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イタリア製 ベネチアングラス(ヴェネチア、ベネチアンガラス)

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弊社が取り扱うベネチアングラス・ベネチアンガラスについて

  • こちらでは現地で調達(買い付けしてきた)イタリアのヴェネチア製ベネチアングラス(ムラノガラス)を販売しています。
    (ヴェネチアングラス、ムラーノグラス)は、イタリア・ベネチアにあるムラーノ島で、1000年も昔から職人達の手作業で1つ1つ丁寧に作り上げられてきた伝統工芸品です。
    イタリアを代表する高級ガラスブランド、ヴェネチアのムラーノ島で作られるベネチアングラスは素材に 鉛を含まないソーダ石灰を使用する事でガラスが持つ本来の質感、触感、透明性、美しさを表現しています。

  • イタリア製 ベネチアングラス)ムラノガラスのラッティーノ技法花瓶

また、そういった鉛を含まない素材を使う事によってその他の材料のコバルトやマンガンの色合いが邪魔される事なく 素材そのままの色を出す事が出来ています。
混ぜた鉱物によって硬さが違い赤い色のものが一番硬度が高いと言われています。
ベネチアングラスは、ベネチアで観光客が購入するお土産品のなかでも非常に人気の高いアイテムです。特にアクセサリーや腕時計といった小物は人気でお土産として友人や家族にお渡ししても喜ばれます。
様々な色のガラスを組み合わせて作られたベネチアングラスの作品は素材のガラス自体が美しいのでしつこくなく飽きのこないデザインの物が多いです。現代のアーティストたちにも影響を与えているモダンなデザインが魅力的なベネチアングラスは、昔から変わらない技術をもちいて、熟練の職人たちによって丁寧に作られています。
イタリア・ムラーノ島のガラス職人は、熱せられたガラスの玉を吹くことによって、ガラスをいろいろな形や色に作り変えていきます。このようにして作られたオリジナルの芸術品に、ふたつとして同じものはありません。
ふたつとして同じ物がないと言われるのには理由があります。

  • イタリア製 ベネチアングラス)ムラノガラスタンブラー(ゴブレット)
  • ベネチアングラスの代表作はなんと言ってベネチアングラスを作る職人しか作ることの出来ないラッティーノとミルフィオリの作品ではないでしょうか。
    ミルフィオリの技術は小さい色付きのガラスをランダムに溶融して作る製法ですので同じ配置、同じ色合いになることはないんですね。これらの技術は他のガラスメーカーでは作成することが出来ない為ベネチアングラスだけの技術となります。

そしてこれらの技術を使って作られたガラスは全てがムラーノ島の職人が1つ1つ丁寧にハンドメイドで作った作品になります。そういった作品ですので職人の息遣いや温かみを感じる事が出来る為どれだけ長い間使っていても飽きがくることはありません。イタリアのヴェネチア製ベネチアングラス(ムラノガラス)は花瓶や食器だけでなく私のショップでもアクセサリーもとても人気です。
特にアクセサリーで人気なのが腕時計です。
ベネチアングラスの腕時計は女性のモデルしかないのですが文字盤の周りにはミルフィオリのガラスで縁取られておりその洗練されたデザインはどんな年齢層の女性にもマッチします。ほかにもネックレス、ペンダント、ピアスも非常に人気がありきっとあなたを1ランク格をあげてくれるでしょう。
ミルフィオリの技術を使った腕時計は他の人とかぶることなくオンリーワンを目指すおしゃれな方には嬉しいのではないでしょうか。
私のショップではアクセサリーも充実しておりますので是非ベネチアングラスのアクセサリーの魅力を感じて頂けたらと思います。
是非私のショップでベネチアングラスの魅力を感じてみてはいかがでしょうか。

ベネチアングラス(ムラーノ・グラス)の歴史の詳細


起源

ヴェネチアにおけるガラス製造の起源は、ガラスが浴場の装飾に使われていたローマ帝国時代に遡ります。
ローマ帝国での経験と、ビザンチン帝国や東洋貿易から学んだ技術とが融合し、8世紀初頭には、ヴェネチアは有名なガラス製造の中心地となりました。
ヴェネチアでもっとも初期の8世紀に作られたガラス溶鉱炉の一つは、1960年に考古学者によって発見されています。

1200年代後半までに、高品質なガラス製品製造がこの都市の主要な産業となっていたことが、
職人のルールや規制を定めたガラス製造者ギルドの成立によって裏付けられています。
このギルドの目的は、秘伝技術を守り、業界の利益を確保することでした。
これらの目的に即して、1271年に国外からのガラスの輸入、国外のガラス職人の雇用を禁じる法律ができました。

1291年にはより徹底した法ができ、最高級ガラス製造の中心地・ムラーノの成立の基盤となりました。
この法律は、すべてのガラス製造用の溶鉱炉をヴェニスからムラーノへ移すことを定めました。
人口が過密したヴェニスで、大部分が木造の建築物に溶鉱炉から火が燃え広がる危険を避けるためでした。
しかし多くの歴史家が、この法律の真の目的は職人が秘伝を漏らすことができないよう、特定地域に隔離することであったとしています。
続いて1295年に職人がこの地を離れることを禁じた法ができたことが、この仮説を裏付けています。

ガラス製造業で働く職人たちは、大いに労を報いられました。
彼らは特権的な社会的地位を得、彼らの娘たちはヴェネチアのもっとも裕福で身分の高い家系に嫁ぐことを許されました。
こうした賢い方策をとることにより、ヴェネチア政庁はガラス職人の子供たちが家業を継いで、
秘伝がそれらの家系のなかに保たれることを確実にし、革新とさらなる成功を導く創造的なプロセスを促しました。
このことと、東西の貿易の十字路であるという立地条件のおかげで、ヴェネチアは何世紀にもわたり、
ヨーロッパ全域の高級ガラスの製造と販売において独占的な力を持ちました。

15世紀と16世紀 ベネチアングラス(ムラノガラス)製造の全盛


ヴェネチアン・グラス(Venetianglass)は、15世紀と16世紀に人気の頂点に達しました。
15世紀には、名匠アンジェロ・バロヴィエが澄んだガラス(クリスタッロ/クリスタル)の製法を発見し、
これにより、ムラーノのガラス製造業者はヨーロッパで唯一の鏡の製産者となりました。
それに加え、ヨーロッパの貴族の間での中国製磁器の人気が、磁器を模した白いガラス(ラッティモ)の製法の発見と製産を後押ししました。

そして他のタイプのガラス製造技術、たとえば中東に起源を持つエナメリングや
ギルディング、フィリグラーナ・ガラス(白や金色等の糸状のねじれ・交差を含んだガラス棒を使ったもの)、
細かいひびが入っているように見えるアイス・ガラスなどが人気を得るようになりました。
輪郭と装飾のシンプルさが依然として美しさの基準と見なされていたものの、
形状や色のバラエティーは豊かになり、ガラス製品はより洗練されていきました。

17世紀 ヴェネチアン・グラス(Venetianglass)のゆるやかな衰退


17世紀から、ムラーノ・グラスは徐々に衰退の時代を迎えました。
交易路におけるヴェネチアの覇権と商業の大きな中心地という重要性が薄れ始めるにつれ、
ガラス製造の独占力も同様に衰えていきました。
技術の新しい中心地がボヘミア、イングランド、そしてフランスに現れました。
しかし17世紀には、建築、絵画、インテリア装飾、その他のアートと工芸において、
ヨーロッパ一帯にバロックの強い人気が広がり、それに後押しされて生まれ続けるムラーノの新技術は、
依然として革新的なものと見なされていました。

花や動物を主題とし、鮮やかに彩色された複雑なガラス装飾は人気を博しました。
アベンチュリナ(キラキラと輝く効果を出すため、ガラスの中に金属の薄片が埋め込まれたもの)や
カルセドニオ(準宝石を模したもの)を含む新しいガラスの製造技術が、ガラスに施す装飾を進化させ、
ミッレフィオーリ(モザイクガラス)のビーズを生み出しました。
これらの新技術は大変な成功を収め、いくつもの宮廷までがムラーノの職人に注文をしたほどでした。
その一例がデンマークのフレデリック四世で、17世紀初頭に購入された一連のガラス製品は、
現在コペンハーゲンのローゼンボーグ宮殿に陳列されています。

18世紀と19世紀 イタリアの職人が作るベネチアングラス(ムラノガラス)の転落と復活


18世紀、衰退は続き、悪化する政治情勢とボヘミアやフランスの職人との競争の高まりに追い討ちをかけられました。
ガラス製品や鏡への彫刻などの新技術がいくつか取り入れられたものの、それらは大きなインパクトは与えませんでした。
ガラス産業は、1797年のナポレオンによるヴェネチア征服と、
ガラス製造業者のギルドを含むすべてのギルドの廃止により、急激に縮小しました。

1814年、ヴェネチアの支配がフランスからハプスブルク帝国に移ったことは、
ムラーノ・グラスへの決定的な死刑宣告となりました。
ハプスブルクの支配者たちは、彼らのガラス製造の中心地であるボヘミアのほうを好み、
ムラーノへの必要な原材料の持ち込みと、出来上がった製品の輸出を禁じる法律を作りました。
結果として、1800年のムラーノに存在していた24の工房のほぼ半数が1820年までに閉鎖し、
吹きガラスを作り続けたのは5つの工房だけでした。
しかし大きな困難にもかかわらず、この産業は完全に死に絶えたわけではありませんでした。
職人たち一人一人が、数世紀の伝統を持つ工芸と、
かつてムラーノ・グラスを世界的に有名にした父祖の努力に対して向けた敬意ある献身が、それを生きながらえさせたのです。

突破口は、六人のトーゾ兄弟がフラテッリ・トーゾを開いた1854年にやってきました。
最初は家庭用のガラス製品と窓ガラスを作っていましたが、忘れられていた過去の技術の再生へと進路を変えました。
5年後、ヴィチェンザで弁護士として開業していたアントニオ・サルヴィアティが、伝統的なムラーノ・グラスの製造工場を開くためにヴェネチアにやってきました。
彼は古いヴェネチアン・モザイクの修復に使えるタイルの生産に、その技術を復活させるチャンスを見いだしました。彼は工場で働かせるために、ムラーノで最高の名人たちを雇いました。彼のガラス吹き職人の一人、ロレンツォ・ラディは、オーストリア支配下で長い時代を過ごし、そこでかつてのヴェネチアン・モザイクを作り出した古い製法と技術を再発見していました。

サルヴィアティの計画は成功し、ヴェネチアの権力者たちは、すぐにサン・マルコ大聖堂のモザイクの修復のため、彼の工場との15年契約にサインしました。
ほぼ同じ頃の1861年、ヴェネチアの市長アントニオ・コレオーニと大修道院長のヴィンチェンゾ・ザネッティが、ヴェネチアの歴史記録を収集することを決めました。
それにはさまざまな文書だけでなく、この都市で作られた芸術品も含められました。
記録保管所のための収集は、ヴェネチアの歴史、過去の栄光、そしてガラス製造を含む有名な手工芸への新たな興味を呼び覚ましました。
今度はそれが当局に刺激を与えることになり、忘れられたテクニックと秘伝技術をガラス職人が再び学べる学校が設立されました。


ムラーノの吹きガラス再生のクライマックスとなったのは、記録保管所が企画し、1864年に開催した展覧会でした。
展示品はすべて最近のガラス作品で、職人の間に競争心を再燃させました。
この展覧会に続いて国際的な展示会が催され、なかでも1867年にパリで開催された国際展示会は大変な成功を収めました。
サルヴィアティはそこで彼の工場の作品を500以上展示し、世界的な賞賛といくつものメダルを手にしました。
この成功と評判がムラーノの完全な復活につながり、ムラーノは1869年までに、
3500人を雇用する活発な経済の中心地、そして有名な観光地となりました。

20世紀 新たな独自性とベネチアングラス(ムラーノ・ガラス)のアート


20世紀の初頭、ムラーノの名職人たちは、依然として古典的なスタイルの再生と古い技術の再発見に夢中になっていました。
それは1895年にムラーノ市庁舎内で行われた、ムラーノとヴェネチアの高級ガラスおよびガラス製品展示会に明らかに表れています。
展示会のルールは、展示品をアンティークのガラス製品の複製品と定めていたのです。
この大きなイベントには、世界中のコレクターと、ムラーノ独特の伝統に根ざす作品を高く評価するガラス愛好家が多数集まりました。


展示会には、ムラーノの職人たちによる最高の作品が陳列されました。
多くはムリーノ(モザイク)と呼ばれる貴重なガラス製造技術を使ったもので、
それは19世紀末期にフラテッリ・トーゾで働いていたヴィットリオ・ズッフィによって再発見された技術でした。
もともとは16世紀に古代ローマの壷を模倣する目的で生まれた技術です。
ムラーノの有名な工房アルティスティ・バロヴィエが、賞状と金メダルを受賞しました。
当時ムラーノで人気を博していた他のアーティストは、サルヴィアティ、テストリーニ、そしてトーゾ・ブラザーズ(フラテッリ・トーゾ)でした。



1895年は、最初のヴェネチア・ビエンナーレが開催され、そこでアバンギャルドとアールヌーボーの新しいアート作品が展示された年でもありました。
この出来事は、当時ヨーロッパで勢いを増しつつあったモダンな流行と、
過去のスタイルと製法に深く浸っていたムラーノの職人たちの作品とのギャップを際だたせました。
1900年にパリで開催された万国博覧会でこのギャップはより鮮明になり、
続いて1902年にトリノ、1906年にミラノで開催された装飾芸術博覧会でも同様でした。
ヴィットリオ・トーゾ・ボレッラなどの何人かのムラーノの職人たちは、
アートシーンに吹く新しい風に理解を示すようになり、アールヌーボー・スタイルの作品を作り始めました。
ヴィットリオが1909年にカ・ペーザロ国際現代美術館で展示した作品の評価は、最初は賛否両論でした。
しかし彼は、のちに世界的に賞賛されることになる名作を作り続けました。
ヴェネチア・ビエンナーレとは異なり、カ・ペーザロはアートの新しいトレンドを受け入れるようになり、
ジノ・ロッシ、アルトゥロ・マルティーニ、そしてグイド・マルシーグといった若いアーティストによる
アールヌーボー・スタイルの作品をたくさん展示するようになりました。
そういったアーティストの一人、ヴィットリオ・ゼッチンは、精力的にアルティスティ・バロヴィエと協力し、
有名なガラス製品のデザインを誕生させました。


1920年代になると、アールヌーボーはしだいに、よりシンプルで、よりクリーンで機能性を持ったモダンなデザインに取って代わられていきました。
アールデコが主流となると、より飾り気がなく滑らかなラインを持つものが現れ、
ガラス製品は独立した芸術作品やその一部ではなく、インテリアデザインの一部を担うことに重きを置くようになりました。
ヴィットリオ・ゼッチンを主任デザイナーとして1921年に設立された新しい会社、
ヴェトリ・ソフィアティ・ムラネージ・カペリン・ベニーニは、そのスタイルの王者となりました。


その少しあと、1920年代の終盤から1930年代の初頭、
マエストリ・ヴェトライ・ムラネージ・カペリンとヴェトレリア・アルティスティカ・バロヴィエによって先導された、もう一つの大きなトレンドが現れました。
そのトレンドはガラスの動物で、今でも人気を博しています。
1930年代から1940年代にかけて支持され続けた他の重要な新機軸としては、
ガラスの女性裸像、クラシカルなボクサーや神々の像、ガラスへの彫刻、モダンな照明装置、
完璧に調和がとれた透明なガラス食器の製造がありました。
そしてヴェトロ・ソマーソの技術が発明されたことで、外側と内側で色の違う厚いガラス製品を誕生させました。


第二次世界大戦中は、ガラス業界は成長しませんでした。
しかし戦争が終わるとすぐに、ムラーノの名人たちは彼らの仕事に戻り、
当時のインテリアデザインのトレンドであるミニマリズム、機能性、そしてシンプルさに深く根ざした作品を作りました。
これらのトレンドを支えるため、ムラーノのアーティストと職人たちは、過去の技術である
フィリグリー、ムリーノ、そしてラッティモに回帰しました。
この時点からムラーノは、技術的な熟練と、アウトライン・色・装飾との理想的な融合の発見をめざして、
スタイルとテクニックの探求を懸命に続けるようになります。


その結果生じた絶え間ない革新的な変化は、人気の上昇といくつもの国際アート展での受賞につながりました。
これらの傑出したアーティストたちアルキメデ・セグーゾ、ルドヴィコ&ラウラ・デ・サンティラーナ、
トビア・スカルパ、エルコーレ・バロヴィエ、フルヴィオ・ビアンコーニ、トニ・ズッチェリ、ロマーノ・クリヴィ、
ジャンパオロ・マルティヌッチ、そしてアルフレード・バルビーニのおかげで、
ムラーノは再び世界の吹きガラスの中心地として知られるようになりました。
今やムラーノは何年も前のトレンドを追うのではなく、アートのトレンドを誕生させたのです。



ベネチアンビーズの起源

最初はエジプト、その後はローマ時代と、古くから知られていたビーズの生産もガラスロッドで行われていました。

ベネチアで生産された最初のビーズは、14世紀までさかのぼります。
これらは何世紀にもわたって、アフリカ、アメリカ、インドとの貿易と輸出において非常に貴重なものでした。
ベネチアのビーズは、技術別に分けると、コンテリア(シードビーズ)、ロゼッタ(シェブロンビーズ)またはlume(ランプ加工ビーズ)のいずれかになります。
14世紀にはムラーノでの記録があるシードビーズは、白黒の小さなもので、細い中空のガラスロッドから生産されます。

ベネチアンガラスビーズの利用法

これらは刺繍に利用したり、他のものと組み合わせて使用します。
15世紀にアンジェロの娘マリエッタ・バロヴィエ(Marietta Barovier)によって発明されたシェブロンビーズは、ムッリーネのようないくつかの多色層で作られた中空ロッドから作られています。
ランプ加工のビーズは17世紀にさかのぼります。
これらは、固体ガラス棒を裸の炎(lume)上で加熱することによって作られます。

溶融したガラスは、片方の手で持つ連続的に回転する金属ワイヤー上に滴り落ち、無限のバリエーション、効果、そして色が追加されます。
19世紀にムラーノを苦しめた危機の最中に、繁栄して実際に拡大することができたのはビーズ生産だけでした。
活躍した製作者にはフランチーニ家やドメニコ・ブッソリン(Domenico Bussolin)などがいます。

ベネチアンビーズのもう一つの役割

ベネチアンビーズはとても重要なジャンルであり、街の歴史や伝統と密接に結びついています。
例えば、マリエッタ・バロビエは自身の創造力もさることながら、女性の雇用に特別な役割を果たしました。
多くのムラーノの女性は常にこの分野で働いてきました。
特に興味深いのは、非常に熟練したベネチアのビーズ糸通し職人達です。
彼女達は何世紀にもわたって箱(セッソラ)と共に、膝にビーズをいっぱいつけて、路地や小さな四角に屋外に座っていて、 充実した人々とその生活を表すベネチアの特徴でした。



ヴェネチア製のベネチアングラス(ムラノガラス)の偽物本物どこを見る?


弊社のショップにはほぼ毎日と言っていいほど真贋が気になるといったお問い合わせを頂きます。

1番多い内容は

『ベネチアンガラスとして購入したのですがあまりも安くて心配です。』


こういった内容のお問い合わせをたくさん頂きますね。



実際のところベネチアングラスだからと言ってそれを鵜呑みにして

購入してしまうと偽物をつかまされてしまう可能性もあります。
特に日本で販売されている信じられない価格のベネチアンガラスの商品はほとんどと言っていいほど
偽物と言っていいでしょう。

なぜなら本物のイタリア製のベネチアンガラスは職人が手作業で作ってるので必然的に
値段は高額になるからです。
 

偽物ってどこで作られているんですか?

そもそもの偽物ってどこで作られているんでしょうか。

ベネチアングラスの偽物はほとんどの場合は中国で作られています。

他にも、モロッコ製、チェコ製もありますね。

他にもいろんな国で作られているのですがほとんどが中国製が
多いのが現状ですね。

また厄介なのが日本で作られている日本製のベネチアングラスです。
日本でもベネチアンガラスの技法を真似て作りそれをベネチアンガラスとして販売している
ショップも存在します。

それであんまり知識がない状態でこれはベネチアングラスですよって
言われたらこれがベネチアングラスなんだって思ってしまって間違えて購入してしまうんですね。

そして、ベネチアングラスをコレクションしていく間に
「あれこの商品ってベネチアングラスとは違うような・・・」


みたいな感じで後になって気がついてしまいます。

でもそれでは遅いですよね。


そうなる前に事前に知識をつけてベネチアンがどういった商品であるか
と言うのを理解したうえで購入するようにしましょうね。
 

実際にベネチアンガラスの偽物を見てみましょう!!

下記の写真はベネチアングラスの偽物の商品になります。
 

ヘ?ネチアンク?ラス(ムラノカ?ラス)の偽物

ヘ?ネチアンク?ラス(ムラノカ?ラス)の偽物2

本物に見えませんか?

知識がない状態だったら本当に本物って思ってしまってもおかしくない
見た目の出来です。

ただし、

私からすればこんな安っぽい青いガラスに金を塗ったところで
偽物は所詮偽物なんです。

ではどこを見ていくべきか解説していきます。

・製造が簡単でそれっぽく見える青や赤のガラスに金を塗ってあります
 さらにその金は時間の経過とともに剥がれてきます。
・保証書っぽいのが箱の中に入ってますがそれも偽物です。
・見よう見まねで作った商品だからオリジナル性が含まれ
本来ベネチアングラスにない形になっています。(上記の形はありません)
上記の商品も金の上から赤と青の石っぽいのを乗せてますが
安いガラスです。
・赤也青のガラスに金が塗られている商品は購入しない方が無難です。


こういった感じで偽物の商品は非常に見分けが付きやすいです。

赤や青いガラスに金が塗られている商品は信頼の出来るお店で
購入するのが間違いないでしょう。

イタリアに旅行に行った際に
現地に行けばそれっぽいお店もありますが実は偽物をベネチアングラスと
偽って売っているお店も多くあります。

なので、現地に初めて行っていきなりベネチアングラスを購入するのは
おすすめしていません。


旅行に行った時にはまず1回目は購入したい気持ちを抑えてどういった
お店があるのかだけ見ていった方が良いと思います。

話は戻りまして
また、金で塗られた中央には花が描かれています。
こんな感じですね。
ヘ?ネチアンク?ラス(ムラノカ?ラス)の本物


これが本物のベネチアングラスの色ガラスを用いた作品の形です。

ガラス自体に深みがあって金の塗りも厚く装飾も美しいですよね。

この形を覚えておけばまずは偽物にだまされる事もないでしょう。

また証明の他にも商標のラベルがあります。

ちなみにベネチアングラスにはバカラのようにマークや刻印が入っていません。
なのでラベルがない商品に関しましてはその商品自体をみて判断しないといけません。
この商標ラベルはベネチアングラス協会に入っている工房が
基準をクリアした際に与えられる商標シール(ラベル)になります。

ですがベネチアングラス協会に入るのは強制ではなく、
自己申告制ですのでベネチアングラス協会に入ってない工房もありますので
このラベルがないからと言ってに偽物であるかと言うとそうではありません。

このラベルが付いているのであれば本物だということですね。

 

 

今年から追加されたベネチアングラス認定ラベルで
旧型のラベルに対してバーコードが追加されてます。

このバーコードを読み込むことによってベネチアングラス製の
商品かどうかを確認することが出来るは当たり前のこと
その製品の製作者、作られた過程など、詳しい情報を得られるようになったのです。

 



 

ベネチアンガラスに偽物が多い理由

ベネチアングラスも日本でもバカラに匹敵するくらい人気のガラスブランドですので
それにあやかって偽物を作る工場も後を絶ちません。
また日本では本物よりも偽物の流通の方が多いので、本物のベネチアンガラスを知らずに
偽物を本物と思って購入してしまっている人もかなりいます。

値段があまりにも低い商品でもベネチアンガラスとして認識されているのは
とても悲しい事ですし、そういった事をするショップもいずれは無くなって欲しいと思っています。

ここで簡単に偽物を販売しているショップの見分け方を解説します。
ベネチアングラスの偽物を販売するショップ
ベネチアングラスの偽物を販売するショップの商品説明
上記の画像を見てもお分かり頂ける様にベネチアンガラスのネックレスが通常の価格の40%OFF
で販売されています。
もちろん、これは偽物です。
この様な金額でベネチアングラスは手に入れる事は出来ませんからね。

そして、決定的なのが

ヴェネチアンガラス ロングペンダント 日本製

と書かれています。
イタリアで作られたからベネチアングラスであるはずなのになぜか日本製と書かれています。
残念な事にこういった形で普通にベネチアングラスでない商品までもベネチアングラスとして
販売されているのが現状です。

 

ベネチアンガラスの比較的偽物が少ない技法

その反面偽物を作るのにはかなり難しい技法があります。
ラッティーノ技法とミルフィオリ技法ですね。
これらはヴェネチアの職人が手作業で作るため非常に手間暇がかかます。

これらの技法は一朝一夕で身につく技法ではありませんので
偽物業者も最初から手を出しません。


どういう商品かと言いますとこちらが

ミルフィオリの技法を使った作品



ヘ?ネチアンク?ラスのミルフィオリ技法を用いた水差し 

ラッティーノ技法を用いた作品


ヘ?ネチアンク?ラスのラッティーノ技法のコンホ?ート 

このように見た目からも分かる通りとても複雑な技法で
製作されています。

1個目もミルフィオリ技法は小さなカラフルなガラスをいくつも溶融して
1つの商品を作り出すので職人技がないと亀裂が入ったり隙間が生まれたりします。

ラッティーノ技法は写真からでも分かる通りガラスがレース状に
仕上げてあります。
この技術もベネチアングラスしか作ることの出来ない技術ですので
いかに他社が真似するのが難しいのかというのが分かって頂けるかと思います。


ですので偽物を掴まないためにはような複雑で他社が真似できない技法の作品を
購入すれば偽物をつかまされるリスクも下がると思います。



いかがでしたでしょうか?


ベネチアングラスはやはり美しいからこそ偽物が多く出回っています。
しかし、偽物は所詮偽物ですので見た目からして粗悪品であることは
間違いありません。

偽物をつかまされない為にもまずは自分の知識をつけてそれっぽい雰囲気に
惑わせれないないように判別出来るようになっておきましょう。