クロノグラフ腕時計 クラシックな50年代ムーブメント・バルジュー7730の歴史
バルジュー7730の魅力
バルジュー7730は、ツーレジスタクロノグラフの手巻きムーブメントであり、1966年~1973年にかけて生産されました。スモールセコンドのサブダイアルが9時の位置に、30分積算計が3時の位置に、そして中央にはクロノグラフ秒針が配置されています。
日付窓はなく、二つのボタンのちょうど真ん中に配置されたリューズを使って簡単に時刻の設定を行うことができます。
高価なコラムホイール式クロノグラフの代用品として20世紀半ばに誕生し、クロノグラフが一般の手にわたるきっかけとなりました。
また、バルジュー7730はのちにブライトリング、IWC、パネライなどのメーカーがカスタマイズ・リブランディングして販売したムーブメントの基礎ともなっています。
というのも、様々なブランドが生み出した腕時計に搭載されていたほかの7730番代ムーブメントがあまりに無名であり、当時最も有名だったのがバルジュー7730であったためです。
オンラインショップで「バルジュー7730」と検索すると、ブレイル、エグザクタス、LIPなどのマイナーなブランドからハミルトン、クレバー、ゾディアックのような有名ブランドまで、スポーティな60,70年代クロノグラフがたくさん出てくるかと思います。
とくに後者の有名ブランドは、タグ・ホイヤーが築き上げた上品さや高級感を現在まで保ち続けています。
シアーズ・ローバックでさえ、7730搭載のタグ・ホイヤー製クロノグラフを「Tradition(トラディション)」という想像力にかけるブランド名で販売していました。
タグ・ホイヤーといえば、オータヴィア 7763やカレラ 7753の一部にバルジュー7730を搭載した程度で、多くの同型モデルにバルジュー72のようなコラムホイール式ムーブメントを搭載し、異なる型番で販売していました。
バルジュー7730とヴィーナス188の関係
バルジュー7730の修正やリブランディングにくわえ、20世紀にスイスのムーブメントメーカーが合併したことで、さらに7730の歴史が複雑なものとなりました。簡潔に説明すると、バルジュー7730はもともと1948年にヴィーナス188として誕生しています。
しかし、その後バルジューがヴィーナスを買収し、名称だけが「バルジュー7730」に変更されました。
さらに1969年、ハンマーと呼ばれるパーツにわずかな修正を施した7733が誕生し、つづいてカレンダー機能が搭載された7734、12時間積算計が追加された7736、レガッタスタート用の10分間秒読みが追加された7737が誕生しました。
上記全てのムーブメントに、元々の7730と互換性のあるパーツが使用されています。
ややこしいことに、古いタイプのハンマーがなくなったと言われる1973年まで、バルジュー7730も生産され続けていました。
クオーツショックの到来
しかしそのどれもが、クオーツショックの影響により1978年で生産が終了しています。バルジューは1974年~1975年にかけて7733を自巻きにした7750を多く生産し、その後10年間クオーツ式が優勢になっていくなかこのムーブメントも使用されていました。
機械式時計の人気が再燃したことでバルジューは1985年に7750を復活させ、現在でも世界で最も有名な機械式クロノグラフとして生き続けています。
こうした複雑な背景があるにもかかわらず、修正前のバルジュー7730は、そのほぼすべてに“7730”の刻印が施されています。
この刻印のあるものは1966年~1973年に製造されたムーブメントだと考えて問題ないでしょう。
初期のムーブメントがお好みの方にはヴィーナス188、より新しいバージョンのものをお探しの方には7733~7737もしくは自巻きムーブメントの7750をおすすめします。
ここ数十年間標準であり続けるカム式ムーブメントが実は急速な発展を遂げていた、というのは想像しづらいかもしれません。
しかし、まだコラムホイール式が標準的であった1940年代、カム式のムーブメントはコラムホイール式に比べ圧倒的に低価格でした。
カム式ムーブメントであるヴィーナス188は、コラムホイール式の格をさらに持ち上げただけでなく、手ごろなクロノグラフが豊富に生まれるきっかけとなりました。
コラムホイール式、特にクラッチ機構が搭載されたもののほうが技術的に優れているのは事実ですが、カム式は今でも価格は手頃ながらしっかりと働くムーブメントとして生き残っています。
カム式が果たした役割
文化的な側面でいうと、カム式のムーブメントはクロノグラフを一般に広め、いわばクロノグラフを民主化させる役目を果たしました。比較的景気の良かった1950~60年代、アルペンスキーが流行し始めました。
1970年代にはアルペンスキーの人気はピークに達し、だれもがアルプス山脈を目指すようになります。
それまでオーストラリアやスイスの典型的なスポーツでしかなかったアルペンスキーは、世界中で行われるアウトドアスポーツへと姿を変え、シャレー風の建物やスイスセーター、アフタースキーファッション、フォンデュが人気となり、マッターホルンの模倣が各地で起きました。
当時も、現在のようにスイスといえばチョコレートと腕時計というイメージが強かったため、スイスへの旅行者がクロノグラフ スイスをはじめとし、数えきれないほど存在するブランドのなかから、スポーティかつ手ごろな腕時計を旅行の記念として購入することができるようになりました。
第二次世界大戦の終わりからクオーツショックが起きる1970年代までの間で、外部発注したカム式ムーブメントを使って腕時計を製造していたメーカーは推計で500ほどあると言われています。
ヴィーナス188、バルジュー7730のほか、ランデロンやレマニアが制作していたムーブメントを含め、戦後数十年間で何百万という数のカム式ムーブメント搭載の腕時計が販売されました。
カム式のムーブメントは、「ミッドセンチュリー」と呼ばれるスタイルに組み込まれていきます。
戦前、アメリカやヨーロッパではヴィクトリア調のスタイルが流行していました。
しかし、戦争によりこのスタイルは荒廃し、それまでとは正反対なカジュアルなカーキ色の服、ポロシャツ、スニーカーにカーディガンを羽織り、手には葉巻たばこやカクテルといったスタイルが男性ファッションを席巻します。
ジャズや抽象派芸術、皮肉的な文学が流行し、大学では大麻の使用や社会主義が横行、ボヘミア調の服装が主流となりました。
そんななか、クロノグラフやダイバーズウォッチは、拡大する自由や気楽な生活スタイル、各地を飛び回る冒険主義を(実際はどうあれ)個人が主張するためのひとつの道具のような役割を果たすようになります。
1970年代にはポール・ニューマンやスティーブ・マックイーンが有名になり、映画の中でも現実世界でも、クロノグラフを身に着け、カーディガンを羽織り、車を乗り回す人物像が最も魅力的とされるようになりました。
ニューマンやマックイーンは一般男性にとってのファッションの見本となり、安価なクロノグラフはアクセサリーとして理想的なものでした。
登山好きであれ車好きであれ、アウトドア好きな若者たちがこぞってカム式クロノグラフを手に入れようとしたため、有名腕時計ブランドもこの流行を無視できなくなりました。
たとえば、ブライトリングは1964年に「トップタイム」というクロノグラフのラインを立ち上げ、そのムーブメントとしてはじめはヴィーナス188を、その後はバルジュー7730や同系のムーブメントを使用しています。
ウィリー・ブライトリング自身がこのように語っています。
「我々は若者の世界に入り込み、彼らの言語を使うようになるでしょう。『トップライン』という全く新しいモデルに始まり、とびきり上等な超現代的クロノグラフをデザインするつもりです。」
カム式ムーブメントによって、ブライトリングをはじめ様々な腕時計メーカーがこの拡大し始めた格安マーケットへと焦点を当てるようになりました。
カム式の代表である7730
7730番代のムーブメントを搭載したクロノグラフは、当時の腕時計としては大きいものでした。
36mmクロノグラフが大きいというのは今では考えにくいかもしれませんが、20世紀なかばに36mmは大変存在感がありました。
こうしたクロノグラフは、金メッキが施されたものでさえ、薄くて小さなドレスウォッチに比べカジュアルでスポーティな腕時計とされていました。
そのうえ垂直コラムホイール式ほどの厚みもなかったため、男性用腕時計としては33mmが主流であった当時も、カム式は身に着けやすいものでした。
バルジュー7730に関する歴史は、技術と文化の発展が交わることが新たな時計のDNAの誕生につながることを立証しています。
19世紀に誕生したコラムホイール式のクロノグラフは、現在でもハイエンド製品の象徴のような存在となっています。
その一方で7730のようなカム式は現実的で、一般市民にとっての理想であり、現在のマイクロブランドブームとも繋がる精神が見られるのではないでしょうか。
スイス政府による独占禁止法によりこの人気は減速しているものの、この精神はバルジュー7750(EAT7750)にも息づいており、このムーブメントの爆発的な人気が今日まで続いていることを表しています。