ガラス製品とペーパーウェイトの歴史(バカラとサンルイ)
ガラス製品とペーパーウェイトの歴史(バカラとサンルイ)
この記事では、ガラス製品とペーパーウェイトの歴史をご紹介します。
ペーパーウェイトは、19世紀半ばの郵便や切手の発達と共に誕生しました。
当時人気だった、これらの物をコンパクトにまとめる為の手紙の重しだったのです。
こうして1845年から1860年までのクラシックと呼ばれる期間は、クリスタルボールが大量生産された最初の時代で、バカラ、サンルイ、クリシー社が市場を占めていました。
1845年には、サンルイとバカラによって初めてのクリスタルボールが誕生しました。
クリスタル製造2社は、1849年のパリエキスポでミレフィオリとクリスタルペーパーウェイトを展示しました。
クリスタルパレスで開催された1851年のロンドンエキスポには、ビクトリア女王とアルバート王子が頻繁に訪れました。
1860年頃、サンルイのガラス職人ニコラス・ルッツとクリスチャン・ドルフリンガーは、ロレーヌのクリスタル製造の秘訣とノウハウを持ってアメリカへと旅立ちました。
ニコラス・ルッツは、その後、19世紀アメリカの最も優れたガラス職人の1人となりました。
フランスではペーパーウェイトはあまり成功せず、1860年以後は大幅に生産が縮小され、その後間もなく完全に停止しました。
1950年代初頭になってから、いくつかの出来事が起こりペーパーウェイトは甦りました。
1951年、爆撃で破壊されたバカラのサンレミー教会の修復作業中、瓦礫の中で見つかった鉛の箱の中には、1853年にマーティン・カイザーが制作したミレフィオリが完全な状態で残されていました。
1952年アメリカの大コレクター、ポールジョケルソンは、クリスタル製造2社に、イギリスのエリザベス2世の戴冠を記念したクリスタル製品を作成するよう依頼しました。
こうして、バカラとサンルイ社は過去の技術と秘訣についての研究に取り掛かります。
1952年、バカラは20世紀最初のクリスタル製品となるアイゼンハワーの肖像入りの作品、翌1953年には、英国女王の戴冠を記念した製品を発表しました。
更に1957年には小さなミレフィオーリの9シリーズ、1958年にはバーナードジョージオンが12星座を描いたものを発表しています。
これは以前1955年に、ギルバートポイエラットがラファエルの絵を元に、12星座を描いたものに引き続いて制作されたものです。
1964年、バカラは創立200周年を記念して、<バカラ1767-1964>の刻印入り真珠がついた限定シリーズ<ミレフィオリ>を発表しました。
ブローパイプを使い製作されたテーマも又大成功しました。
サンルイとマスターガラス職人のポールグロスマンは、ビクトリア女王に献上した時から100年後の1953年以来、オーバーレイ技術を用いたクリスタル製品を英国女王の為に制作しています。
1967年、クリスタル製造200周年を記念して、<サンルイ>の名前入りの記念クリスタル製品2,000個が作られました。
クリスタルメーカー2社は、今後も毎年限定シリーズを発表し続ける事でしょう。
全ての製品には、高温ガラスの竿でBまたはSLのイニシャル及び日付が記されています。
ルネサンスの後、ムラーノ島のガラス職人によって<ミレフィオリ>と言う技術が復活されました。
これは、以前既にローマ人によって考案されていたものと言われています。
1845年、ダブル及びトリプルクリスタルの開発過程において、クリスタルメーカーのサンルイ社はこの<ミレフィオリ>の過程を復活させ、最初のペーパーウェイトボールを制作しました。
流行は15年ほど続きましたが、その終わりと共に熟練の技も消えて行きました。
その後しばらくは、クリスタルボールは骨董商の店先で放置されていました。
しかし、その中に閉じ込められている謎めいた幻想的な世界に惹きつけられたジャンナラバン、ファルク王、コレットといった収集家達に熱望されるようになります。
そして通称「ミスターペーパーウェイト」と呼ばれたアメリカ人のポールジョケルソンが、クリスタルボールの価値を再評価し制作を再開しました。
これがサンルイ社のクリスタル製品の起源です。
1953年、有名コレクターであったポールジョケルソンは、サンルイ社にエリザベス女王2世の戴冠式を記念したクリスタル製品を注文しました。
製鉄職人で装飾家のギルバート・ポイエラットが英国女王をモデルにしたメダリオンを制作し、サンルイ社は熟練技を百年ぶりに復活させる事に尽力しました。
面白い事に、以前1860年に最後に制作したクリスタル製品はビクトリア女王の肖像だったのです。
ポールジョケルソンは、有名な彼のペーパーウェイトコレクター協会会員の為に、1,500個クリスタル製品を注文しました。
サンルイ社はその中から、女王とコレットに各1つずつを贈り、更にもう1つは自社で保管しました。
花、果物、花束、動物、鳥、蝶等のペーパーウェイトボールのモチーフ、デザイン、テーマは、カラフルな高温ガラスの竿を、ブローパイプ、ピンセット、ハサミを巧みに使った職人技により生み出されます。
厳密な温度原則―550°Cで成形、1,100°Cでアセンブル(これよりも温度が低いとガラスは破裂し、逆に温度が高くなるとガラスが曇ります)に細心の注意を払いながらも、制作者の創造性とイマジネーションは、クリスタルの中に十二分に表現され、閉じ込められています。
1970年以来、サンルイ社は、毎年新モデルのペーパーウェイトを限定シリーズで制作しています。これらは、オフィシャルな製品番号、制作年度及び証明書付きです。
エジプト第18王朝(紀元前1570年から1349年)まで遡ります。
しかし、クリスタル製のペーパーウェイトが最初に登場したのは、ルイフィリップが世を収めるようになってからの事です。
ペーパーウェイトはフランスの特産品ですが、ヴェネツィア、ボヘミア、イギリス、そして後にはアメリカでも製造されました。
1586年に設立されたサンルイ社は、後の1767年に王室専用メーカーとなり、1845年に最初の製品を作りました。
又、1744年にフランス東部のバカラで、サントアンヌガラス工場が設立され、1846年に最初のペーパーウェイトが発表されました。
更にクリッシ―社も1849年にそれに続きました。
イギリスでは1855年頃、ホワイトフライアーズの工場でクリスタルボールの生産が開始されました。
この工場は、1981年にケイスネスによって再開されました。
1968年創立のパースシャー社は、19世紀フランス風の伝統工芸スタイルの優れたクリスタルボールを生産しています。