ジョージジェンセンとその美しい作品

デンマークのコペンハーゲンのジョージ・ジェンセンの工場(またの名をスミシー)では、1世紀以上に渡ってスターリングシルバー製のジュエリー、テーブルウェア、バーやワインアクセサリー、カトラリー、食器や器、装飾品を世界中に向けて作っています。
1904年というアールヌーボーの最盛期にデンマーク銀細工師であるジョージ・ジェンセンによって創設された会社ですが、バウハウスのファンには馴染みのある風潮のデザインになっています。
現代のビジョンも取り入れることで、会社は次世紀まで存続しており、ジェンセンはコラボレーションをずっと取り入れてきました。
コラボレーションが広く浸透するずいぶん前からです。
ジョージジェンセンを設立してから彼が亡くなる1935年までの数十年間、会社ではデザイナーを招き入れて視野を共有するという伝統を発展させ続けました。
今も購入できるコレクションとしては、例えばシグバード・ベルナドット、へニング・コッペル、ヴィヴィアナ・トゥールン・ビュローユーベといった北欧のデザイナーたちとのコラボレーションです。
もっと最近のことで言うと、ジェンセン社は産業デザイナーのマークニューソンと組んで限定モデルのシルバーのティーセットを作り、建築家のザハ・ハディッドは、彼女が急死した2016年の数か月前に、色々なカフブレスレットや指輪をデザインしました。
そのジュエリーは彼女が設計した北京の一番大きなショッピングモールであるギャラクシーSOHOからインスパイアされてできたものでした。
10数年間、ジョージジェンセン社はコペンハーゲンの近隣都市であるフレゼレクスベアに工場を持つ、ロイヤルコペンハーゲンの工場を独占してきました。
(コペンハーゲンからは今もかまどが1階の窓から見えるほど近くにあります。)
そこでは約25人の銀細工師が約6か月、銀を片手にはんだ付けをしたり、ハンマーで叩いたり、研磨したりすることで、機能的なデザインオブジェクトとアートという両方の魅力を持つ作品が生み出されています。
ジョージジェンセンのデザイナーのキャリアのスタートは陶芸家
芸術家、彫刻家、金細工職人であったジェンセンが“つぼの上のメイド”と呼ばれる水差しを作り、
その作品が1900年にパリの世界的な展示会に出展された時に、彼は陶芸家としての名前を獲得したのです。
その成功の後、彼はシルバーの作品をつくるようになり、1904年にコペンハーゲンの中央のブレッドゲード通りに工房を開きました。
お客様を惹きつけるために、彼は通り小さなショーケースをシルバーのジュエリーで満たしました。
2年後、彼が40代の頃には彼は店先に立つようになり、彼の好んだ作品であるシルバーの容器を作り始めました。
ジョージジェンセンのデザイン3つーアールヌーボー、アールデコ、近代美術
アールヌーボーの代表作としては“ブロッサム(ティーポット)”があります。
これは今ある約1500の容器の作品のうちの2番目の作品ですが、
ずんぐりした曲線美の小さなポットで独特のカエルの足がついています。
大変卓越したデザインで北欧特有、そしてまたジョージジェンセン独特のアールヌーボーのデザインです。
他のアールヌーボーのの作品もたくさんご存知だと思いますが、装飾が多くなされており、大変複雑なものが多い中で、
このティーポットは北欧の様式で自然、いわゆるシンプルでつつましいということに重きを置いたスタイルです。
一番上にはマグノリアの花が、持ち手には鳥の尾が表現されていて、そしてハンマーの跡もついています。
ハンマーの跡はこの工房で行っている独特の工程です。
多くの人々はハンマーの跡をなくして表面が完全に滑らかになるように研磨しますが、ジョージジェンセンの世界では、ハンマーの跡が陶芸の手と、北欧の光を表しています。
この考えは光を和らげて明るさを生み出すためのもので、光を反射させるためではありません。
このハンマーの跡は作品に少し魂を与えており、キラキラ輝くものとは対照的なものです。
ブロッサムティーポットの持ち手はもともとは象牙で作られていましたが、今はコクタンの木で作られています。

1920年代には、ジョージジェンセンの会社はアールデコ期に入り、デザイナーのハラルド・ニルセンの作品が登場しました。
彼女は1926年にピラミッドと呼ばれる曲線のパターンのデザインをしたデザイナーで、1922年のツタンカーメン王の墓が発見されたことからエジプトの復活を表しました。
少し柔らかい感じがありますが、この頃から少しずつ直線を取り入れ始めています。

ジョージジェンセンはこのピラミッドのデザインを1909年頃にスミシーに養成工として来たハラルド・ニルセンに依頼しました。
しかし、ブランドとしてはジョージジェンセンはヘニング・コッペルのような近代美術のデザイナーとの印象的な作品で一番よく知られていることだと思います。
曲線美のプレグナント・ダックピッチャー(社内文書によるとデザイン番号992)のような作品で、古くからのジョージジェンセンの愛用者の方々にも、新しく知ったばかりの方々にも印象に残るようなものです。
デンマークの近代美術デザイナーであるヘニング・コッペルはピッチャー番号992、プレグナント・ダックをデザインし、20世紀を代表するものになりました。
シルバーの作品だけでなく優れた鉄の作品も多くあるジョージジェンセン
戦時中、ジョージジェンセンはシルバーのほかに、ステンレスを含む金属の実験を始めました。
何年にもわたって、研磨した鉄を発展させました。
それにより鉄が素晴らしい素材だということを発見し、異なるより厚みのある規格で作りました。
鉄できた作品は、機械による生産という印象がとても強いですがハンドメイドの作品でした。
このベルナドッテの鉄のフォークは、スウェーデンの王子であるシグバード・ベルナドッテによるデザインで、彼は20世紀を通してジョージジェンセンに関わり、今もなお人気がある作品です。

一番重要なシルバーの容器の作品は、最初から最後まで一人の手で作り上げられるー数か月に渡って
制作に取り掛かるときには、まず必要な工具すべてを出すところから始められるのですが、100年以上使われている工具がたくさんあります。
工具は、作品を生み出すために非常に精巧に作られており、すべてに番号がつけられています。
だから制作者はこのピッチャーの首の部分を作るなら、この番号のハンマーが必要だ、という風に熟知しているのです。
その工程は、まるであるレシピに従って作っているようにきっちりしているところに目を見張ります。
ジョージジェンセンのジュエリーを理解するための特徴的なデザインの作品3つ
1.トゥールン・バングル

ブランドの中でコラボレーションを行った一番有名なアーティストである、ヴィヴィアナ・トゥールン・ビュローユーベというスウェーデンのデザイナーが手掛けました。
2.ヴィヴィアナ・バングル・ウォッチ

こちらも同じくヴィヴィアナによるものですが、彼女は時間が常に分かるようにするというアイディアを嫌っていたため、オープンタイプのバングルをデザインしました。
時間に厳しく縛られないように、というわけです。
またそれは、鏡の文字盤からも分かります。
この時計を見ると、反射した自分が見えます。
時間に縛られていることから解放されるというアイディアのもと作られたデザインだったのです。
3.フュージョン・リング

これはヘニング・コッペルの娘である、ニナ・コッペルによるデザインで、彼女が1990年に亡くなる以前に作られました。
この指輪は今はいくつものバージョンが繰り返し作られており、上の写真のようなローズゴールドとダイアモンドのシックなスタイルのものもあります。
ジョージジェンセンについては本当にたくさん語ることがあります。また楽しみにしておいてください。