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ブルーオニオンには偽物が存在します。
下記の動画だけ最後までご覧頂き、偽物を掴まないようにご注意ください。
マイセン ブルーオニオンのモデル紹介
マイセンがヨーロッパで初めて白磁の製造に成功し、1710年に製造工場が設立されたあとすぐに、白磁の白を際立たせ、なおかつ調和する特別な青色への探求がはじまりました。
当時のザクセンの選帝侯であり、ポーランドの王でもあったアウグスト強皇は、
<本当の青>
の探求に多額の資金を投じたそうです。
ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーが1708年にヨーロッパで初の白磁の製造に成功した後すぐ、青色の染付の研究にとりかかっていましたがなかなか安定した結果を出すことができないでいました。
失敗を重ね、難度も改良した結果、1739年に青色の染付の技術はやっと完成したのです。
この長き試行錯誤の結果、酸化コバルトがとても耐熱性に優れており、焼成温度が高い磁器にむいていることがわかりました。
当時の技術者たちの苦労の結晶が、ブルーオニオンの歴史の幕開けとなり、そしてさらにその後250年以上も使われています。
この技術のおかげで、1722年から、マイセンのマークである青い双剣が消えてしまうことなく、釉薬でしっかり守られた状態で書き記すことができるようになりました。
当時、東アジアの磁器はほとんどが青色で装飾されていて、それに影響を受けたかたちで、1731年、今では世界的に有名な青色が美しい「オニオンマスター」が完成したのです。
実際のところ、モチーフとして描かれていたのは玉ねぎではなかったのですが、当時のペインターの勘違いから、今でも玉ねぎ模様とよばれつづけています。
当時ヨーロッパには浸透していなかった、ザクロが描かれていたのを玉ねぎだと思ったとか…。
アジアにしか生息しないフルーツは当時の製作者たちにはなんなのかわからなかったのです。
モチーフとして描かれているのは、ザクロ、モモ、アジアに生息するフルーツや、竹、蓮、菊の花やその他の花々です。
プレートの端に描かれている8個の果物を線でつなぐと、円形、正方形、六角形のかたちがみえてきます。
円形は宇宙の無限なる壮大さを示し、正方形は地上における生命を表しているのだそうです。
バロック時代のヨーロッパでは、とくに磁器は、中国の様式を取り入れたものが多くみられました。
アジアブームの到来も、ブルーオニオンの発展に拍車をかけたと言えるでしょう。
この、オニオンマスター(Zwiebelnmuster)、実はそう呼ばれるようになったのは19世紀になってからのことで、それより前はただ、<bleu ordinaire(いつもの青)>と呼ばれていました。
1851年のマイセン社公式記録に書かれたことから、公式に、オニオンマスターと呼ばれるようになりました。
その後、10年ほど国内にのみとどまっていたのですが、1861年、ロンドンで世界初公開を果たし、多くの人に愛されるシリーズとなったのです。
ブルーオニオンは、皿の素焼きを行った後、細い筆を使って酸化コバルトを主成分とする顔料で一気に絵付けをしていきます。
筆をおいた瞬間からすぐに顔料は皿に吸い込まれていくので失敗は許されません。
絵付け直後は鈍い灰色をしていますが、約1450度で焼成を行うと鮮やかな青色に変わります。
これをみた当時の人たちはまるで魔法のようだと称賛したそうです。
ザクセンの紋章でもあるクロスした双剣のマークは、1722年以降、マイセン磁器の品質を保証する印として記されてきました。
この双剣のマークはヨーロッパでもっとも古い商標だと言われています。
現在までこのマークはずっと、絵付けを行った画家によって手作業で記されています。
1888年以降、この双剣のマークはブルーオニオンのデザインの一部となっています。
竹の幹の根元に記された小さな双剣は、その起源を伝えるとともに、職人の完璧な仕事ぶりを示すサインとなっています。
2004年、この伝統的なブルーオニオンのスタイルに、時代に合わせた改良がほどこされました。
従来のような皿全面に描かれたものではなく、皿の見込みの部分に菊の花がアシンメトリーに描かれています。
蔦や花が巻き付いた竹の幹や、伝統的な二重の葉のモチーフなどは残されています。
皿の縁の部分に描かれていたフルーツや小花などは取り除かれました。
それにより皿のイメージがもっとゆったりとした感じになり、白磁の美しい白が強調されるデザインとなりました。
カップも同様に、モチーフの詰まったデザインではなく、菊の花と竹をメインとした上品なデザインになっています。
こちらもフルーツや小花はなくなりました。
ソーサーに残されたたった一つの「玉ねぎ」はいままでのブルーオニオンを思わせるポイントとなっています。