ウィリアム・ターナーの歴史と主要作品
1.ウィリアム・ターナーの歴史

ウィリアム・ターナーは、1775年4月23日にイギリスのロンドンのコベントガーデンで、中流階級の下層にあたる家庭に生まれます。
小さい頃から絵の得意だったターナーは、14歳でロイヤルアカデミー付属美術学校に入学しました。ここで絵の勉強を行ったターナーは豊かな才能を発揮し、15歳の時には1790年度のロイヤルアカデミーの催しに彼の作品が展示されるという名誉を獲得します。この時は水彩画が展示されたのですが、1796年には油絵が展示され、以後多くの作品がロイヤルアカデミーに展示される事になります。ターナーは、その他にも建築の起草者としても活躍するなど、その才能を幅広く認められていました。
彼は、その生涯を通じてロマン派の画家として知られており、田園風景や海の景色において、輝かしい色彩を構成要素として用いた事から「光の画家」と呼ばれています。
初期の作品の中では、1796年の「海の漁師たち」という作品が有名で、月の光とランプの光が、夜の海の漁師たちを照らし出す様子を描いた風景は、見る人に自然の驚異と感動を与える優れた作品です。
その後、1800年前後にはロイヤルアカデミーの会員に選出されるなど、その技術を認められます。1807年にはロイヤルアカデミーの遠近法の教授に就任し、その職を1828年まで勤めました。
ターナーは、当時開発されていた技術や世界的な出来事にも大きな関心を持ち、それを絵画に残しています。例えば、有名な「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」(1838年)や「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」(1844年)などは、彼の作品の中でも有名な傑作として知られており、当時の時代背景を反映した作品となっています。
特に、戦艦テメレール号を描いた作品は高い評価を獲得しており、英国放送協会(BBC)の行った投票において、イギリスで最も優れた絵画に選出されています。
彼は、生涯を通じて結婚をしませんでしたが、家政婦のサラ・ダンディとの間に2人の娘がいました。1845年以降は健康状態も芳しくなく作品の制作も滞りがちになり、1851年、76歳で亡くなりました。遺体はロンドンのセントポール大聖堂に埋葬されています。
ターナーは、生涯を通じて2000点の絵画と1万9000点のスケッチを残していて、それは遺言により国に寄贈される事になりました。現在では、テートブリテンやナショナルギャラリーといった美術館などで彼の作品を見る事ができます。
2.ウィリアム・ターナーのここがすごい
ターナーは、15歳の頃に描いた作品が展示会に出展されたというエピソードを持っており、若い頃から非凡な才能を持っていたことが分かります。この他にも、1799年には20代にしてロイヤルアカデミーの準会員に選ばれ、1802年には正会員に選ばれるなど、若い頃から豊かな才能を発揮していました。その後は、ロイヤルアカデミーの教授職に就任し、約20年その職を続けた事からも、その非凡な才能が分かります。
また、嗅ぎタバコの好きだったターナーは、1838年、フランス王ルイス・フィリップ1世から金の嗅ぎたばこ入れなどを贈られるなど、当時の権威ある人々にも認められていました。
このように、生前から輝かしい経歴を持っていたターナーですが、死後もその作品は多くの人を魅了し、評価され続けます。
例えば、イギリス国立美術館にはターナー専用の展示スペースが設けられており、その他にも、様々な施設や場所に彼を記念する品が備え付けられていて、1976~1982年にはセントメアリー教会に彼を記念するステンドグラスが設置されていました。この他にも、セントポール大聖堂、ロイヤルアカデミー、ビクトリア&アルバート美術館といった場所には、彼の彫像が設置されています。彼の生家があったコベントガーデンのメイデン通りには、1999年6月2日に記念碑が立てられるなど、地元でも彼の評価は高く、その作品は多くの人に愛されています。
その優れた功績をたたえて、芸術方面でも1984年からターナー賞が創設されています。ターナーの人気は、現代においても衰える事なく多くの人に受け入れられており、ターナーの描いた戦艦テメレール号の作品は、英国放送協会(BBC)の行った投票において、イギリスで最も優れた絵画に選出されるなど、輝かしい名誉を獲得しました。
彼の実力と世間的な評価の高さもあり、ターナーの描いた絵は現代でも高値で取引されており、2006年にはクリスティーズのオークションで「The Guidecca from the Canale di Fusina」(フシナの運河から見たジュデッカ)という作品が3580万ドル(現在の価格で約39億円)で落札されました。これは、ヴェネツィアの景観を描いた作品で、彼の作品の中では最高の落札額を記録した作品になります。
3.ターナーの主要作品とその説明
カルタゴを建設するディド(カルタゴ帝国の興隆) Dido building Carthage

この作品は1815年のロイヤルアカデミーの展示会に出展された作品です。これは、ターナーが17世紀フランスの画家クロード・ロランに影響されて描かれた作品であり、紀元前29~19年頃に描かれたウェルギリウスの叙事詩アエネーイスを題材にしています。
画面左側で人々に指示を出し、建物の建設に取り組んでいる青い服を着た人物がディドで、カルタゴの建設を行っている様子が描かれています。画面右側の川の向こうには、ディドの夫の墓が描かれていて、帝国の建設という主題が、その向こう側にある墓と共に描かれる事で、やがて破滅に至るカルタゴの運命を予感させるような構図となっています。
そのようなテーマが、美しい空と質感に溢れる川の様子と共に描かれている所がこの作品の特徴であり、優れたポイントであるといえるでしょう。
ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス Ulysses Deriding Polyphemus

この作品は、ターナーが1829年に描いた作品で、ギリシャの詩人ホメロスの「オデュッセイア」を題材にして描かれた作品です。
物語の主人公であるオデュッセウスは、一つ目の巨人ポリュフェモスに酒を飲ませて泥酔させ、その隙に巨人を倒します。この絵画では、その後、巨人達から逃げて船出する様子が描かれていて、背景と同化して見分けがつきにくいのですが、画面左側には、オデュッセウスにやられて倒れている巨人ポリュフェモスの手足が描かれています。
巨人を倒して朝日の中を船出する場面は、戦いの勝利を印象付けるような優れた効果を発揮しています。激しい戦いの後、日の出と共に爽快な雰囲気の中を出発するオデュッセウスの姿は希望に満ちており、物語の場面を上手く表現した優れた作品であるといえるでしょう。
この作品は、1807年の段階で絵の構想が出来上がっていて、完成した作品は1829年にロイヤルアカデミーに展示されています。
トラファルガーの戦い The Battle of Trafalgar

1822年、ターナーは、イギリスが勝利を収めた1805年のトラファルガーの海戦を題材にして作品を制作しました。それがこの作品「トラファルガーの戦い」です。
これは、イギリスの国王ジョージ4世に制作を依頼されたもので、王朝の軍事的な成功を記念して、セント・ジェームズ宮殿に飾るために描かれました。
この作品は、画家のフィリップ・ジャック・ド・ラウザーバーグの描いた「ハウ卿の戦い、または栄光の6月1日」とペアになる作品として制作されています。ターナーは、この絵の制作のために綿密な調査を行い、提督から船の運航計画を教えてもらい、海洋画家と打ち合わせをするなど、作品の制作に多大な労力を費やしました。そこには、この戦いの指揮官だったネルソン提督への敬意と称賛が込められていた、と言われています。
明るい色で描かれた空の色と透き通るような淡い色彩が、戦争という場面に不思議な雰囲気を与えており、ターナーの持つ技術力が遺憾なく発揮された作品だといえるでしょう。
海の漁師たち Fishermen at Sea

この作品は、1796年にロイヤルアカデミーに展示された作品です。
イギリスのワイト島の近くに巨大な岩が立ち並ぶ一帯があり、この絵はそこで漁をする人々が描かれています。ここには、自然の壮大な力が荒れ狂う海の中に描かれており、人間の存在の小ささ、儚さを感じさせる優れた表現が展開されています。
そのような表現は、視覚的だけでなく、絵画の中の題材を通しても描かれており、冷たい光を放つ月は、漁師の持つランタンの明るい光と対照的に描かれており、大自然の壮大さとそれに立ち向かう人間の様子が、優れた構図の中に描かれています。
ターナーは、この作品を描く際、海洋芸術家の描く絵を参考にして制作を行いました。そのような事もあり、この作品の中には18世紀の芸術家によって研究された海についての技法の全てが要約されている、と言われています。ターナーは、この絵画を描く事によって大きな名声を獲得し、海洋画家としても油絵画家としても、認められるようになりました。
レイビー城、ダーリントン伯爵の邸宅 Raby Castle, the Seat of the Earl of Darlington

この作品は、ターナーが描いた邸宅画の中でも、最も優れた出来栄えを持つ作品です。
ターナーは、古典的な主題や、聖書、文学、同時代の題材を用いて作品を描く時は、実際の地理学的な風景を入念に調べてから絵を描いていました。この作品も、そのようにして実際の風景を参考にして描かれています。
この作品自体は、ダーリントン伯爵に依頼されて描いた物で、ドラマティックな印象を与える空や雲の技法を使い始めた頃の作品になります。
遠方に描かれているレイビー城は1380年頃に建設された物で、イギリスのダラム郡に位置しており、近隣には現在でも200エーカー(約81万平方メートル)の広さを持つ平野が広がっています。ダーリントン伯爵は狩りが好きで週に6日は狩りに出ていたと言われており、この広大な平野で様々な動物を追い回していたのかもしれません。
この作品は、1818年のロイヤルアカデミーに展示された完成度の高い作品であり、現在はボルティモアのウォルター美術館に所蔵されています。
解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号 The Fighting Temeraire

この作品は、ターナーが60代の頃、1838年に制作された作品です。
98門の大砲を持つ戦艦テメレール号が、蒸気船に牽引されていく様子が描かれています。テメレール号は、1805年のトラファルガーの戦いにおいて活躍した軍艦です。この戦いで、テメレール号はネルソンの勝利に大きく貢献した軍艦として知られるようになり、それ以後1838年まで海を駆け回りました。
この絵画には、そのような軍艦テメレール号が蒸気船のタグボートに曳かれて、解体されるために最後の停泊地へと向かう様子が描かれています。
かつて栄光に満たされていた軍艦が、解体されるために最後の航海を行う様子は、その精悍な見た目の反面、どこか哀愁を感じさせる物があります。テメレール号と並行する位置に描かれた太陽は豊かな色彩を用いて描かれており、感傷的な雰囲気をもっています。その存在が、感動的な場面をより一層豊かにする効果を作り出しており、とても完成度の高い絵となっています。
ターナーがこの作品を描いたとき、彼は60代になっていました。この絵画には、彼のもつ絵画の技術が余すところなく用いられており、それは太陽の作り出す雰囲気などにも表れています。雲の辺りに広がる風景は、あいまいな描写が行われているのですが、それと対照的に、船のロープやチェーン類などは細部まで細かく描かれており、両者が対比される事で、絵画のもつ雰囲気を高める効果を発揮しています。
60代という老境に差し掛かっていたターナーは、役目を終え解体されに向かう戦艦をどのような思いで見つめていたのでしょうか。ターナーの作品の中では最も有名な部類に属する作品であり、英国放送協会(BBC)が実施した投票では、イギリスで最も優れた絵画に選ばれています。
古代ローマ、ゲルマニクスの遺灰を持って上陸するアグリッピナ Ancient Rome : Agrippina Landing with the Ashs of Gremanicus

ローマ皇帝ティベリウスの養子であるゲルマニクスは、暴君として知られるネロの祖父にあたります。彼は、多くの戦功をあげながら戦いを繰り広げていきますが、高熱によりアンティオキアの地で34歳の若さで亡くなります。その死については毒殺説もささやかれたのですが、マラリアであったとも言われています。
ゲルマニクスの妻であるアグリッピナは献身的な女性で、彼の遺灰を壷に入れてローマに持ち帰りました。この絵画では、その時の情景が描かれています。画面中央奥にはローマの宮殿が描かれており、前景にはアグリッピナが上陸するシーンが描かれています。
全体として黄色を基調にした絵には、ローマの街並みの美しさが描かれており、そこに淡い色が展開していく事で、独特の雰囲気をもった作品となっています。
平和-水葬 Peace - Burial at Sea

この作品は、ターナーの友人である芸術家のデイビット・ウィルキィー氏が水葬される場面が描かれています。ウィルキィー氏は、死の前年、船旅の途中に海上事故により急死し、ジブラルタル海峡に埋葬されました。
作品全体には、ひんやりとした涼しい色が多用されており、そこに黒の強い色合いが強調されて描かれており、彼の死を悲しむかのような色彩となっています。それに対して、この作品と対になって展示されている「戦争」には、激しい色合いが使用されており、両者は対比される構造をとっている事が分かります。この作品は、実際に出来事を写実的に描くよりも、全体をイメージとして捉えて曖昧に表現しているため、完成度に欠けている、と評価する人もいます。しかし、友人の死という悲しい出来事を印象的に表したという点では、大変優れた作品であり、彼のウィルキィー氏に対する友情を感じとる事ができます。
また、友人の死という悲しい出来事を、別れという悲しみで描くのではなく、彼が生きていた時を肯定的に捉えるかのように描いている点もポイントのひとつです。
海や船は暗い色で描かれている反面、空と水葬されているウィルキィー氏がいると思われる周辺は、温かい色合いで描かれており、故人に対するターナーの肯定的な思いが込められた作品です。
戦争-流刑者とあお貝(戦い-流刑者とカサ貝)

この作品は、ナポレオンが流刑者としてセントヘレナ島にいる光景が描かれています。「戦争」という題名を見れば分かる通り、前述の「平和」と一対になった作品であり、「平和」が落ち着いた色合いで描かれているのに対し、「戦争」は激しい色合いで満たされています。この作品は、ナポレオンを悪人とも英雄とも描いておらず、ターナーは戦争の無益さを主張している、という意見もあります。
その他にもこの作品には様々な解釈が行われており、制服を着て孤立しているナポレオンの姿は、周囲の風景と調和せずに浮かび上がっており、日没の赤い風景は感傷的な思いを表していると捉える事もできます。また、使われている色合いが血を思わせる事から、ナポレオンへの叱責が込められている、という意見もあります。
全体の質感をあいまいに描くこのような手法は、その後、より有名な作品である「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」(1844)へと引き継がれていく事になります。
ヴェネツィア、税関舎とサン・ジョルジョ・マジョーレ View of Venice - Ducal Palace, Dogana, and San Giorgio

この作品は、ターナーが晩年に描いたヴェネツィアの風景の作品です。
彼の晩年の作品は、事物をあいまいに描いた作品が多いのですが、この絵画は人や船、建物が分かりやすく描かれており、ターナーが風景を写実的に捉えようとしていた事を読み取る事ができます。
作品の前面には、ヴェネツィアの川とゴンドラやボートが精細に描かれています。背景の街並みは空と同質の色で描かれていて、青い空と白い雲が、とても晴れやかな印象を作り出しています。川に映る反射した街並みの風景も細部までよく描かれており、大変完成度の高い作品となっています。
事物がはっきりと描かれている反面、作品がどこか幻想的な雰囲気を持っているのは、ターナーの用いる技法の特徴のひとつです。前面と背景で使われている色調が異なる点も、豊かな表現力を生み出している一因であり、このような雰囲気をもつ作品は、ターナーにしか描けないといえるでしょう。
雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道 Rain, Steam and Speed - The Great Western Railway

この作品はターナーの作品の中で最も有名な作品のひとつです。
ターナーの晩年にあたる1844年に描かれた作品であり、ロイヤルアカデミーへも展示された作品です。
題名にもなっているグレート・ウェスタン鉄道は、数年前の1838年に完成したばかりであり、当時としては新しい交通手段のひとつでした。鉄道が通っているこの橋は、有名な技術者であるブルネル氏によって設計された橋であり、ブロックで形作られた2つのアーチから成り立っています。この橋は、タプロ―とメイデンヘッドの間のテムズ川にかけられたメイデンヘッド橋だといわれており、列車は、ロンドンへと続く地域を走っています。
画面右下には野ウサギが描かれており、これはスピードの速さを象徴するものであるといわれています。雲の渦巻くぼんやりとしたおぼろげな大気の中を、硬質な質感をもつ列車が走っている光景は、大変印象的な効果を描き出しており、ターナーの作品の中でも、特に有名な作品です。