クリスタルガラスブランド『モーゼル』の魅力
ルートヴィヒ・モーゼルガラス工房 カルロヴィ・ヴァリ
ボヘミアンガラスの最高峰
現代において、ボヘミアクリスタルとも称されるボヘミアガラスは、現チェコ共和国の一部であるボヘミアと、ポーランド南西部からチェコ北東部に属するシレジアと呼ばれる地域で生産されているガラス製品のことをさします。
高い品質、熟練した職人の技術、類い稀な美しさ、そして時に革新的なデザインで国際的に認知されてきた長い歴史を誇ります。
シャンペンフルートと呼ばれるシャンペングラスから巨大なシャンデリア、装飾品、置物、その他のガラス製品にいたるまで、ハンドカットされ、 吹き製法で作られた上に繊細な彫刻を施されたガラス製品は、チェコの最も有名な輸出品の一つであり、観光客のお土産として非常に人気があります。
チェコ共和国は、現在に至るまで数多くのガラススタジオや学校を抱えており、 ガラス製作現場の最古の考古学的発見と言われる発掘現場は、およそ1250年前のもので北ボヘミアのルザティアン山脈で発見されました。
色付けされた、いわゆる有色ガラスはボヘミアのガラス史において非常に重要な役割を果たしています。
ガラス職工人の高い技術水準とタッグを組んだ製造メーカーによる生産は、世界において絶対的な品質を誇り続けています。
また、使用されている高エナメル彩は、その昔歴史的文脈において新しい技法とされていましたが、今日ではポピュラーになり、工業生産においての大部分を占めることとなりました。
そしてボヘミア地方(現在のチェコを含む地域)における有色ガラスの生産の歴史は、ルネサンス期にまでさかのぼることができるのです。
ルートヴィヒ・モーゼル(1833-1916)は、長い間自分の工房を持たず、よその工房の未加工品を入手し、加工することを生業としていました。
彼は仕事を始めてから36年後の1893年に、やっと自身のガラス工房を持つこととなったのです。
モーゼルのガラスは、壊れやすく大変繊細なものでした。
しかしながら、シンプルな家庭用のガラス製品も、モーゼルにおけるもっとも重要なボヘミアンガラス製品であったのです。
1932年にはマイヤーズ・ネッフェと袂を分かち、1933年にはボヘミア統一銀行がそのあとを受け継ぎKarlsbader Kristallfabrik AG Ludwig Moserとなりました。
1920年代の好景気の真っ只中でモーゼルは、センセーショナルな革新に成功しました。
1929年、ライブツィヒでの博覧会において、いわゆる「生きたガラス」を発表したのです。
このまったく新しい美しい色の幾何学的にカッティングされたグラスは、1922年から1938年まで製造され、今日までモーゼルの象徴となっています。
「生きたガラス」とは、モーゼルのグラスの特徴、つまりその陰影や光の屈折など、常に新しい色のニュアンスを生み出し、その他様様な環境に対応しながら細分化していったところから名づけられたものです。
その素晴らしい透明感と色彩、そして照度。この特徴はレアアースの使用によるものなのです。
レアアースとは、スカンジウム、イッティウム、ランタンなどの金属を指します。
今日では、レアアースはその光の屈折を生かして、自動調光眼鏡のレンズなどに使われています。
その仕組みを利用して、モーゼルでは1922年から1938年まで色付きガラスを製作していたのですから、それが当時いかに革命的なことだったのかは言うまでもありません。
モーゼルでは、才能あるデザイナー、ガラス職人、カット職人、エングレイヴァーとの共同作業で様々な傑作を生みだしてきました。
その手仕事の極意は世代から世代へと受け継がれてきました。
また、多くの権威ある博覧会や展示会に出品し、名誉ある賞を受賞しました。
それが今日の世界的な流通ネットワークの基盤となっているのです。
現在もモーゼル社の工場はカルロヴィヴァリにあり、同社の特別なデザインが展示されているミュージアムも併設されています。
また、プラハにあるモーゼルの店舗には19世紀から伝わるマホガニーの壁が非常に印象的な部屋が3つあり、主にドイツや日本からの観光客で賑わっています。