ルイスカムフォート ティファニー(Louis Comfort Tiffany)

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      ルイス・カムフォート・ティファニーの歴史・ガラスの技法

          ルイス・カムフォート・ティファニー氏は、1848年に生まれた有名な芸術家です。

      彼は、様々な芸術活動を行っていた事で有名で、鉛ガラス、モザイク、照明、陶器、金属製品、エナメル、宝石、インテリア用品などの生産を行いました。

      彼の作品の中では、特にガラス工芸の評価が高く、乳白色ガラス、ファブリルガラス、ドレープガラスといった特徴あるガラスが有名です。

        その名前からも分かるように、彼は、有名な宝飾品会社であるティファニーの創設者の一族であり、ティファニー創業者であるチャールズ・ルイス・ティファニー氏(1812~1902)の息子にあたります。

      しかし、彼自身は父親の事業を引き継がず、芸術家としての道を歩む事を選択しました。

        その後、芸術家として活躍する一方で、ティファニー社のアートディレクターに就任するなど、会社との関りは持ちつつ、様々な仕事を行います。

      1882年には、ホワイトハウスの内装の設計を行うなど、芸術家として優れた成果を挙げていきます。

        若い頃のティファニー氏は、芸術家になるという志のもと、ニューヨークで家庭教師に勉強を教わり、その後、ヨーロッパで様々な芸術の知識を学んでいきます。

      この時、特に集中して学んだのは絵画についての知識であり、ジョージ・イネス氏(1825~1894)やサミュエル・コールマン氏(1832~1920)の影響を強く受けていたといわれています。

        ティファニー氏は、1866年にニューヨークの国立デザインアカデミーに入学し、1870~1871年には、旅行で北アフリカを訪れ、アフリカのタンジールにおいて作品の着想を得て「蛇使い」という絵を完成させました。

      この作品は、その後、1876年のフィラデルフィア万国博覧会に展示されるという快挙を成し遂げます。

      1870年代の中頃には、ステンドグラスについての実験を行いました。

        この時に培った観察力と分析力が、彼の作品に見受けられる豊かな創造性へと結実する事になります。

        1879年、ティファニー氏は装飾的な芸術とインテリアへと仕事の幅を拡大し、ニューヨークのクイーンズにガラス製造会社を設立します。

        彼の最初の大きな仕事は、ニューヨークのアパートメントの最上階にある自身の邸宅兼スタジオのインテリアデザインの仕事でした。

        この邸宅は、玄関には、鉛で枠を縁取ったガラスの窓が設置され、実験的に乳白色ガラス、大理石や紙吹雪タイプのガラス、荒削りの宝石を使用するなど、その装飾として、大胆で印象的、斬新なデザインが用いられた点が特徴です。


      「ニューヨークのアパートメントのインテリアデザイン」 1880年頃

          このような試みのもとに仕事を行い、彼の会社はたちまちのうちに成功を収め、事業は拡大していきます。

      ここで用いられた乳白色ガラスは、ティファニー氏の作品によく用いられるガラスで、ユニークな彩色方法によって制作されるガラスです。

      これは、製造過程の中で、多数の色のガラスが混交されて作られるガラスで、ティファニー氏の制作する様々な製品に使用されており、彼の作品を特徴づけるガラスであるといえるでしょう。

        ティファニー氏は、ライバルであるジョン・ラファージ氏と共に、ステンドグラスの技術的な進展に取り組み、より豊かな色合いや優れた密度を持つ、色彩豊かな表現を追求しました。

      この乳白色ガラス自体は1860年代頃からイギリスで製造が行われていたのですが、ティファニー氏とラファージ氏は、1881年までに、それぞれ乳白色ガラス(オパレセントガラス)の特許を取得し、技術的な発展に力を入れて取り組みます。

      ティファニー氏の乳白色グラスは、その中にアメリカ独自の技法が用いられていて、不透明でありながら、光によってときおり虹色に変わるという特徴をもったガラスでした。


      「モクレンとアイリス」 1908年頃     この頃には、ティファニー氏は、その作品によってニューヨーク市民から人気と尊敬、称賛を得るようになり、彼の名声は高まっていきます。

      そして、1882年には、チェスター・A・アーサー大統領からホワイトハウスの装飾を依頼されるまでになります。

      彼は、そこで乳白色ガラスを用いたスクリーンを制作したり、ホワイトハウスの部屋ごとにそれぞれ最適なデザインを施すなど、趣向を凝らした素晴らしいデザインを行いました。


      「ホワイトハウス内装」 1882年  

        このように、ティファニー氏は、ガラス制作において大きな成功を収めますが、彼の原点である絵画もやめたわけではありません。

      1888年には、彼の2番目の妻であるルイーズ氏をモチーフにして作品を制作しており、これは、パステルで表現された、穏やかな色合いの中に落ち着きを感じさせるような作品です。

      しかし、そこに使われている技法は大変高度なもので、洋服や肌のきめ細やかさを豊かに描き分ける事によって、難しい題材を表現力豊かに描き出す事に成功しており、彼の巧みな技巧が表れた、優れた作品となっています。

      「ルイーズ・ティファニー 読書」 1888年  

        ティファニー氏は、コールマン氏と仕事の上で提携し、ヘンリー・オズボーン・ハブマイヤー氏のニューヨークのマンションのデザインを行います。

      ヘンリー氏は、ティファニー氏を応援するパトロンであり、彼の作品を多く所有していました。

      マンション自体は1892年に完成し、そこでは、ケルトの模様が施されたアームチェアが制作されるなど、様々な趣向が凝らされました。他にも、レンブラントルームと呼ばれる図書室を設けたり、多彩な様式の装飾が取り入れられている点がこのマンションの特徴です。

        1892~1893年にかけて、ティファニー氏は、イギリスから来たガラス職人のアーサー・ナッシュ氏と共に仕事を行うようになります。

      ナッシュ氏とティファニー氏は、ニューヨークにガラスの家を建てるなど、様々な仕事をこなしていきますが、中でもナッシュ氏が監督していた窯で作り上げられた虹色のガラスは、優れた魅力を持っていました。

      このガラスは、異なる色を溶けた状態で混ぜ合わせて模様を表現する手法で制作されており、このガラスを使用する事により、陰影や、きめ細やかな表現が可能になりました。

      ティファニー氏は、このガラスを古い英語の表現であるfabrile(人の手で制作された、という意味)から派生させてファブリルガラス(Favrile glass)と名付け、ハンドメイドで制作された独自の品質を持つガラスに対して、この名前を使用する事にしました。

        ファブリルガラスは、鮮やかな虹色の色彩を持っている特徴的なガラスであり、ティファニー氏はこれを商標登録します。

      そして、このファブリルガラスにより、彼はガラス生産の業界において世界的なリーダーの地位を獲得します。

      ティファニー氏は、その後も、ファブリルガラスの研究を継続し、幅広い生産技術と、より発展したスタイルを編み出し、様々な表現に挑戦していきました。

      「ファブリルガラス」 1905~1910年頃  

        ファブリルガラスの中には、その特徴的な色使いを活かして、溶岩や溶けた岩を思わせるような光沢のある製品があり、鮮やかな色合いを持つ製品があるなど、特徴的な製品が多く存在しています。ファブリルガラスは、その内部に、様々な色合いからなる豊かな陰影を持っており、ファブリルガラスを使用して、絵の詳細な表現をする事も可能でした。

      ファブリルガラスは、特に虹色の文様が有名ですが、これは、ガラスが加熱されている時に、異なる色のガラスが融合する事によって得る事ができます。

      このような特徴を持つファブリルガラスについて、ティファニー氏は以下のように述べています。

        「ファブリルガラスは、華やかで深みのある色調で有名であり、アメリカの蝶の羽、鳩や孔雀の首、様々なカブトムシの羽のような虹色を持っている点が特徴です。」

      このように、ファブリルガラスは、その虹色の鮮やかさに代表されるような優れた性質を持っており、この技術により、ティファニー氏は国際的な名声を得るようになりました。

        この他に、ティファニー氏の制作したガラスとして有名なのが、ドレープガラスです。

      ドレープガラスは、ひだのある布のようなガラスの事で、折れ重なった布地のように波のあるガラスです。

      ドレープガラスを制作するには、高い技術力と経験が必要であり、溶けたガラスをハンドローラーで波状に成型していき、それを冷やして硬くすると布のような質感を有する、波模様が描かれたドレープガラスが出来上がります。

      そのドレープガラスに、カーバイド製のガラスカッターで切り込み線を入れ、専用のペンチでその線に沿って切断して成形を行い、作品へと使用します。

      ティファニー氏は、このドレープガラスを教会のステンドグラスなどに多く利用しました。そこでは、天使の羽や流れるようなローブの質感、モクレンの花びらの自然な粗さが、ドレープガラスによって美しく印象的に描かれています。

          このように、ティファニー氏は、ガラスを用いた巧みな表現を行い世界的な評価を獲得していきますが、彼はそれを活かしてランプの制作にも取り組みます。1898年、ティファニー氏とそのスタジオは、モザイク文様の技法を活かした美しいランプの制作を行います。

        例えば、睡蓮をデザインして作られたランプは、乳白色ガラスを用いて作られており、それが青いさざ波と調和して描かれている様子は、独特の魅力を持っています。

      このような技法は、乳白色ガラスやファブリルガラスからの自然な進展であり、ティファニー氏の技術が余すところなく使用され、穏やかで優美な、優れた表現となっています。

        ティファニー氏は、モザイクを使用して絵画を描く事にも挑戦しており、「庭の景色と噴水」は、モザイクガラスによって描かれた絵画のようなガラス作品です。

      作品の中にファブリルガラスを用いるなど、この作品には様々な技術が使用されており、微妙な色合いや影、質感を表現し、絵画的な構成に挑んで作られたこの作品は、空の色や水に映る樹木などをガラスで巧みに表現した優れた出来栄えとなっています。

      「庭の景色と噴水」 1905~1915年頃  

        ティファニー氏の創作意欲は留まる事なく、1899年には、エナメル、その数年後には陶器の制作に取り掛かるなど、多方面で活躍の場を広げていきます。

      エナメルでは、虹色の鮮やかな色合いを描き出し、陶器は、当時のヨーロッパ、特にパリで目にした陶器の作品の数々から着想を得て制作を行っています。

        1900年には、パリ万国博覧会において、「四季」を表したステンドグラスが金賞を受賞するなど、彼の作品は、相変わらず高い評価を獲得し続けます。

         
      「四季 秋」 1889~1990年頃  

        1902年には、彼の父親であるチャールズ・ルイス・ティファニー氏が亡くなり、息子であるティファニー氏は、ティファニー社のアートディレクターに就任しました。

      その頃から、宝石のデザインも行うようになり、1904年には、彼の最初の作品がセントルイス購入見本市に展示されています。

      数々の作品の制作を経て、卓越したデザイン感覚を身につけていたティファニー氏は、宝石においても優れた作品を制作し、当時の芸術批評家の好評を得て注目を集めるようになりました。

      エナメルと半貴石を使用して作られる彼の宝石は、素晴らしい出来映えでした。

        同じ頃、ティファニー氏は、ニューヨークの東南部ロングアイランドに、自身の邸宅であるローレルトンホールの建設を行います。

      これは、1902~1905年の間に建設が行われた大規模な建物で、84の部屋をもつ8階建ての建物でした。

      この建物は、ティファニー氏の美的な理想が具現化された究極の建築物であり、彼の持つ芸術性が遺憾なく発揮された優れた建物です。

      残念ながら、現在は取り壊されてしまったのですが、建物の一部である4本の柱がメトロポリタン美術館に保存されており、現在も見る事ができます。

      「ローレルトンホールの4本の柱」 1905年頃  

      彼は、その後も、精力的に創作活動を続けていきますが、1919年に引退を表明。晩年は、慈善事業など社会に貢献する活動を続け、1933年1月17日、ニューヨークの自宅で亡くなります。

      享年84歳でした。

      彼の残された作品は、バージニア芸術ミュージアム、インディアナポリス美術館、メトロポリタン美術館、ライトナー博物館やアーリントン・ストリート教会、イェール大学などで見る事ができます。

      「教育 イェール大学」 1890年


      参考 メトロポリタン美術館 ルイス・カムフォート・ティファニー https://www.metmuseum.org/toah/hd/tiff/hd_tiff.htm ASC Tiffany https://www.asctiffany.org/about-tiffany-windows/ BIOGRAPHY Louis Tiffany https://www.biography.com/people/louis-tiffany-9507399 Louis Comfort Tiffany’s Work on the White House http://vintagedesigns.com/fam/wh/tiff/index.htm Tiffany’s Extreme White House Makeover http://www.jmarkpowell.com/tiffanys-extreme-white-house-makeover-2/ Wikipedia Tiffany glass https://en.wikipedia.org/wiki/Tiffany_glass Came glasswork https://en.wikipedia.org/wiki/Came_glasswork Louis Comfort Tiffany https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Comfort_Tiffany You Tube Uroboros Drapery Glass https://www.youtube.com/watch?v=c6oNA5g-U4U 本文中のルイス・カムフォート・ティファニー氏の作品の出典 ニューヨークのアパートメントのインテリアデザイン https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/2002.474/ モクレンとアイリス https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/1981.159/ ホワイトハウス内装 http://www.jmarkpowell.com/tiffanys-extreme-white-house-makeover-2/ ルイーズ・ティファニー 読書 https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/2003.606/ ファブリルガラス https://blog.goo.ne.jp/masayuki1125_1967/e/28f3579d465a686f18c30958ca446a68 庭の景色と噴水 https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/1976.105/ 四季 秋 http://www.morsemuseum.org/collection-highlights/windows/autumn-panel ローレルトンホールの4本の柱 https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/1978.10.1/ 教育 イェール大学 https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Comfort_Tiffany#/media/File:Tiffany_Education.JPG