ナポレオン帝王が愛したフランスの高級シルバーブランドのオディオ(ODIOT)ってどんなブランドなの?
オディオの歴史
メゾン・オディオ、またはハウス・オブ・オディオは1690 年に、ルイ15世の統治下で、銀細工師であったジャン=バプティスト=ガスパール・オディオが設立しました。しかし、名声のピークを築いたのは孫のジャン=バティスト=クロード・オディオ(1763年生まれ)で、ナポレオン皇室や世界中の重要な王室から、多くの注文を受けていました。
1802年、メゾン・オディオはパリで開催された国際博覧会に参加し、金メダルを獲得しました。
その後まもなく、オディオはヘンリー・オーギュストをナポレオンの専属銀細工師に継承させ、ナポレオンの1804年の戴冠式用の王笏と剣、ナポレオンの母と妹のそれぞれの食器セット、皇帝の遠征用の食器一式を制作しました。
クロード・オディオのスタイル

ジャン=バティスト=クロードの作品は皇帝時代を代表する銀細工のスタイルで、クラシックなギリシャやエジプトの様式を取り入れていました。
彼の銀メッキの作品は古典的なはんだ付けでは無く、新古典的な形と、リベット式びょうと締めねじで固定された装飾が特徴でした。
ジャン=バティスト=クロードは1823年に引退し、息子のチャールズ=ニコラスが工房を引き継ぎました。
1825年になると、フランス国王ルイ=フィリップとオルレアン家から専属の銀食器供給者に任命され、さらにイギリスから輸入した電気めっきの技術の研究を始めました。
チャールズ=ニコラスはロココ様式の制作に優れており、貝殻や渦巻き型のモチーフ、花など華やかな要素が特徴でした。

チャールズ=ニコラスの息子であるグスタフは、1856年から1906年まで工房で働き、父を超える活躍をします。
彼は一族が今まで受けたオーダーの中で最も威厳のある注文と言える、3000個の純金の平皿をエジプトの副王、サイード・パチャのために製作しました。
オディオ一族の作品は、長い歴史と遺産と共に現在も愛され、その作品はルーヴル美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館など、世界で最も重要な美術館に展示されています。
オディオの最も重要な作品
オディオは皇帝ナポレオンの戴冠式用の剣や、チャールズ大帝の戴冠式用のモダンな笏(しやく)などの制作を依頼されました。
ナポレオンを知るバンジャマン・コンスタン は、著書でオディオの作品について「装飾商オディオの作品である皇帝の笏は銀に金の装飾が施されており、玉座に座ったチャールズ大帝が絵付けされた球で飾られていた。」と述べました。
後にオディオは、王位継承者となるナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ・ボナパルトが産まれた際、ゆりかごの銀の装飾を献上しました。
バーデンの宮廷がオディオを愛した理由
ルートヴィヒ1世は、父の命令で外交使節に出ていました。
1802年、モスクワのロシア皇帝の宮廷を訪れたのち、ナポレオン・ボナパルトと交渉を行うためにパリに向かいます。
使節中、ルートヴィヒはヨーロッパ中の宮廷でオディオの作品を目にします。
オディオの評判はフランスの国境を越えていたのです。ルートヴィヒが1818年バーデン大公に就任した後、王室のシルバー食器をオディオに注文しました。
