世界中の王室に愛されるハンガリーのヘレンドの歴史
ハンガリーの小さな村からヘレンドの始まり
ヘレンド陶器工場は1826年に設立されました。その工場は、ハンガリーの首都ブタペストから南西に約120kmほど離れた、オーストリアとの国境沿いにあるヘレンドという小さな村に作られまた。
もちろん、ヘレンドの名前もこの村の名に由来しています。
ハンガリーの磁器史初期の詳細はあまり知られていませんが、この地域で作られた陶器がヨーロッパの最初の陶器の一つであるとも言われています。
ヘレンドでは、陶器と並行して磁器も生産していました。
ヘレンドの初期の磁器には、有名なドイツのマイセン(Meissen)工場で作られた磁器のレプリカ等も含まれていました。
そしてその非常にユニークな形が、ヘレンドを世界中で有名にしたと言っても過言ではないでしょう。
当時から今日まで、ヘレンドは独特のスタイルを保ち、世界で最も優れた陶器工場の一つとして生産を続けてきました。
モリッツ・フィッシャーが齎したヘレンドの転換期
1830年代初頭、この小さな村の産業を国際的な名前に変えるようなことが幾つか起こりました。
まずは当時斬新とされた経営者モリッツ・フィッシャーが残した伝説。
彼はヘレンドが他の大規模な商業工場と同じような陶器を作って彼らと競争するよりも、古くから貴重とされていた磁器の模様を再現し、マイセンなどと肩を並べるようなワンランク上の、磁器生産者になることを決意した。
これがきっかけで、1839年ヘレンドは陶器中心の生産から、磁器中心の生産へと移行を始めました。
同時期に、フィッシャーは、トリノの城で、王にヘレンドの磁器を贈答。
王はその贈り物を大層気に入り、フィッシャーの目の前で、部屋のガラスのキャビネットに置かれていた陶器を取り出し、フィッシャーが持って来た贈り物の磁器をその場所に置いたそうです。
これをきっかけにヘレンドは、トリノの王とその宮廷のために磁器を作るようになりました。
逸話は広がり、あらゆる人たちがヘレンドの芸術性を認め、ヘレンドのオリジナルデザインが徐々に受け入れられるようになりました。
英国ビクトリア女王のヨーロッパ貴族への影響
ヨーロッパの伝統的な絵付けを大切にしながらも、ハンガリー独特の模様も施されたヘレンド。
1842年に開かれた第一回ハンガリー産業博覧会出展でのヘレンドの活躍により、ヨーロッパでのヘレンドの人気が高まりました。
又、1851年のロンドン世界博覧会開催時には、ビクトリア女王がウィンザー城で大変盛大なパーティを開きました。
その際に、花と蝶の書かれたヘレンドの陶器が使われました。
その柄が女王ビクトリアのお気に入りの柄で、彼女はその後もウィンザー城のためにヘレンドを購入し続けました。
これがヘレンドのそれまでで最大の転機とも言える出来事でした。
ビクトリア女王に影響され、多くの英国貴族がヘレンドを好むようになり、ヘレンドは繁栄を続けました。
そしてヨーロッパ全土の貴族が、ヘレンドの陶磁器を自分たちの邸宅でも使うようになりました。
結果、ヘレンドは当時最も贅沢なブランドになりました。
フィッシュネットの誕生
1850年代、ヘレンドは磁器のフィギュラー(置物)をコレクションに導入しました。ヘレンドのコレクションの中でも、最も有名な柄の一つでもあるfishnet(フィッシュネット)の誕生です。それによって、1858年頃にはヘレンドは一般にも受け入れられるようになりました。
魚の模様にインスパイアされたヘレンドのアーティストが、魚の置物につける鱗を羽のように見せようとして作られたデザインです。
黒がfishnetに最初に使われた色で、1870年には錆が使われました。
揺るがぬ伝統
1866年に、モリッツ・フィッシャーは貴族に昇格、ハンガリーの産業の先駆者として認められるようになり、モリッツ・フィッシャー・フォン・ファルカシャジと改名しました。1897年に後継者としてヘレンドを引き継いだ彼の孫イェーノも、ヘレンドの陶器や磁器をあらゆる国際展に出展させ、メダルを勝ち取ることを目標にヘレンドに多大な貢献をしました。
イェーノがなくなった1926年から、工場が国有化される1943年までの間は、アンドラーシュ伯爵(Count András)とエステルハージ・モーリッツ伯爵にヘレンドの経営が委ねられました。
その間も、ヘレンドはあの独特な手書きの伝統や品質を損ねる事なく維持をし続けました。
ハプスブルグ王朝も
1845年のウィーン展、1851年のロンドン等の大規模な展覧会でも、ヘレンドは高い評価を受けました。同社がアメリカ市場に初めて進出したのは1853年のニューヨーク工業芸術展での事。
その時もヘレンドはメダルを獲得しました。
これに続き、1855年にパリの博覧会で開催された博覧会で、ヘレンドは、それまで以上に高い評価を受けました。
この頃になると、ヘレンドはいくつもの国の王室御用達なり、ハンガリー国内外の多くの貴族からも注文が絶ちませんでした。
そのなかでも最も有名なのは、ビクトリア女王(英国)、エステルハージ伯爵、ロスチャイルド家などです。ヘレンドはハプスブルク王朝の磁器の主要サプライヤーでもありました。
近年に入り、1950年になると再度、fishnetのフィギュアの人気が高まり、そのコレクションに青と緑が追加されました。
1986年に移り、ラズベリーが加えられました。
その後1994年にバタースコッチ、2003年にチョコレートを発表。
ヘレンドアメリカ進出
1957年、ヘレンドは、アメリカ人家族によって発見され、米国市場に持ち込まれるようになりました。ロバート・グリム氏と、ルイズ夫人はワシントンD.C.にある高級食器やアクセサリー店のオーナーで、世界中のユニークな作品に魅了されました。
ヘレンドに対してたちまち情熱を燃やした彼らは、すぐにハンガリーのヘレンド工場を訪問しました。
それが、ヘレンデの米国輸入業者および卸売販売業者であるマーティンのヘレンド・インポスト社の始まりでした。
ヘレンド工場へ行ってみよう
今日、手塗りの磁器等を主に最高の贅沢品を製造するヘレンドの工場。その敷地内には磁器博物館もあり、訪れる価値が十分あります。
その中でも、1999年にオープンした“ポーセラーニウム”は、世界最大級のコレクションを保有します。
来場者はそこでヘレンドの歴史を体験し、短編映画やデモンストレーションを通して技術や陶器製作の技術を学ぶことができます。
Apicius(アピキウス)レストランとカフェでは、年間を通してワイン試飲イベントや、時には展示会、期限限定のイベントやエンターテインメントを提供しています。
世界中のヘレンドコレクター
19世紀から今日にかけ、ヘレンドは多くの著名人達に愛され続けました。その手作りの美しさに魅了され、ビクトリア女王は、ロンドンの第一回世界博覧会で発表されたヘレンド磁器の全サービスを注文しました。
又、ヘレンドでもビクトリアという名前のコレクションを作りました。
ダイアナ妃はヘレンドの陶器の置物(フィギュリン)を集め続けました。
イギリスのソープにある、スペンサー(ダイアナ妃の実家)で展示されていた彼女のコレクションは、古典的なヘレンドヘレドfishnet(フィッシュネット)のデザインで描かれた様々な動物で構成されていました。
その中のいくつかの作品は、教皇ヨハネ・パウロ2世に寄付されました。
教皇ベネディクト16世は、彼の80歳の誕生日にヘレンドの小像を受け取りました。
フォーミュラワンのチャンピオンルイス・ハミルトンは、ハンガロリンクで 2007年に行われたハンガリーグランプリで勝利を収めました。
その際に彼に送られたのがヘレンド・トロフィーでした。アーノルドシュワルツェネッガーはヘレンドのコレクターであり、ヘレンド陶器をこれまでに多く購入しています。
其のほかにも世界中でヘレンドのコレクターは増え続けてるいます。