イギリスの老舗窯 ミントン(MINTON)の歴史
英国の老舗食器ブランド・ミントン(MINTON)
ミントンを一言で表すのであれば
『デザインを追求した唯一無二のブランド』
ではないかと私は考えております。
1973年にロイヤルドルトンに買収され、2015年にはそのドルトンがフィスカースに買収されることによって、ミントンのブランドは廃止になってしまうのですが、今もミントンを愛する人はたくさんいます。
今日は、そんなミントンの歴史と何が素晴らしかったのか!?
それらを詳しく解説していきますね。
・創業者『トーマス・ミントン』とウィローパターン
※トーマス・ミントン
ミントンの創業者はトーマス・ミントンという人物です。
1780年に銅板転写技師の見習いとして働き始めます。
銅板転写技師として働き始めた理由は、もうこの頃にはウェッジウッド・エインズレイ・ロイヤルウースターの3つの窯が稼働していたからです。
そのため、まずはこれらの下請けとして銅板転写の仕事から始めて、窯をもつ資金を集めようと考えたのです。
そして月日は流れ、1793年にストーク=オン=トレントで創業します。
この年が、ミントンの創業の年になります。
ミントン社の最初の作品はトーマスが考案した、ブルーの転写プリントの陶磁器です。(ウィローパターン)
※ ミントン製 ウィローパターンの飾り皿
貴族などは、様々な色が使われた作品を好みましたが中産階級の人々は、まだまだそれらの色が入った作品は購入することができませんでした。
そのため、ミントンの白地に青の絵付けの『ウィローパターン』は大衆から多く求められました。
2代目 ハーバード・ミントン
※ ハーバード・ミントン
この50年の間に創業者であるトーマスが亡くなり、1825年に息子のハーバード・ミントンが跡を継いでいます。
ハーバードが経営者となってからのミントン社は、これまでの実用性を重んじた製品から、見た目にも美しい芸術性が高い陶器政策を開始したのです。
ハーバードの頃は、ヨーロッパ全土で新古典主義が流行しており、そのデザインをハーバードも大変気に入りました。
磁器会社として、創設されたミントンなのですがハーバートは新古典主義に心を打たれ、タイルを製作し始めます。
当時のイギリス文化の背景として、非常に紅茶が好まれていたので磁器メーカーはティーカップを作ることを最優先にしていました。
しかし、それらの磁器を作りつつもタイルを作り始めたのです。
タイルの制作は、本来ビジネスになり得ないものなので、周りからは引き止められましたが、それでもハーバードは辞めませんでした。
そんな中、1834年にウェストミンスター宮殿で火災が起こります。
※ ウェスト・ミンスター宮殿
この火災の再建で、国会議事堂にしよう!
というのが決まります。
そして、この時に流行していた新古典主義の様式を取り入れて、内装を作って行こうという運びになったのですが、その内装を担当できるのがタイルを作っていたミントンだけだったのです。
そのことによって、ミントン社のタイルの需要が大幅に伸び、そのミンスター宮殿を見た富裕層が自分のカントリーハウス(別荘)にも取り入れるという事態となり、ハーバードの時代にはタイルの生産で大きな利益を生み出したのです。
ちなみに日本では、岩崎久弥邸のベランダでミントンのタイルが使用されております。
・世界でもっとも美しいボーンチャイナ
1851年に、ロンドン万博が開催されます。
ここでハーバード・ミントンは当時イギリスの女王であった、ヴィクトリア女王の案内係を任されることになります。
これはなぜかと言いますと、ヴィクトリア女王の旦那様であるアルバート公が
『ロイヤル・ソサイエティ・オブ・アーツ』という国内の芸術の水準を向上させる組織を創設しており、そのメンバーにハーバードが入っていたからなのです。
このロンドン万博の際には、ミントンは金賞を取ることができず、銅賞だったのですが、ヴィクトリア女王の有名な言葉として
『ミントンが世界で、最も美しいボーンチャイナです』
というのを残しております。
そしてその後、1856年に王室御用達になるのでした。
・ハーバードの取り組みと功績
ハーバードの別の功績を解説します。
・マジョリカ釉
ハーバードは1849年にフランスのルーアンを訪れた時に、くすんだ緑色の釉薬で装飾された複数の花器が目に止まりました。
ミントン工房への帰り道でハーバードは、芸術部門の責任者であるレオン・アルヌーに迷彩色の鉛釉の開発をしようと言い出します。
レオンは芸術家兼、科学者でもあったことから、マジョリカ釉と呼ばれる低温鉛釉の開発に成功するのです。
3代目 コリン・ミントン
このコリンミントンの時代に、技術、デザイン製、品質が大きく飛躍します。
有名なデザイナー、技術者、技法があるので、それぞれ解説していきますね。
クリストファードレッサー
日本の芸術や、文化に非常に造詣の深い、クリストファードレッサーというデザイナーがいました。
そのデザイナーを雇い、ジャポニスムの代表的な扇や植物を取り入れた作品や、幾何学的でありながらも新しさを感じさせる、インダストリアルデザインの先駆けのデザインを生み出します。
セーブル窯から来たルイ・ソロンのパテ・シュール・パテ技法
※ パテシュールパテの技法が使われている飾り皿
1870年に最高の装飾技法と言われる、パテ・シュール・パテ技法を導入します。
普仏戦争によって、セーブル窯も攻撃をうけることでそこで働いていた職人たちは、新しい働き口を探します。
そんな時に、さまざまな技術者を集めていたのがミントン社だったのです。
ルイは、その後34年間ミントン工房で創作活動を継続し、粘土を何層にも重ねて装飾を生み出す立体表現を習得したのです。
その技術は、当時はもちろんのこと今でも非常に高い評価を受けています。
ですが、それを継承したがバークス兄弟だったのですが、バークス兄弟は第二次世界大戦で戦死してしまったので、今では誰もそれを実現することができない幻の技法となっております。
・アシッドゴールド
1863年、ミントンの金彩師ジェームズ・リー・ヒューズが、アシッドゴールド技法を考案し特許を取得します。
この技法は、これまでの金彩を平面的に見せるだけだったのを、凹凸をつけることにより、より繊細な金装飾を施す技法です。
アシッドとは、腐食という意味で金を腐食させて、浅浮き彫り模様を表現します。
・レイズドペーストゴールド
この技法は7年の見習い期間を経た後、熟練の職人によって施されます。
22金が使われており、立体的に見えるのが特徴です。
上の写真なのですが、花の中央部分が立体的に浮き上がってるのが、分かると思います。
これは22金で浮かび上がらせているのではなく、その下に樹脂を乗せてその上の表面にだけ22金を使っている技法なのです。
アシッドゴールド、レイズドペーストゴールド共に動画でご覧になる方はこちらをご覧くださいませ。
・ハドンホール
ミントンのハドンホールのデザインに関わったのは、ジョン・ワズワースです。
彼は、ミントンの窯の近隣にあった中世の城『ハドンホールの礼拝堂』の壁画にヒントを得て、ゴシックスタイルのデザインを考案します。
礼拝堂は劣化によって、壁画の模様はほとんど消えていましたが天井にはまだ模様が残っており、それがハドンホールのデザインに取り入れられたのです。
このハドンホールのデザインは、日本でも非常に有名であるため、ミントンと言えばハドンホールという印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
現在のミントン社について
1973年にロイヤルドルトンの傘下に加わり、「ミントン」の名でテーブルウェアや装飾陶磁器製品を作り続けていましたが、2015年、WWRDグループホールディングスの一員となり、ミントンブランドは廃止されました。
現在は、1649年創業のフィスカース(フィンランド)経営のもと、ライセンスブランドとして、日本における優れた製品の提供を通じて、豊かな食卓やライフスタイルの提案を続けています。