スイス時計の老舗ロンジンのクロノグラフ腕時計と冒険の歴史
スイスの腕時計の老舗ロンジン(Longines)の誕生
今も昔から変わらず多くの愛好者がいる時計の老舗メーカーのロンジンは、
1832年、その産声をあげました。
オーギュスト・アガシがロンジンの始まりとなる
レギュル・ジュンヌ&アガシ商会を設立して歴史の始まりです。
1867年に、ジュラ渓谷の小さな村に後継者エルネス・フランシロンが時計向上を建設します。
エルネス・フランシロンはアガシの甥にあたります。
歴史に名を残すロンジンの名前は、建設地の地名から名付けられました。
工場はサンティミエのジュス河畔のロンジンに構えられ、
「小川の流れている花の咲き乱れる野原」という意味でフランスの古語では表されています。
美しい時計を表すにふさわしい地名ですね。
私たちがもつロンジンのイメージは高級ドレスウォッチメーカーです。
しかし、創立時より伝統を守りぬく保守的なスイス時計界の中で、
ロンジンは一歩前に進んだ技術の開発とそれを積極的に取り込むことを恐れない革新的なメーカーでした。
ロンジンの確かな品質は、創立時より培われたものなのです。
当時、時計は職人による家内工業の要素が色濃く残る時代でした。
そんな中で、先手を切って工場による量産体制をロンジンが導入しました。
保守的な環境を変えるのは、どれほど勇気がいることでしょう。
さらに世界で初となる腕時計クロノグラフを作りだすと、
続いてクオーツ腕時計をも世界でもっとも早く商品化させました。
冒険者と共に歩むロンジン(Longines)
ロンジンは、時計界の先駆者としての誇りと自信、
そして情熱で、時代の冒険者と共に歩み始めます。
1904年の429日にも及んだバーニア船長の北極探検に始まり、
リチャード・E・バーグの南極・北極征服時にもロンジンは冒険者とともにありました。
ワンプッシュ・ボタン式のロンジン初期のクロノグラフを使用したと伝えられている
リチャード・E・パーク氏は、ロンジンの機器なくして、探検の成功はなかっただろうとまで
ロンジンへの信頼を語っています。
ロンジンにこんな歴史があったことを知る人はそんなにいないでしょう。
極寒の環境で耐え抜くロンジンの時計の性能は、
当時の技術を考えるとその技術の高さに驚くばかりです。
過酷な冒険を乗り越える度に、ロンジンは革命とも言える技術と工夫を時計に注ぎ込みました。
時計の精度と機能は、こうして着々と進化を続けていったのです。
ロンジンの時計には当時の冒険へのロマンがつまっているのですね。
リンドバーグと共に飛行したロンジン(Longines)
冒険者との歩みの中で、ロンジンにとって最も誇らしい歴史は、チャールズ・リンドバーグのニューヨーク~パリ間を飛行した大西洋無着陸横断飛行です。
リンドバーグの伝記を読むとその飛行の偉大さがわかります。
飛行時間は33時間39分。
現在のような機器があったわけがなく、飛行中の位置の確認や残りの燃料を計算でわりだしていましたが、5分の1秒まで計測できた超精密時計が貢献しました。
これがロンジン製航空クロノメーターです。
リンドバーグの功績ばかりがクローズアップされていますが、成功の影にロンジンがいたのは事実です。
クロノメーターに込められた高度な技術はその後、ますますロンジンによって研ぎ澄まされました。
1931年には時間に加え、時角も計測できる世界で初めての腕時計が完成されました。
アワー・アングルウオッチです。
当初はわずか5個しか作られなかったという大型クロノグラフのムーブメント(18.69N)を使った腕時計はゴールドケースに入れられていました。
1937年には大型だった腕時計を小型にし、機能的な改良を施したステンレススチール製モデルは1000個製造されました。
リンドバーグウオッチと称される時計たちは、航空用腕時計として、今もなお高い評価を変わらず受け続けています。
無着陸横断飛行成功60周年だった1987年には、復刻版として記念モデルが発売され多くのファンを魅了しました。
時計には文字盤中央の回転ダイアルを動かし、秒針は時報に合わせて60の位置にすることで秒単位まで正確に調整する機能がついています。
また飛行位置を経度の計算を可能にする時刻と角度が表示されたダイアルがあり、回転ベゼルを利用することで均時差を知ることができる機能もついていました。
今から100年以上も前に、このように時計になにかしらの機能を追加することはその技術が必要だっただけではなく、ロンジンにとっても大きなチャレンジだったのではないかと思います。
小さな時計の中に、ありったけの技術を詰め込もうとうしたロンジンは時計界の最先端で時代を引っ張っていたと言えますね。
冒険者の未知への世界へ挑むチャレンジ精神を革新的な技術と使う者からの信頼を支えにロンジンは冒険に必要な機能を兼ね備えた傑作を生み出してきたのです。
挑戦し続ける冒険者とロンジンとの歴史とロマンが時計からは感じられます。
ロンジンが人々を魅了するのも納得です。
コストに悩まされたロンジン(Longines)
時計界での追従から抜きん出ようと躍進するロンジンは12時間積算計を実現させました。
文字盤側に60分積算計を搭載し原動力とすることで、3時の位置の12時間積算計を動かすかなり大掛かりな設計を取り入れます。
後に後期型13Nと言われるものですが、正確な誕生は不明なものの後期型の設計図には1942年10月24日と記録され、ロンジンでも公式に後期型は1942年に誕生したと発表しています。
手の込んだ改良は、革新的だったとはいえ対戦のさなかで13ZNを製造するコストはあまりにも高くロンジンを苦しめることになります。
例えばオペレーションレバーにおいても、同じ時代のクロノグラフに比べてかなり部品は厚く、しかも手作業で磨いて調整していた13ZNの生産性は高くありませんでした。
どんどんと増え続ける部品の問題だけではなく、1938年から1946年にかけスイスにおける時計職人の賃金は2倍にも跳ね上がっており、人件費も莫大なものとなっていました。
しかし、当時は苦労したこの分厚い部品のおかげで、優れた寿命を持った13ZNはその後、名声を得ることになるのです。
最終的には、ロンジンのこだわりが実を結んだわけですね。
他にもクロノグラフには精密な部品が搭載されていました。
クロノグラフブリッジは、他の時計メーカーのものよりも出来がよく穴石に立体的なオリーベを採用していました。抵抗の少ない穴石を使いクロノ作動時の精度も改善されていました。
またクロノグラフランナーは、設計の古さを感じるものの、1940年代以降、各社がクロノグラフランナーのリムを太くすることで耐久性をあげることを考えていましたが、ロンジンだけは細い歯車にこだわりました。
ドライビングホイールにおいても、フライバックで酷使されることを先に見越したうえで頑丈な受けを被せ、1941年にフライバックを取り入れたUROFA59も13ZNに同じ設計を採用しています。
もちろん、ロンジンも後期型13ZNの開発にあたりなんの手立ても取らなかったわけではなく製造コストを押さえるよう考えていました。
分積算計を文字盤側に移動させたことで秒クロノグラフと車、コラムホイール、ブレーキレバーやリセットハンマーの間に隙間が大きくできたため、その余白を生かします。
コラムホイールについては歯の枚数が奇数枚の方が高級とされていますが、偶数枚の方が比較すると高いだけで一概に高級とは限りません。
ただ、やはり歯の枚数が多いとクロノグラフがより細かく制御できるので1930年代以降の高級機は競うように歯車の数を増やそうと躍起になっていました。
小さな部品にかける情熱には本当に驚かされます。
後期型のレバーやハンマーはシンプルな曲げのものに変更されました。
これにより、生産性は上がりフライバックを多用しても壊れにくくなったのです。
しかし、1944年のロンジンの社内文書には現行の13ZNより安価に腕時計クロノグラフを開発できるとも記録されており、当時の工夫や努力はさほど貢献できていたわけではなかったのかもしれません。
設計がやや古目の13ZNと比べ30CHは12時間積算計はないものの、現代においても通用するほどの論理的な設計を備えています。
コストを意識した30CHは13ZNの後継機です。
13ZNのトランスミッションホイール(クロノグラフ伝達車)とキャリングアームの設計を簡単なものにしようとしましたが設計はとても重厚で、コラムホイールとの噛み合いを優先に考えられたロンジンだからこそ可能にした設計でした。
13ZNが発表された頃、ロンジンは13.33Z以外の腕時計に使うクロノグラフムーヴメントをバルジューから購入していました。
13ZNのこだわり抜いたぶ厚い機能部品と、職人の技の丁寧な仕上げは評価が高いとはいえ、生産性が悪いのが難点でした。
部品を薄くしたレマニアやバルジューの方が生産性が上だったからです。
部品の厚みにのみ目を向ければ、大戦中にも関わらずバルジューは驚くことに年間に6万個ものクロノグラフを作り上げました。
1914年にキャリバー23がリリースされてから、1974年までもの長い間製造を続けられています。
反面、13ZNはロンジンのこだわりである機能部品に厚みをもたせるために手作業で寸法を微調整するやり方が取られましたが、コストが高かったため、せっかく品質がよいのに10年余りで姿を消してしまいました。
名機と言われた13.33Zを越えるべくロンジンが全ての力を注ぎ、ついに開発された13ZNは新しくフライバックが取り入れられました。
ロンジンが世界に誇りこだわり続けてきた積算計の取り扱いを変えたことはまさに冒険だったと言えます。
一歩間違えれば、ロンジンの名を汚すことにもなりかねないそんな冒険にも果敢にチャレンジするロンジンの勇姿は、これからも変わらず人々を魅了し続けることでしょう。
変わらない品質と輝きを持ち続けながらも、進歩を続けてきたロンジンは、持つ者を輝かせてくれるに違いありません。