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弊社が取り扱うフランス製 ルネ ラリックについて
弊社で取り扱うルネラリックの作品は全て現地で調達してきた商品になります。
こちらの画像は、お店で販売しているルネラリックの一部の商品でございます。
このように、美しい花瓶をご自宅のインテリアとしてお出迎えされると、とても充実した日々を過ごすことができるのではないでしょうか。
ルネラリックってどんな工芸家なの?
フランスを代表するガラスの工芸家ルネラリック(Rene Lalique)は日本でも美術館や展覧会が行われるほど芸術性の高い作品を世に多く残している工芸家です。
このように多くの素晴らしい作品が残されているのはルネラリックが元々ガラスの工芸家ではなかったことにあります。
ルネラリックは元々ジュエリーデザイナーでありそこで学んだデザイン性、芸術性をガラスの作品に取り込んだことによって芸術性の高い作品を作り上げたのです。
そのためルネラリック(1860-1945)は、19世紀後半から 20 世紀初頭にかけてのアール・デコ、アール・ヌーボースタイルの時期に最も影響を与えたクリエイターの一人として今日まで知られています。
◎伝説のガラス工芸家の1人 ルネラリック Rene Lalique
ルネ・ラリック(1860年~1945年)「rene lalique」は、19世紀後半から 20 世紀初「アール・ヌーボー」「アール・デコ」の2つの時代で活躍したジュエリーデザイナー兼ガラスの工芸家として最も優れた、フランスを代表する芸術家のひとりです。
ルネ・ラリックの作品は様式的にも技術的にも革新的で、個人所有用のもの、建築的なもの両方のガラス製品デザイナーとしての成功を導きました。
俗に言う“産業革命”の夜明けと言われる1945年に彼は亡くなるのですが、れまでに2世紀を股にかけて、2つの仕事をこなした「ルネ・ラリック」は1900年、40歳の時には、既に世界で最も有名な宝石職人として知名度がありました。
今日では、ラリックの作品の中では初期の頃に製作していたジュエリー、花瓶やオパルセントガラスのボウルなどの装飾的な作品で特に有名で、ルネラリックが亡くなった現在でもラリック社として、現在もガラス芸術作品を作り続けています。
そんな「ルネ・ラリック」は1860 年4月6日、フランスのマルヌ圏にある小さな村で、ビジネスマンを父とする平凡な家庭に生まれました。
※フランス マルヌ
電球、電話、自動車、洗濯機、電気そのものがなく、ほとんどすべての作業を手作業でやっている時代の産業革命前の19世紀、ヨーロッパの片田舎に生まれ、そこから、世界中で有名なガラス芸術家になったのです。
彼は、生まれて間もなくして父親の故郷である、パリ郊外へ引っ越しますが休暇には、よく村に訪れ自分の生まれ故郷との関わりを持ち続け育ちました。
ラリックは幼少期から美術に興味を持ち際立つ才能の持ち主でもありました。
1872 年にチュルゴー・コレージュへ入学し、「ジャスティン・Lequien」 に線画を学びました。
そして、在学中に線画で1等賞を取り、芸術的素質と才能を周囲に知らしめました。
その後、Paris School for the Decorative Arts(パリ装飾芸術学校)に入学しますが、1876 年にラリックのお父さんが亡くなり、宝飾職人のルイ・オーコックに弟子入りします。
そして、装飾芸術学校は夜間コースに通い、宝飾技術を学びながら、独自の芸術センスも磨きながら勉強も続けました。
この期間で、ラリックは本質的な制作技術を自ら学ぶとともに、その得た経験を活かしジュエリーデザインに使う原料をたくさん模索する機会を持てたのです。
ここまでの、経歴を知るとおわかりだと思いますが、ルネ・ラリックは、元々は、ジュエリーの制作技術を学んでいました。
ここを原点に、後にガラス製品にその宝飾技術を取り入れていったのです。
オーコックのもとで2年過ごした後、ラリックはロンドンへ移り、サイデナム・カレッジで勉強をしました。
※この学校は、もともと 1851 年の世界博覧会の建物として設計された鉄とガラスの有名なCrystalPalace(水晶宮)の中にアートスクールとして設立されました。
ニコラス・M.・ドーズ著書 ”Lalique Glass”
このときのラリックがイギリスへ渡った理由は明らかではありませんが、ニコラス・M.・ドーズは著書”Lalique Glass” の文中で「彼自身が明らかに、共感できるアーツ・アンド・クラフツ運動の発展したイギリスに引き寄せられたのかもしれない」
と推測しています。
確かに、この本に書かれているように、ラリック特有の自然主義的なスタイルのが表現され始めたのはイギリス滞在中のことです。
ルネラリックがプロとして初めての成功
1880 年にパリへ戻ると、ラリックは親戚の M. Vuilleret のもとでジュエリーデザイナーとして働き、その傍らフリーのアーティストとしても働きました。
また大義名分を理由に、ベルナールパリシースクール(Ecole Bernard Palissy)でジャスティンマレーレクイエン(Justin-Marie Lequien)のもと彫刻と模型製作も学びました。
すると早々に、カルティエ、ブシュロンなどの高級ブランドとジュエリーデザインの契約を結びました。
これをかわきりに、翌年1885 年に小さなアトリエをオープンし独立しました。
このアトリエでまだ発展途中だったアール・ヌーボー様式を取り入れ、独自のジュエリーデザインを制作するきっかけにもなったのです。
特に有名で世間から注目されたのは準宝石やエナメル、象牙、その他ハード・ストーンを使った作品です。
左:ゴールドペンダト
ダイヤモンドとエナメル 1903年製
イエローゴールドと色ガラス 1900年製
※ルネラリック ペンダント 「プリンセスファラウェイ」 1898-1899製
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※ルネラリック ブローチ 「キス」 1904‐1906年製
ラリックのアトリエは急成長し、1887年以降はアトリエを2か所置いて双方で作業をしている状態でしたが、1890年に職人が一括して働けるように広いアトリエに移り、そこを活動制作拠点にしました。
そのラリックの新たなアトリエは、彫刻家父子との共同作業で建てられ、彼はアトリエの壁と天井の装飾デザインを手がけました。
その縁で、ラリックはこの彫刻家の娘、「オーギュスティーヌ・アリス・ルドリュ」と結婚します。
この新たに建てたアトリエのオーナーとなり、晴れて名実ともにデザイナーになりました。
また、女優のサラ・ベルナールなどの有名人からのオーダー品のデザイン制作を手がけました。
トニー・L・モーティマーの ”Lalique” 著書
の中でもまたこんな言葉が残されています。
「ベルナールのひいきは、すぐさま国際的な評判を呼んだ価値ある商業資産だと証明した」このような内容です。
現代でも、有名女優などが身につけているジェリーは注目され、世の女性の憧れとしてかなりの影響力がありますよね。
また、この時期ラリックはジュエリーデザインにはじめてガラスを組み入れて、香水瓶など小物用品を制作しガラス製品にも進出しました。
1890年代もラリックの事業は大成功し、家庭も順風で1892年には長女スザンヌが誕生しました。
1894 年までに、アール・ヌーボー運動に名をはしたジークフリート(サミュエル)・ビングのLa Maison de l’Art Nouveau でラリックの商品が販売されました。
1897年、サロン・ド・パリで象牙と角材のくしを発表し、同年代に活躍していたガラスの工芸家エミール・ガレはその作品は「現代ジュエリーの創案者」と高い評価を与えたほどでした。
同年、ベルギーのブリュッセル万国博覧会に出展し、大賞を受賞します。
また、レジオンドヌール勲章(シュバリエ)の授章をします。
この年の最期を飾りました。
この一年の間ですごい功績を残すこととなりました。
1898 年、ラリックはガラス製品に向けた工房を立ち上げます。
ガラスだけを使った製品制作は短い期間で終わりましたが、他金属と一緒に組み込んでガラス製品を作り続けました。
18世紀の終わりには大きなパネルと浅浮き彫りのガラスピースの作品を制作し始め、その作品のフレームに銅を使用していました。
この新しい製法に興味を持ち、空洞の型を使ってガラスを色々な形に鋳造しました。
「ラリックはこのようなガラスの、順応性のある特性に商業的な可能性があることを確信した」と記しています。
1900 年、パリの万国博覧会の展示は大成功をおさめました。
ルネラリック Rene Lalique ガラス製品への移行
ラリックはフランスやヨーロッパ全域での美術展への出品を続けながら、1905 年に有名なパリの「ヴァンドーム広場」にジュエリーとガラス両方の品ぞろえのあるお店をオープンしました。
お店が香水商「フランソワ・コティ」の店の近所だったことから、1908 年ごろそれが縁でパートナーシップを結び、手始めにラリックはコティの香水のラベルをデザインしました。
その後、ガラスボトルのデザイン制作も手がけていきます。
香水が従来の伝統的でクラシカルなビンではなく、ユニークで特徴的なボトルで売られたのはこれが初めてでした。
ラリックのコティのために手掛けたデザインは、その後もデザインを続け、その当時の主要な有名香水の香りを呼び起こすものでした。
ルネラリック 1920年製 Ci Galia ミニアートグラス 香水瓶
ラリックは、コティの市場の大量な香水のボトルをつくるのに必要なだけの生産キャパシティを持っていなかったので、初期の香水ボトルはラリックがデザインし、制作はルグラ社が請け負い商品化していました。
そのため、1909 年にパリから少しだけ外れた場所にラリックはガラス生産工場を建て、自分の気に入った 反結晶・ハーフクリスタル(demicristal )のガラスを使用してラリック独特の様式をより理想的に表現できるようになりました。
しかし、同年仕事の躍進の裏腹に大変な悲しみも彼を襲いました。
妻、オーギュスティーヌ・アリス・ラリック‐ルドリュが亡くなったのです。
その辛い悲しみを乗り越えるかのように、1911 年ラリックは本格的ににジュエリーデザインからガラスデザイン製品へと転換し、ガラス製品のみに特化した最初の 国立美術協会のサロン「Salon de la Société National des Beaux-Arts」へ作品を出展しました。
翌年、フランスのブルジョア向け住宅やニューヨーク5番街の Coty Building のために外装から内装、インテリア用の花瓶の細部にいたるまでのデザイナーズ建築を請けおいました。
1914年の第一次世界大戦の開戦とともに、ラリックのガラス生産は純粋な装飾品から
病院や薬局で使用される、医療ガラス製用具や実験用具といった、利便性がある品を含むように変化していきました。
戦後、ラリックは自分の作品に高い需要があることを知り、1921年にフランス東部のヴィンゲン・シュール・モデールに大規模なガラス工場である、アルザスのルネラリックガラス細工「 Verrierie d’Alsace René lalique et Cie」を建てました。
現在もこの工場はラリック社が運営し、ガラス製品を含む花瓶等の制作を続けています。
1925 年、国際的に尊重されるパリの装飾美術展「Exposition des Arts Décoratifs 」でラリックはアール・デコスタイルを表現した、ガラスの装飾品の数々を出展しました。
アール・ヌーボーの写実的なスタイルと違った様式は、1925年の博覧会以降とても人気になり、ラリックは自分の持つアートスタイルを新しいアール・デコの技術と融合させました。
この時代には、ラリックのガラス製品はフランスの国中で広まり、アメリカ、イギリス、アルゼンチンをはじめとする国外のショップでもラリックの作品が多数取り扱われました。
ラリックの名を世に知らしめたことで特に有名な作品は、1926 年に大量生産が開始されたつや消しガラスの花瓶です。
彼のガラス製品は、当初はこのような小ぶりなデザインで、高価な品ではありませんでした。
ですが、時には大規模なフランスの高級遠洋定期船の内装や、装飾品やフランス中の教会の窓ガラス世界的にも有名なヨーロッパの豪華列車「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」の食堂車などのコンセプトに合ったデザインも手がけることもありました。
1920 年代後半から 30 年代初頭にかけては、ラリックはカー・マスコットのデザイナーとしても名を轟かしていました。
現代的な外装部分のボンネット・オーナメントの先駆けであったカー・マスコットは
当初は車のラジエーターのキャップ部分に取り付けられる小さな装飾でした。
※ルネラリック 馬のカーマスコット
ねじぶたの金属製アタッチメントで取り付けるか、エンジンカバーにボルト固定していました。
そして1925 年、フランスのシトロエン社の車用に彼が初めてボンネット・オーナメントのマスコットのデザインを手がけ制作したのです。
その後に次いで数年に渡り、高級車として誰もが知るベントレーやロールス・ロイスなどに27種類のカーマスコットを制作しました。
自動車会社が自社のロゴとして、カーマスコットをデザインするようになるとラリックはマスコットを別の用途にと、文鎮やブックエンドとして生産するようになりました。
ラリックの一般的な自然体のデザインは、バッタ、クジャク、ワシ、カエルなど動物をモチーフにしたものが多かったです。
※ルネラリック バッタが描かれた花瓶
1930年代も基本、小さなガラス製品を生産し販売し時々、大型品のデザイン制作を依頼されて取り組む姿勢が続きました。
これらの大型のオーダーというのは、パリのシャンゼリゼに置く噴水・アメリカのデパートの設備・旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)へのデザインがあります。
1931年、ジュエリー制作も細々と続けていたラリックはカボションの指輪をデザインしました。
そして、1935年、パリのロワイヤル通りにお店を開きました。
ここは今でもラリック社のオフィス、フラッグシップ・ストアとして開店しています。
第二次大戦とルネラリック Rene Laliqueの遺産
1939 年、ラリック製品は国内で絶対の人気を誇っていましたが、ドイツ軍にウィンゲン・シュール・モデールの工場が侵略された為、会社は操業を停止しました・・・
1945 年までは、この地域はドイツの支配下にあったため、ガラス工場は稼働できず閉められたままでした。
1945年 5 月 9 日、 残念ながらルネ・ラリックは戦後の工場再開を見ることなく、
85歳で亡くなりました・・・
その生涯は、ジュエリーとガラス製品において大いに成功し実りのあるものでした。
ラリックの死去により会社はどうなっかといいますと、1945 年後半、ラリックの息子マルクが父の会社を引き継いで、ウィンゲン・シュール・モデール工場を再開を果たしました。
そして、新たな鮮明な形態のガラスが使用することにより、新たなデザインが誕生し生産されるようになりました。
1956年、マルクの娘のマリー=クロード・ラリックがも工場で働き始めました。
1977年、彼女は父マルクの亡くなると、その後を継いでガラス工場の長となりました。
そして今日も、ラリック社は世界中の販売店で扱われるガラス装飾品とジュエリーの制作を続けています。
ラリックの1890年から1910年の世紀の変わり目に制作された、オリジナルの作品はニューヨークのメトロポリタン美術館、パリのオルセー美術館、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館といった世界的に有名な美術館に展示されています。
ルネラリック Rene Laliqueの素晴らしき作品のご紹介
ここからは、美術展に飾ってある展示品とはまた一味違う、自分でも手に入れることができる「ルネ・ラリック」の品として花瓶・アクセサリー・ジュエリー・ペンダントなどの作品をご紹介していきます。
ルネラリックの作品は、装飾性の豊かなオパルセントの香水瓶や花瓶が有名ですが、他にもテーブルランプ、シャンデリア、ウォールランプ等多岐に渡り作品を残してます。
作品はいろいろなモデルがありそれぞれに名前があります。
その中でも特に装飾が美しく芸術性に長けているデザインを、ここではご紹介させて頂きます。
※ルネラリック 飾り皿 オンディーヌ
ルネ・ラリック Rene Lalique タンポポ 三日月型プレート
ルネ・ラリック、タンポポの三日月型プレート 2枚セットの出品でございます。
立体的にタンポポの葉があしらわれており、大変ルネ・ラリックらしい、有名なお皿でございます。
メインの丸いお皿の横に配置すると、場所も取らずお皿のスペースを増やすことができるサイドディッシュでございます。
もちろん単体でも三日月形で美しいです。
サイズ
長径 約 20cm
幅 約 11cm
高さ 約 2cm
状態 商品は基本的良好です。(写真参照)
中古品というのをご理解の上、御入札お願いします。
関税税込、送料込みで20万円
※ルネ・ラリック Rene Lalique "CUSENIER" カラフェ、デカンタ
アール・デコのガラス工芸家ルネ・ラリックの作品です。
『CUSENIER』(キューゼニア)というリキュールを冠した作品です。
シンプルながらもラリックらしく洗練されたデザインです。
日本ではあまり出回らない珍しい作品です。
サイズ
高さ 27cm
直径 15cm
状態
目立つ大きな欠け、割れ、傷なく基本的良好です。
中古品と言うのをご理解の上ご入札お願いします。
※ルネ・ラリック 女神のボンボニエール Degas
ルネ・ラリック 女神のボンボニエール "Degas"
サイン:R.Lalique(1914年)
サイズ
直径84mm・235g
クリア・アンド・フロストガラス
女性をモチーフにしているボンボニエール
割れ・欠けなどない美しいアンティークガラスです。
※ルネ・ラリック 香水瓶 Petites Feuilles
ルネ・ラリック 香水瓶 "Petites Feuilles"
R.Lalique(1910年)
サイズ
高さ105mm・60g
クリア・アンド・フロストガラス
グレイパチネ
割れ・欠けなどない美しいアンティークガラスです。
※ルネ・ラリック 花瓶 アカシア Acacia
ルネ・ラリック 花瓶 "Acacia"
サイン:R.Lalique(1921年)
サイズ
高さ200mm・386g
クリア・アンド・フロストガラス
チャコールグレイパチネ
割れ・欠けなどない非常に美しいアンティークガラスです。
※ルネ・ラリック ボンボニエール ロジェ
ルネ・ラリック ボンボニエール "Roger"
サイン:R.Lalique(1926年)
サイズ
直径140mm・787g
トパーズガラス
割れ・欠けなどない非常に美しいアンティークガラスです。
※ルネ・ラリック 猪のカーマスコット Sanglier
ルネ・ラリック 猪のカーマスコット "Sanglier"
サイン:R.Lalique(1929年)
サイズ
高さ66mm・幅90mm・200g
ディープ・トパーズガラス
割れ・欠けなどない美しいアンティークガラスです。
※ ルネ・ラリック アヒルの灰皿 Canard
ルネ・ラリック 灰皿 "Canard"
サイン:R.Lalique(1925年)
直径100mm・167g
イエローガラス
アヒルをモチーフにしたアートガラスです。
割れ・欠けなどない美しいアンティークガラスです。
※ルネ・ラリック 杯 ウィンゲン Wingen
ルネ・ラリック 杯 "Wingen"
サイン:R.Lalique(1926年)
サイズ
高さ72mm・82g
クリア・アンド・フロストガラス
割れ・欠けなどない非常に美しいアンティークガラスです。
※ルネ・ラリック 小物入れ Fleurettes
ルネ・ラリック 小物入れ "Fleurettes"
R.Lalique(1919年)
サイズ
長さ100mm・473g
フロストガラス
ブルーパチネ
サインは"LALIQUE"と記されていますが戦前のRene Laliqueの初期作品です。
割れ・欠けなどない非常に美しいアンティークガラスです。
ルネ・ラリック カシェ(封印)Chien topaz
ルネ・ラリック カシェ(封印)"Chien"
サイン:R.Lalique(1926年)
サイズ
高さ86mm
ディープ・トパーズガラス
犬をモチーフにしたアート作品です。
目立つ欠け、割れ、傷なく良好な状態の
アンティークガラスです。
Rene Lalique ルネ・ラリック 灰皿 Dindon
ルネ・ラリック 灰皿 "Dindon"
サイン:R.Lalique(1925年)
直径95mm・高さ22mm・178g
オパールセントガラス
小鳥をモチーフにしたアートガラスです。
割れ・欠けなどない非常に美しいアンティークガラスです。
まとめ
ルネラリックの歴史を紐解いていくと、宝飾の勉強をしていたからこそガラス製品にそれらを応用することが出来たことが分かりますね。
そんな素晴らしいルネラリックの商品ですが、工場で作られた作品は現在でも数は少ないですがコレクションすることが出来ます。
私のショップでは、ルネラリックの商品を取り揃えておりますので、あなたもルネラリックの作品をコレクションされてみてはいかがでしょうか?
コレクションが増えるたびに、とても嬉しい気持ちにさせてくれる、そんな可愛らしい作品をルネラリックはたくさん作ってくれているんですよ。