マイセン マルコリーニ(MARCOLINI)アンティーク

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マイセン(MEISSEN)マルコリーニ(MARCOLINI)の白磁器

マイセン(MEISSEN)といえば、誰もが一度は耳にしたことがある、ヨーロッパで白磁器界の最高峰に君臨する老舗陶磁器ブランドです。


そして、16世紀初期の白磁器の発明を皮切りに270年以上続く長い歴史があり、今も尚長きにわたり人々に愛され続けいいます。


また、長い歴史の中でその時代活躍した巨匠たちが制作した魅力溢れる素晴らしいアンティークのマイセンは歴史的価値も含まれた貴重な品として存在しています。


今回は、そんな長い歴史のあるマイセン(MEISSEN)の18世紀後半から「新古典主義様式」マルコーニ(MARCOLINI)期に焦点を当ててご紹介していきます。

 

マルコリーニ(MARCOLINI)期のマイセン(MEISSEN)


マイセン MEISSEN マルコリーニ期 カップ ソーサー


18世紀のマイセン磁器の作風はその時代の流行とともに豪壮、装飾豪華なバロック様式から優美、繊細なロココ様式にへ移行しています。


そして、1775年頃からは古典主義の様式へと作風が移り変わっています。


これらの作品の作風を見ると、時代の流れとともに、その背景が窺がえ知ることができます。



マイセン(MEISSEN)のマルコリーニ期とは、1774年~1810年のマルコリーニ伯爵がマイセンの製造所の監督に就任されていた期間に制作された(古典主義へと作風が移り変わった時期)様々な名品を「マルコリーニ期」の作品といわれています。


また、マルコリーニ期のマイセンの「青い双剣」マークは二本の双剣の柄の下側に


「*」星がついているのが特徴です。


そして、コレクター達などから、マルコーリニの星として呼ばれ親しまれています。

マイセン 双剣星 マルコリーニ期マーク




特に、テーブルウェアにはその独特な形状や絵付けが特徴的となっており、現代ではマルコリーニ・アンティーク・マイセンとして、コレクターの間では大変人気のある品となっています。

新古典主義とマルコリーニ


古代美術史家の「ヴィンケルマン」がドレスデンで発表した、


・ギリシャ芸術の模倣についての思想(1755年)

・古代美術史(1764年)

この話の中で、多くの実例を挙げて「高貴な単純と静かな偉大」がギリシャ芸術の美の本質であると説明し規定しました。


この説得力のある話は、芸術家のみならず、文化人全般に強い関心を引き起こしました。



そして、1774年に宮廷の要職にいたマルコリーニ伯爵が、マイセン(MEISSEN)工場の総監督に就任すると、彼の方針で次第に古典様式という新たな作風に移り変わって行ったのです。


マルコーリニ期はいわゆる古典様式の移り変わりと考えていいですね。


この時代、コバルトブルーのマイセン独自様式の品、古典主義の様式の品と作風が
入り混じった名品がマルコリーニ期の間に作られていたということです。


私は、新古典主義様式が新たに加わったと解釈していますが、もちろん圧倒的に古典主義様式が多かったのは確かです。

MEISSEN マイセン マルコーニ カップ ソーサー

 



ちなみに、1731年にマイセンの人形作者として有名な彫像家の「ケンドラー」がマイセン工場に招かれてから、マイセン(MEISSEN)を去る1775年の一年前には、マルコリーニ伯爵が製造所の監督として就任しています。


ですから、マイセンの造形(人形・置物)においても新たな古典主義様式の作風が一つ加わったわけです。


考え方によれば、マルコリーニ期のはじまりは「ケンドラー」の後期の作風が組み込まれた作品ということになりますね。


すごくレアな作品となるのも納得してしまいます。




※造形(人形・置物)についても古代ギリシャヘレニズム期の彫刻の美しさを評価する
文化的感性が流行りだしていた時期でしたので、それにともなってマイセンの新古典主義様式への取り組みが進み、マイセンの彫刻家たちも熱心に古代彫刻を研究に励んだそうです。

マイセン(MEISSEN)人形 マルコリーニ期

・「ヘロとレアンドロス」原型制作:1786年 上記画像:1870年頃制作

ギリシャ神話の中でも最も有名な恋人同士である女神アフロディテに仕える、巫女ヘロとアビュドス出身の恋人レアンドロスを表現した群像。

「ゴットフリート・ユゥフツアー」がマルコリーニの為に制作した作品

原作は、ビスキュイ磁器で制作されたといわれています。

マイセンでは、原型がこのように残されその時代の数十年後巨匠の名品が息を吹き返すことができるのです。



マイセン人形に関してはこちらででご紹介しています。

 

1810年がマルコリーニ期の境目


実はマルコリーニ伯爵がマイセンの総監督に就任したのは、古代美術史家の「ヴィンケルマン」が古代美術史を発表した10年後なのです。


そして、その間「ヴィンケルマン」はマイセン・ロココ様式を時代遅れと否定していました。


これにより、マイセン(MISSEN)のイメージダウンは深刻だったのです。


正直なところ、マイセンは仕方なく古典主義様式に取り組んだといってもいいのかもしれません。


ドイツ・バロック、ロココの巨匠であったマイセンの「ケンドラー」は神話や萬話を主題にした作品を「アシェ」とともに、新古典主義の流行に


対応していますが、老境に向かうケンドラーにとって最新の芸術思潮であった新古典主義様式に順応するのは容易なことではなかったようです。


こうした、潮流の中でマイセン窯は新たな様式を打ち出すのも困難でした。


そこに追い打ちをかけたのが、フランス革命です。


この革命により、ヨーロッパの専制君主側を崩壊に導き、1804年にナポレオンが皇帝になると、1806年には神聖ローマー帝国は消滅し、その勢力はザクセン領の


マイセンにまでとどき、マイセン窯はフランスの占領下になったのです。


1774年からマイセン工場の総監督を任されていたマルコリーニはマイセン窯を取り巻く状況の悪化に1810年閉鎖を決定してしまったのです。


これが、マルコリーニ期の終わりを告げるマイセンの歴史上の境です。


マルコリーニ期の作品はマイセンの経営状況や流行さらに、革命といった時代に大きく左右された作品であったことがわかります。

マイセン MEISSEN マルコリーニ お皿





※その後マイセンはドイツの平和とともに活気が戻り、

1814年、マイセンは工場と技術部門の各総監督の就任により、技術面での合理的改革と平行して時代の要求にあった、新たなデザインの開発などが進められるようになります。



いかがだったでしょうか。

マイセン(MEISSEN)は東洋磁器の影響を受け、バロック様式、ロココ様式で最盛期を迎え、新古典主義に移り変わり、歴史主義の様式から現代に続く、ヨーロッパ最古の窯です。


その長い歴史から考えると短い期間ですがマルコリーニ期はマイセンにとって大きな転機だったのかもしれませんね。

 

マルコリーニ時代の作品の特徴

当時、磁器には古い素材が使われていたため、窯での燃焼中の熱で小さなひび割れが発生することがよくありました。

そして、その結果として生じる磁器の収縮による割れは、18世紀初頭から19世紀半ばまでの独創性の証拠でもあります。

ですので、マルコリーニ時代の作品は90%程度は何かしらヒビや割れがあるのですが、これは自然なことなのです。

逆にそれが見当たらないというのは、非常に奇跡的に焼き上げをすることが出来たか偽物であるという見方もあるのです。


弊社が取り扱うマイセンの商品について


弊社で扱っているマイセンの食器は、全て現地(西洋、ヨーロッパ)で専門のスタッフが買い付けてくるスタイルをとっております。
ですので、他社にはない仕入れルートで仕入れを行っておりますので、古マイセンと言われる、かなり古い作品でさえも仕入れることが出来ます。
マイセンコレクターの方であればこの年代のこの作品が欲しいと言ったご要望があると思いますのでそういった商品が御座いましたらお気軽にご連絡ください。