べネチアンガラス(ムラノガラス)が作られるイタリアのムラーノ島 その歴史とガラス技法
べネチアンガラスが作られるイタリアのムラーノ島 その歴史とガラス技法
イタリアにあるムラーノ島とは
イタリア・ヴェネチアの北東に位置するムラーノ島は、7つの小さな島に分かれていて、間を大きな運河が横切っています。
ガラス工芸の島、ムラーノ島。
古い伝統がガラス職人達に受け継がれてきました。
ムラーノという名前は、最初にムラーノ島に移住した人々により名づけられた“Ammurianum”に由来します。
彼らは、蛮族の侵略から身を守るため、AltinoとOderzoという街から逃れてきました。
この名前は、彼らの故郷であるAltinoの街にある“Porta Orione”からきているものと考えられます。
しかし、この解釈は歴史的事実とは認められておらず、民話のひとつとされることもあります。
10世紀までのムラーノ島は、塩原や水車による製粉、漁業などで経済的に豊かであり、貿易港としても栄えていました。
12世紀までは自治権もあり、独自の法律や“Osella”と呼ばれる通貨さえもっていました。その後、ヴェネチアのサンタクローチェ地区に編入されています。
イタリアのムラノガラスの歴史
ムラノガラスの歴史は、1291年、ヴェネチアのガラス職人がムラーノ島に移住してきたことに始まります。
ヴェネチアの中心部にあるガラス工場での火災をきっかけに、防火を目的として、全てのガラス職人はムラーノ島に移住させられました。
ガラス職人の活動をコントロールするためにも、世界に知れ渡るガラス工芸を守るためにも、ヴェネチアにとっては好都合だったのです。
ヴェネチアは、ガラス職人がムラーノ島に居住することを義務付け、特別な許可がない限り島を離れることを禁止しました。
ガラス職人として登録された人しかガラス製造に携わることができず、その代わり、利益や特権が与えられました。
厳しい規制があったにも関わらず、強制的にムラーノ島に移住させられた住民は、納得がいかず多くのガラス職人がムラーノ島から逃げ出しました。
それによってガラス職人の経験、知識、技術の全ては島外に流出したのです。
ムラーノ島のガラス工芸にとって重大な危機は15世紀に起こりました。
それは、ボヘミアクリスタルの普及です。
ヴェネチアはこの危機を、シャンデリアの登場により乗りこえます。
シャンデリアは、ムラーノ島で作られるものの中で、もっとも有名で価値の高い作品です。
1900年代、ガラス職人は、ガラス製造の古い伝統を重視しつつも技巧を改善し、現代の流行に合う作品を生み出しました。ムラノガラスの製造技法は独特で、他で真似出来るものではありません。
ベネチアングラス・ムラノガラスの製造
ガラスは、高温状態で液状化するシリカから作られます。
※シリカの画像
液体と固体の間で、ガラスが柔らかく打ち延ばせる状態になった時、ガラス職人は独自の作品を作り出します。
長い時間をかけて培った経験から、ムラーノ島のガラス職人達は製造工程において様々な素材を利用することで、独特で美しいガラスを生み出す方法を発見しました。
例えば、ソーダ石灰はガラスの艶消しに、硝酸塩やヒ素は気泡を取り除くために使われます。
ガラス職人達が追い求めてきた結果、ガラスの作品も製造技法も変化してきました。
ムラノガラスの製造工程は、一次加工によるものと二次加工によるものに分けられます。
一次加工は、ガラス製造の最初の工程です。
砂、ソーダ灰や、Cotissoと呼ばれるガラスの原料などが使用され、ガラス炉で融解されます。
二次加工では、ガラス棒を使って精巧な作品に仕上げます。ガラスの融解と冷却のタイミングで、装飾や彫刻、研磨などの加工を行います。
ベネチアングラス・ムラノガラス製造の工程:一次加工
アベンチュリーナ
1620年頃にムラーノ島で生み出されたガラスで、ガラスの塊の中に、細かい銅粉が内包されています。この技法は、何世紀にもわたり一部のガラス職人によって行われてきました。
完全に融解した原料(鉄、シリコン、金属、石炭など)に、銅を加えます。
銅粉が均等に分布されているものが、上質とされます。
クリスタッロ
原料を二酸化マンガンで脱色、精製した無色透明のガラスです。
中世より、クリスタッロはもっとも素晴らしいムラノガラスとされてきました。
脱色や融解の具合、配合物の調合がガラスの質を左右します。
15世紀の中頃、ムラーノ島のガラス職人が歴史上初めて、無色透明のガラス、クリスタッロを生み出しました。
それに続いて、他のヨーロッパ諸国でも製造が始まりました。
ソーダ石灰のクリスタッロは製造に時間がかかりますが、薄い吹きガラスの製造に適しています。
フィリグラーナ
高温の装飾技法により作られるガラスです。
ラッティーノ(乳白色のガラス)や色つきのガラスに、
なめらかなワイヤーを通した細い棒を使用します。
ラッティーノ
乳白色のガラスで、1450年にムラーノ島で誕生しました。これは、ヴェネチアに渡ってきた中国の白磁を模したものと考えられています。
配合物の酸化亜鉛の濃度が高ければ高いほど、均一性も高くなります。
吹きガラス製法
紀元前1世紀の中頃に登場し、ガラス製造に革命を起こしました。
この製法より、短時間で簡単にガラスのボウルが作れるようになりました。
吹きガラスの起源は、シリア・パレスチナ地区とされます。
吹き竿というパイプの片側に溶かされたガラスを付け、パイプの反対側から息を吹き込むことでガラスを成形します。
その後、パイプから成形されたガラスを取り外します。
金属パイプの導入により、ガラス職人の作業は簡単になり製品の幅も広がりました。
ソンメルソ
対照的な色の層をもつ、ムラノガラスの芸術の一つです。
透明または色のついたガラスが入ったポットに、同じ厚さのガラスを浸します。
透明なガラスの重なりは、独特な色彩効果をもたらします。
この技法は花瓶によく使われますが、彫刻に使われることもあります。
ベネチアングラス・ムラノガラス製造の工程:二次加工
コンテリエ
コンテリエは、丸形や尖った形の小さなガラスビーズです。
高温で柔らかくしたガラスを、金属パイプの周りにまとわせます。
そして、成形をしたり多色のガラスを加えることで装飾を施します。
チューブ状になったガラスを、切断して使用します。
エナメル彩
ガラスに、エナメルで装飾を施す技法です。
顔料を溶いたもので、ガラスの表面に抽象的な模様や植物などの絵を描きます。
それを500℃以下の低温で焼きつけることで、描かれた絵はガラスの表面に付着します。
ミルフィオリ
ミルフィオリは、金太郎飴のように模様が入ったガラス状の棒や、それを切ったものです。
様々な色や形のガラス(花や星がモチーフになることが多い)を、金型を使って成形したり、さらにガラスを巻いたりして、徐々に多色の層を作っていきます。
特別なタイプのミルフィオリは“ロゼッタ”と呼ばれ、15世紀に生まれました。
何層にもわたる白、赤、青のガラスの中に星形がデザインされているのが特徴的です。
ミルフィオリは通常は切られて使用され、“ムリーネ”と呼ばれます。
穴の開いたミルフィオリは、磨かれた後ビーズとなります。
穴の開いていないミルフィオリは、切断したものを並べて加熱することで、隣同士が溶接され一体となり、アクセサリーやガラス食器に使用されます。
研磨
古くからある技法で、いくつかの段階に分かれて作業されます。第一段階では、シリコン炭化物で作られたホイール(80グレイン)を使用して研磨します。第二段階では、よりきめ細かいホイール(220グレイン)を使って、調整します。第三段階で、砂岩ホイールを使って滑らかにします。第四段階では、切り口につやをつけるために、軽石の配合物を浸透させたコルクのホイールで磨きます。最後に、硫酸セリウムと水で湿らせた布でクリーニングし、ガラスより明るく仕上げます。
ミラー
ヴェネチアンミラーの始まりは、ルネッサンス時代です。ミラーはガラス板から作られます。ガラスの片面をアルミニウムかシルバーでコーティングし、反射させることによってミラーの前にある像をうつしだします。
12世紀末から13世紀初頭にかけて、金属でコーティングされたガラスミラーが普及しました。ルネッサンス期、ヴェネチアとニュルンベルク(ドイツ)はミラーの製造が盛んな場所となります。16世紀には、水銀とブリキの合金などを金属層に使用するのが一般的になりました。続いて1835年、ユストゥス・フォン・リービッヒが硝酸銀溶液を使用して銀をガラスに付着させ方法を発見し、これが今日のミラーの原型となりました。
モザイクガラス
とても古くから行われている技法で、モザイク状のガラスが作られます。
様々な色のガラスをプレート上に並べ、電気ガラス炉で融解します。
すると、モザイクガラス、ムリーナガラスと呼ばれる多色のガラスが出来上がります。
作業を繰り返し、色を上塗りすることで、三次元の装飾を施すことも可能です。
ムリーノガラス
ムリーノガラスは、もっとも古い技巧のひとつです。二次加工の一種で、様々な色のガラス棒を短く切断して並べ、加熱することで溶接し、ガラス板を作ります。ガラス板は、耐火粘土の鋳型を使って成形され、花瓶などの形に使用されることもあります。