掛けたことで名声を手にしたスタルクは、多くのラグジュアリーホテルや著名なファッションデザイナーたちとともに活動してきました。

世界的に有名な美術館で彼の作品が展示されるようになり、世界中のいたるところで彼の豊かな才能を見ることができます。

2003年には、バカラは合衆国広場のマリー=ロール・ド・ノアイユの邸宅に新しい本社を作るプロジェクトにスタルクを任命します。

「灰の中から発見された一粒のダイヤモンド」というコンセプトのもと、彼はクリスタルの美しさと透明感、むきだしのコンクリートの壁とのコントラストを生み出しました。

この合衆国広場の本社プロジェクトと、今や絶大な人気を誇るブラッククリスタルのシャンデリアの成功により、フィリップ・スタルクは、バカラの偉大な伝統を揺るぎないものにしました。

フィリップ・スタルクは比類のない芸術的な才能によって、クリスタルの回折光とオニキスの仄かなきらめき、日中の光と暗い闇が織り成すパラドックスとコントラストを演出し、ブラッククリスタルの使用というバカラの忘れられていた伝統を復活させました。

彼の「ダークサイドコレクション」は、自然の最も暗い側面を探ることができますが、そこでは勿論クリスタルがそのあらゆる輝きを放っています。


 

エットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)

バカラのデザイナー エットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)



インスブルックに生まれたエットレ・ソットサスは、文化的な環境で育ちました。

幼少期をオーストリアの山岳地方で過ごしたことがきっかけで、容積と色彩が相互に作用し合う様子に興味を持つようになりました。

かなり若いころにイタリアに移り、彼に様々なインスピレーションを与える題材に出会います。

ソットサスは、トリノのポリテクニック学校で建築を学び、ミラノで会社を立ち上げ、60年代にはニューヨークのジョージ・ネルソンと共同制作を行いました。

70年代に入ると、”Sottsass Associati”財団や”Memphis“グループがソットサスを神のように崇め奉り、あらゆる世代のデザイナーに注目されるようになりました。

今日、燃え滾るようなエネルギーと、バカラクリスタルの情熱的な出会いの結晶がソットサスの作品に見てとれます。

 

高田賢三(Kenzo Takada)

バカラのデザイナー 高田賢三(Kenzo Takada)



高田賢三は、兵庫県姫路市に生まれ、19歳で東京の有名な服飾学校である文化服装学院に入学しました。

1965年に渡仏し、1970年にパリのギャルリ・ヴィヴィエンヌにて初のブティック「Jungle Jap」をオープン。

このブティックは即座に成功を収め、同年、彼の作品が「ELLE」誌の表紙を飾りました。

1971年、彼は自らのコレクションをパリ、東京、ニュー ヨークで発表し、一夜にして世界的なセンセーションを巻き起こしました。

1976年にはヴィクトワール広場に制作スタジオ兼ブディックをオープン、1983年にはメンズコレクションを発表、1987年にはラスパイユ通り17番地に初のメンズブティックをオープンします。

1984年、高田賢三はフランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章しました。

1990年代は男性用および女性用香水の発表、東京や大阪をはじめとしたアジア各地で開催された豪華イベント(彼の故郷で行われた3日間のファッションショーは2万2千人を動員)が特徴です。

 

また、彼は香港にもケンゾーブティックをオープンしました。

1990年、高田賢三は、ブランド創業20周年を記念して、エコール・デ・ボザール(フランス国立高等美術学校)にて盛大なパーティーを開きました。

1993年、Kenzo S.A.はLVMHグループに買収されます。

1999年には「ゼニス」コンサートホールにて、30年の創作活動の軌跡をたどる壮麗なファッションショーを開催。

その後、旅行や新しい発見をしたいという理由でLVMHグループを去ることを表明します。

2004年、自発的な引退を経て、その豊かな多文化的体験により、新ブランド「Gokan Kobo(五感工房)」を発表。自らの人生体験と周囲の世界に対する変わらぬ情熱による普遍的なビジョンを持って、ファッションや家庭用品のデザインを行っています。
 

ニコラ・トリブロ(Nicolas Triboulot)

バカラのデザイナー ニコラ・トリブロ(Nicolas Triboulot)



ニコラ・トリブロは、デザインの分野ですでに15年間活躍していますが、彼のキャリアはバカラで始まり、200点を超える作品をデザインしました。

独学のため、固定概念や枠組みにとらわれることなく革新的である続けることができたことを誇りに思っており、調和のとれた完璧な形を常に探し続けています。

知的好奇心が強く、様々な技法や技術に夢中になりながら、「常により良いものを生み出す」という究極のゴールに突き進んでいます。

1995年、ニコラは自分自身の道を切り開くため、Quarksデザイン・エージェンシーを設立しました。

ラグジュアリーな世界を愛し、多くのブランドでコンセプトや製品を提案してきましたが、彼は常に「夢をインスパイアすること」という設立当初の原則を守っています。

このスピリットにのっとり、Quarksは、マス・マーケティングを行う企業(ロレアルやルクレールなど)に対しても、製品あるいは販売戦略の中に、夢や美を共有するという、特定のラグジュアリーな暗号を含めるようにアドバイスしています。

ニコラはこのコンセプトを用いて、さらに新しいアイディアを生み出そうとしています。

その一例が、“Magnétude”と呼ばれる、あらゆるタイプの表面に物体を付着させるという革新的なコンセプトで、バカラの今後のプロジェクトに採用されることが決まっています。

このコンセプトをもちいたインテリアデザインセクターにおける制作とイノベーションは、世界中のデザインプロジェクトの中で最良のものに与えられる著名なINDEX2005を受賞しました。

 

ヴィセンテ・ウルフ(Vicente Wolf)

バカラのデザイナー ヴィセンテ・ウルフ(Vicente Wolf)



ヴィセンテ・ウルフは30年もの間コンテンポラリーデザイン界の頂点に君臨しています。

ニューヨークの広くて採光のよいロフトにある、Vicente Wolf Associatesという会社を経営しており、ヴィセンテ・ウルフとスタッフは、調和がとれていること、そしてシンプルであること、という原則に沿ったデザインを情熱的に追求しています。

無形物を操る魔術師であり光の芸術のスペシャリストであるヴィセンテは、光を捉えて反射させる素材を厳選して使います。

そのため、彼がクリスタルをメディアとして選んだのは自然な流れでした。

クリスタルとヴィセンテは、お互いの長所を引き出し合う、なくてはならない存在であったのです。

バカラの「ラティチュード」コレクションをデザインするにあたり、彼は幅広いビジュアルの引き出しからイメージを呼び起こし、試行錯誤の結果、それらをベース、ボール、キャンドルスタンドなどの形に抽出し、同時にクリスタルの中に潜むクオリティを最大限に引き出すのです。

こうしたプロセスを経て生み出される作品は、光と透明性の物理的な美しさを現わしているだけではなく、彼の人生をかけた制作活動の結晶といえるのです。

ヴィセンテ・ウルフとバカラの熟練の職人たちは、使い古された素材を全く新しいものに作り上げています。

優れたデザインというものは、とどまるところを知りません。

 

 

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