それぞれの国のヴィンテージミリタリーウォッチ(時計)の概要
それぞれの国のミリタリーウォッチの特徴
なぜミリタリーウォッチはこれほどにも人の心をくすぐるのでしょうか。
・この時計が耐えてきた戦争の歴史が感じられるから?
・時計の耐久性や信頼性を向上するために施された、創意工夫が感じられるから?
ミリタリーウォッチへ深い愛情をかけることにより、私達が毎日着けている現代の腕時計がどのような形状や機能、歴史を経て来たかをより深く理解する事ができます。
この記事では、第二次世界大戦期における最も代表するなミリタリーウォッチやその使用背景、現代の時計に与えた影響等について、連合軍と枢軸軍の両側の視点から考察します。
アメリカ製のミリタリーウォッチ
アメリカ製 A-11寸法: 32mm~36mm
製造年: 1940~1949年
採用した軍隊: アメリカ陸軍航空軍、カナダ空軍、イギリス空軍、ソ連空軍
メーカー: エルジン、ブローバ、ウォルサム、ハミルトン
ミリタリースペック A-11は、第二次世界大戦中に最も数多く連合軍に供給された時計のひとつです。
A-11自体は特定のモデル名ではなく、いくつかの期間において、アメリカの主要な時計メーカーにより生産された製造規格です。
エルジン、ブローバ、ウォルサムなどの会社が製造した何百万点もの時計が、開戦時に連合空軍や陸軍に供給されました。
兵士、パイロット、船員、エンジニア、将校にとって、この時計は価値のある所有品になっただけではなく、作戦の遂行に置いても非常に重要な装備品となりました。
防塵・防水ハウジング、幅広い環境温度対応、1日当たりの誤差が±30秒である精密性、30~56時間のパワーリザーブ、それらを実現する頑強なムーブメント……
ミリタリースペック A-11は、戦場における厳しい環境でも使用できるよう、これらの時計に厳格な基準を設けました。
今日製造されているミリタリーウォッチも、この高水準の製造基準に基づいています。
正確・精密な作戦のもと、連合軍がドイツ軍を組織的に撃退することに貢献したことから、 A-11は“戦争に勝った時計”と呼ばれています。
コレクターにとって、このタイプの腕時計は広く流通しており、一般的なオンライン価格は約10~28万円です。
現代のオマージュ製品(復刻版)
ドイツ製のミリタリーウォッチ
ドイツ製 B-Uhr寸法: 47mm~55mm
製造年: 1941~1946
採用した軍隊: ドイツ空軍
メーカー: ラコ、ストーヴァ、IWC、ALS、ヴェンペ
B-Uhr (Beobachtungsuhrの略、ベオーバハトゥングスウーア)
観察者・観測時計の意味)は、第二次世界大戦中にドイツ空軍に供給された、もうひとつの代表的なミリタリーウォッチです。
アメリカ製のA-11と同じく、B-UhrはIWC、ALS、ヴェンペ、Lacher&Co (ラコ)、Walter Storz (ストーヴァ)等、ドイツとスイスの協力会社によって製造されました。
AとBという2種類の構成がある中でも、Bダイヤルはその内縁に沿って並んだ短い時針と、12時の位置の独特な三角形が特徴です。
B-Uhrはドイツ空軍のナビゲータにとって必需品であり、その機能的なデザインは現代でも多くのパイロットウォッチに引き継がれています。
上の時計はBダイヤル
B-Uhrは最高水準のクロノメータ規格に準拠しており、戦場において作戦通りに標的を攻撃できるよう、ドイツ海軍天文台から発信される電波に精確に同期されました。
B-Uhrはフライトジャケットの上からダブルリベットのレザーベルトで装着するように設計されており、ナビゲーターの視認性を上げるために、文字盤は55mmと意図的に大型にデザインされています。
また、飛行装置からの電気的干渉を防ぐ反磁性の鉄製ハウジング、フライトグローブをつけたままでも操作できるタマネギ型の特大リューズなどの機能を備えています。
非人道的な行為に加担したとはいえ、B-Uhrのデザインは時計の歴史の中で最も重要なデザインのひとつです。
この時計は、当時使用されていたヴィンテージバージョンが見つからなくても、ストーヴァやラコといったオリジナル製品を含め、現代版の複製品が数多く生産されています。
現代のオマージュ製品(復刻版)
日本製のミリタリーウォッチ
日本製 精工舎
“カミカゼ”時計
寸法: 48.5mm
製造年: 1940~1945
採用した軍隊: 日本帝国空軍
メーカー: 精工舎 (SEIKO)
第二次世界大戦における枢軸軍の一部である日本は、アメリカ軍により1945年に広島と長崎に原爆が落とされるまで、抵抗戦において重要な役割を果たしました。
1945年の降伏以前、日本海軍はアメリカの戦艦に直接自殺攻撃を行う”カミカゼ”作戦を使用することで知られていました。
精工舎の“カミカゼ”という珍しい時計は、帝国軍パイロットが最後のフライトを行う際に手首に着けていたものです。
精工舎という名前に聞き覚えがある方は多いかと思います。
精工舎は、19世紀に軍隊や民間向けの時計を製造する、SEIKOの支社でした。
ドイツ製のB-Uhrと同じく、フライト装備の上から装着して厚いレザーグローブで操作できるよう、特大のケースとクラウンが設計されていました。
また、この日本製のパイロットウォッチは、作戦中の経過時間を確認できるようターンテーブル式のベゼルを採用していました。
用途の性質上、まともな状態で発見されることはまれです。
生産量も少なく、その殆どは破壊されました。
展示レベルの状態のものが機体の残骸から数点回収されていますが、これらは市場にはほとんど出てきません。
イギリス製のミリタリーウォッチ
イギリス製 W.W.W.
寸法: 32mm~37mm
製造年: 1940~1949
採用した軍隊: イギリス空軍、イギリス陸軍
メーカー: ビューレン、シーマ、エテルナ、グラナ、ジャガー・ルクルト、レマニア、ロンジン、IWC、オメガ、レコード、ティモール、バーテックス
電撃戦として有名なポーランド侵攻を受け、イギリスは1939年にナチス・ドイツに対する戦争を宣言しました。
戦争を開始するに当たり、軍隊向けの大量の腕時計の共有が必要になったイギリスは、“W.W.W.” (Wrist. Watch. Waterproof/防水性腕時計)と呼ばれる生産規格を開発しました。
イギリスの時計メーカーを海洋・航空機器の製造に注力させるため、イギリス国防省は中立であるスイスの時計メーカーに大量製造を発注しました。
この仕様を実装する要求に答えたのが”ダーティ・ダース”と総称されるビューレン、シーマ、エテルナ、グラナ、ジャガー・ルクルト、レマニア、ロンジン、IWC、オメガ、レコード、ティモール、バーテックスの12社です。
防水、発光針、クロノメータ水準のムーブメント、軍事環境で使用できる耐久性……今となってはおなじみの仕様ばかりです。
A-11やB-Uhrと同様に、明確な目的のもとに生産されたこの質実剛健な腕時計は、全兵士に供給されました。
コレクターにとって不幸なことに、文字盤の発光物質に放射性ラジウム226を含んでいるという危険性により、多くの時計が70年代初頭に破壊されました。
何千何百と生産されたこの時計の中でも、グラナの希少性は飛び抜けています。
実際に製造されたのは若干1,000本であるため、12種類をコンプリートしようとしているコレクターにとっての鬼門となりました。
ダーティダースの歴史や時計についてはこちらの記事で詳しく解説しております。
グラスヒュッテのクロノグラフ
グラスヒュッテ・クロノグラフ
寸法: 39mm
製造年: 1940~1949
採用した軍隊: ドイツ空軍
メーカー: チュチマ・グラスヒュッテ、ハンハルト
ドイツ政府・ハンハルト・チュチマが密かに協力して開発したこのフライバック・クロノグラフは、見落とされがちですが、軍事史において最も重要なクロノグラフの一つに数えられます。
ドイツ軍パイロットは、空中戦において唯一クロノグラフを装着していた戦闘員でした。
腕に巻かれたクロノグラフには、大きな技術的進歩である世界初のフライバック機構が搭載されていました。
このツールウォッチには、耐磁・防水性ハウジング、ドーム型の飛散防止アクリルクリスタル、回転型ベゼル、放射性発光、そして作動中にリセットできることで有名なフライバック・クロノグラフ機構など、数多くの重要な機能が内蔵されています。
戦後、ロシア軍はグラスヒュッテの製造工場を解体し、賠償金の一部として製造機械と部品をモスクワに移しました。
当時製造された、キャリバー59を使用したロシア製の時計もまたコレクターの憧れの的です。
まとめ
ファンやコレクターとしての視点で歴史的なミリタリーウォッチを眺めていると、現代のツールウォッチに至るまでの背景が見えてきます。かつて私達を守るため戦ってくれた方々のおかげで、今日の私達は命や四肢を危険に晒すことなく、この時計を楽しむことができます。