フランスのガラス工芸家 ルネラリック Rene Laliqueの魅力と素晴らしき作品のご紹介
動画でルネラリックの魅力をしっかり確認する↓
芸術家ルネ・ラリックの生涯について
1900年にルネラリックは40歳になりました。
そのとき、フランスで行われていたのがパリの万国博覧会だったのです。
この万国博覧会は、ルネラリックにとって大きな転機と呼べる機会になったのです。
なぜなら、ルネラリックの芸術作品は、この博覧会で大きな評価を得ることができました。
芸術のあらゆる面で、その力を確立することができたのです。
宝石や貴金属品だけではありませんでした。
彫刻や数多くの美術工芸品など、ルネラリックが出展した芸術作品は、多くの人の目を惹きつけ、大変な人気を博すものとなったのです。
世界中の大コレクターと呼ばれる人たちは、競ってルネラリックの作品を欲しがりました。
ルネ・ラリックのその作品には、時代の姿というものが映し出されていたのです。
ルネラリックは革新的な芸術を生み出しました。
彼の競争相手となる多くの芸術家のライバルたちは、そんなライバルであるルネラリックの作風を模倣していったのです。
驚くべきことに、ルネラリックの作品を参考にするのではなく、完全に真似た作品を作る者まで現れたのです。
そこまでデザインを真似されると、自分の作品性の高さを感じ、プライドをくすぐられそうなものですが、ルネ・ラリックは違いました。
その状態に大変憤りを感じていたのです。
擬似ラリックは、なんとも味気なく。魅力にかけるものだったからです。
ルネ・ラリックは、ここで考えました。
自分の作品の模倣をするのは自分ではなく、自分を追ってくるものたちに任せてしまおう。
自分は、新しい道を自分の力で切り開き、前へ進んでいこうとしたのです。
ルネ・ラリックは15年もの間、宝石や装飾品といった貴金属品の世界に携わっていました。
それゆえ、ルネ・ラリックは宝石や装飾品の分野でありとあらゆる可能性を、すべて極め尽くしてしまっていたのです。
だからこそ、そのまま宝飾品の分野に留まり、そのデザインについて学ぶということは、同じものを再び学ぶということであり、彼が彼自身の弟子になってしまうに等しかったのです。
そこでルネ・ラリックは、ガラスの世界に身を投じることを考えました。
ガラスには、まだまだ途轍もない可能性が秘められているように感じられたのです。
しかし、ガラス工芸の道は厳しく、テンポよく数日や1年という期間で技術を習得することができたわけでは、ありませんでした。
その努力は1901年にスタートをして、1911年までのおよそ10年もの時間をかけ続けたのです。
そして1911年、パリのヴァンドーム広場でラリックは、自分の店でガラス工芸品だけの大規模な展覧会を開催したのです。
1908年、ルネ・ラリックはパリ東方のコーム・ラ・ヴィルの電球工場だったものをガラス工場として借りて使っていました。
しかし、それから5年後の1913年。
ついにルネラリックはその工場を電力会社のカンパニー・ジェネラル・ディレクトリシテから買い取ったのです。
これによって、ルネラリックは名実ともにガラス工芸品のメーカーとなることができたのです。
つまり、ガラスメーカーとなることにより、ルネラリックは宝飾装身具の道を棄てたのです。
ルネラリックの創作活動は、1914年から第一次世界大戦の起こった1918年の間、ストップしてしまいます。
ルネラリックのガラス工場では、病院や薬品メーカーで使用される医療用ガラス器具が作られていました。
第一次世界大戦までの間に作られた、ルネラリックのガラス作品はすべて丁寧に作られた一点ものでした。
それらの作品は、審美眼と洗練された趣味を持つ上流階級のために、念入りに作られた、他の追随を許さない逸品ばかりだったのです。
第一次世界大戦が終了すると、ルネラリックは創作活動をストップせざるを得なかった期間を取り戻すかのように、生産体制の再編成へと取り掛かります。
今度は、アルザス地方のヴィンゲンという場所にガラス工場を作ったのです。
そして、その場所でテーブルウェアなどを中心とするガラス作品を手がけていったのです。
ラリックは、早くから製造の方法を機械化することに着目していました。
そしてそのことにより、生産原価を大幅に下げることに成功したのです。
ルネラリックは、そのデザイン性や品質を少しも低下させることなく、上流階級だけではなく、新しい階層に顧客を得ることができたのです。
芸術作品をより多くの愛好家たちの手元に届けることに、ルネラリックは成功することができました。
そして、それはそのまま一種の産業革命ともなったのです。
ルネラリックは末永い事業の繁栄と、名声を保証されることとなりました。
ですが、ルネラリックはその場で足踏みすることはありません。
その目は、常に先を見据えていたのです。
ルネラリックの次なる目標は、ガラスの新しい用途についてでした。
そして、多くの人たちが目を見張るような作品を作ることができたのです。
ルネラリックはなんと、ガラス作品をインテリアや、建築の資材として使うことを考えたのです。
大理石よりも耐久性のあるガラスの、無限にも等しいその可能性を示したのでした。
1925年に、パリで後にアールデコ展と呼ばれるようになる「現代装飾美術産業美術国際博覧会」は、ルネラリックが考案したガラスの新しい用途が立証される、格好の場所となったのです。
彼がこのときに出品した作品は、巨大なガラス製の噴水「フランスの水源」、ラリック社のパヴィリオン「ルネラリック館」、「セーブル館」の食堂の室内装飾、「香水館」などでした。
それらは、これまで考えられることのなかった、新しいガラスの用途についての提示とも言えたのです。
照明器具をはじめとして、家具や軒蛇腹、扉に壁材、床、天井、窓などすべてがガラスで作られていたのです。
ルネラリックの新しい着想は、ガラスという素材を得て、より強く輝くことができたのです。
その反響はすぐに現れました。
1900年の万博では「ラリック」が宝石の代名詞とも言える存在でした。
しかし、そのときは「ラリック」の名前はガラスの代名詞と言える存在にまでなったのです。
ルネラリックは次に、大西洋横断豪華客船の内装に応用することを考え始めました。
1922年に、ラリックは「パリ号」の室内装飾に参加していた経験がありました。
そして1927年に手がけた大型豪華客船「イル・ド・フランス号」でラリックが見せた、食堂内装の手腕は一段と目を見張るものがありました。
しかし、ルネラリックが手がけた豪華客船のもっとも特筆すべき成功例と言えば、1935年の「ノルマンディー号」をおいて他にありません。
「ノルマンディー号」の照明器具と、照明付きの室内装飾の美しさは、息を呑むほどのものでした。
食堂には、1トンもある12灯の電気照明灯がガラス製のタイルで覆われた仕切り壁を照らしていましたし、壁灯と高さ数メートルの天井灯が廊下や階段の吹き抜け、そしてロビーにアクセントを添えていたのです。
その一方でルネラリックは、美術工芸品の新作を作り続けていました。
昔からの顧客層に、変わらず洗練された作品たちを提供していたのです。
商品の種類は、年月を経るごとに増えていきました。
より豊富なデザインで、より幅広いバリエーションを持ち、魅力的な作品が増えていったのです。
作品の種類は、小物入れ、鏡、ボンボン入れ、吸取器、印章、額縁だけでなく、他にもランプ、壁灯、天井灯、テーブルウェアーなどが、欠かすことなく店内に展示されていました。
さらに、彼の生み出す新しい作品たちは、毎年いろんな美術展に出品もされていたのです。
装身具や室内装飾品、そして建築素材というように、ありとあらゆる分野で、ルネラリックは成功を納めていったのです。
1932年の7月には、日本でもその作品手がけました。
それは、現在東京庭園美術館として公開されている、東京の宮廷の扉をデザインしていたのです。
さらに、パリの商店街であるギャルリー・ド・リドの装飾も手がけています。
シャンゼリゼ通りにある噴水や、いくつかの教会の祭壇やステンドグラスなどのデザインも行っているのです。
1933年、パリ装飾美術館はなんと驚くべき展示をしました。
それが、ラリックのための回顧展です。
そのときのルネラリックは73歳。
しかし、まだまだその手を休めることなく、次々と新しい作品を手がける現役の芸術家として活躍していたのです。
装飾美術館では、美術館が所有するすべての作品が、陳列され来場した人たちは1900年まで作られていた宝石類や小物類の美しさにうっとりと目を細め、蝋型鋳造ガラスと呼ばれるシール・ペルデュで作られた作品の繊細さと、微妙なニュアンスに目を見張ったのです。
そして、ラリックが手がけた作品の種類やその多様性に驚き、感心したのでした。
ルネラリックは、作品を完全に人任せにすることはありませんでした。
ラリックのサインを入れたものは、すべて必ず自分の目でチェックしていたのです。
彼の工場で作られる、彼の作品は製造のデザインから、製造の工程まで厳密に確認をしました。
だからこそ、彼の作品の品質が劣ることがなかったのかもしれません。
ありとあらゆる分野に挑み、常に学ぶ姿勢を忘れずチェレンジャーで有り続け、多くの人から愛され、尊敬されたルネラリック。
揺るぎない名声を手に入れ、自らの生涯に大変満足をしたルネラリックは85歳で眠りにつきました。
この展覧会での出品作は、ラリックが世界的に名声を勝ち得た作品の中でも特に厳選されたものばかりです。
天才的芸術家であるルネラリックの孫娘である、マリー・クロード・ラリック女史も、この展覧会のために、ご自身のコレクションから多くのものを快く出品していただきました。
さらに、パリ装飾美術館からも館長のイボンヌ・ブリュナメール女史の格別なご好意により、多くの作品を出品していただくことができました。
そして、フランスをはじめとして、イギリス、アメリカ、日本に住む個人のコレクターの方々からも、大切な作品を出品していただきました。
そのことにより、この貴重な展覧会は、より質の高いものとなることができたのです。
この作品たちを通じて、稀代の天才芸術家ルネラリックの芸術を現代に甦らせることを願います。
フランスのガラス工芸家 ルネラリック(Rene Lalique)素晴らしきガラス作品のご紹介
ルネラリック 「モネ・ド・ペプ」 オパール色のガラス花瓶1914年頃
1914年にフランスでつくられたルネラリックの「モネ・ド・ペプ」というオパール色の美しいガラス花瓶です。
高さが23.5cmあり、浮き出しの葉が全体を覆っています。
底にはルネラリックのサインがあります。
幅のある花瓶でガラス収集家やルネラリック収集家を魅了するものです。
底の角に小さな傷と約5mmの傷があります。
また底には収納の跡があります。
これと同じものはほとんどがランプに変更されていますが、これはそうではありません。
素晴らしいフランスの芸術ガラスです。
ルネラリック シャテーニュ模様の半透明花瓶
美しいルネラリックのシャテーニュ模様の半透明花瓶です。
花瓶にはシダの葉が上に行くほど徐々に大きくなるように互い違いに装飾されています。
素晴らしい保存状態です。
高さ13cmで、底の幅は5cm、一番幅の広い口は10cmあります。
1933年頃の作品です。
ルネラリック 「ヘスペリデス」グラス
ルネラリックの「ヘスペリデス」のヴィンテージ・グラスです。
葉の先のモチーフが巻きつくように切り子面から派生しています。
品番は3412で、1931年につくられたものです。
「R. Lalique」とサインされています。
グラスの高さは10cmで、直径は7.5cmです。
保存状態は良好です。
ルネラリック ヴァスロンヌ・コーディアル・グラス
ルネラリックの透明なヴィンテージヴァスロンヌ・コーディアル・グラスです。
高い杯と丸い土台と6つの徐々に大きくなる層です。
品番は5356で、1937年頃につくられたものです。
底に印字で「Lalique France」とサインされています。
高さは11cmで、直径は5.7cmです。
保存状態は非常に良好です。
ルネラリック 「エスパリオン」 灰緑青のシダ模様花瓶 1927年頃
シダ模様のオパール色、緑青色ルネラリック花瓶「エスパリオン」です。
丸い球根のような形は柔らかく、エレガントな印象を持ちます。
シダの葉の模様はルネラリックでよく見られる特徴です。
1927年にアールデコ全盛期のフランスでつくられました。
底にはルネラリックのサインが「R. Lalique France」とされている。
フェルトによって花瓶の底が保護されており、「R」にもフェルトがかかっています。
美しい手造りのグラスです。
不完全な円形の口などの細部を見るとその手仕事を見ることができます。
高さ17.7cmで、直径15.2cmです。
ルネラリック ボウル 品番3200 Gui 1921年
これはルネラリックのボウルで、品番は3200 Guiです。
1921年に登場しました。
鋳造されたルネラリックのサインがあります。
高さ10cmで、最も幅が広いところで23.8cmです。
ヴィンテージの風合いはありますが、傷はありません。
1921年 ルネラリック アート・ガラスボウル 古茶色と透明の「花瓶」
1921年にデザインされたルネラリックのボウルでその花瓶のような形と花模様から「花瓶」と呼ばれています。
古茶色と透明な部分があります。
95年前の作品としては非常に保存状態がよく、気にならない程度の細かい傷が縁にあります。
幅は23.8cmで、高さは8.2cmです。
真ん中にサインと3216という数字があります。
ルネラリック 「アバロン」 古青色のズズメの花瓶
この珍しいルネラリックの「アバロン」のガラス花瓶は透明と不透明な部分があります。
明るい古青色の部分もあります。
ツバメ、葉、ベリーのレリーフが装飾されており、アールデコの素晴らしい見本です。
花瓶の口径は幅16.5cmで、高さは15.2cmです。
花瓶の底にはエッチングで「R. LALIQUE FRANCE」とあります。
1927年頃の作品です。
ルネラリック 「マーガレット」 ガラス・タンブラー
フランスの有名なルネラリックのエレガントなガラスです。
1920年のガラスで、アールデコとアールヌーヴォーの両方の特徴があります。
幾何学的なデザインである一方で、有機的な模様も施されています。
鋭角な三角形の中の花はマーガレットです。
ルネラリック(1860-1945)はヨーロッパのアールヌーヴォとアールデコの美的感覚を形成した高級ガラス食器をつくった人物です。
ルネラリックのガラス職人としてのキャリアのピークはアールデコを確立した1925年のパリ万国博覧会です。
このガラスはマルシアックのルネラリックカタログの768ページに品番3404で紹介されています。
底に「R LALIQUE, France N: 3404」とサインしてあります。
ガラスの高さは11.4cmで直径は7.6cmです。
ガラス収集家やルネラリック収集家にとっては是非コレクションしておきたい1品です。
ルネラリック 「聖フランシス」 不透明ガラス花瓶 1930年頃
ルネラリックによってフランスで1930年頃につくられた「聖フランシス」模様の不透明ガラス花瓶です。
不透明ガラスの口が広く、底が細くなっている円柱状の花瓶です。
鳥、葉、蔦がレリーフで飾られています。
アッシジの聖フランシスの人生を祝う模様で、ルネラリックの人気の模様です。
この花瓶は素晴らしい保存状態にあり、ルネラリック好きの方にはぴったりな贈り物です。
幅は16.5cmで、高さは17.7cmです。
底には「R. LALIQUE」と「FRANCE」とエッチングサインがあります。
ルネラリック モザイク 透明と不透明なトパーズ色のガラス花瓶 1927年頃
これは1927年にルネラリックがトパーズ色の透明と不透明のガラスでつくったモザイク模様の花瓶です。
全体を徐々に大きくなる葉の美しいデザインは花瓶の内と外どちらから見ても素晴らしいものです。
透明と不透明なトパーズ色のガラスが三次元の模様の美しさをさらに際立たせます。
この花瓶は素晴らしい保存状態にあり、ルネラリック収集家にとっては素晴らしい贈り物になります。
高さは15.2cmで直径13.3cm。
底には「R. Lalique」、「France」、「N: 992」とエッチングされています。
ルネラリック 「マーガレット」 ガラス・タンブラー 古セピア色
フランスの有名なルネラリックのエレガントなガラスです。
1920年のガラスで、アールデコとアールヌーヴォーの両方の特徴があります。
幾何学的なデザインである一方で、有機的な模様も施されています。
鋭角な三角形の中の花はマーガレットです。
ルネラリック(1860-1945)はヨーロッパのアールヌーヴォとアールデコの美的感覚を形成した高級ガラス食器をつくった人物です。
ルネラリックのガラス職人としてのキャリアのピークはアールデコを確立した1925年のパリ万国博覧会です。
このガラスはマルシアックのルネラリックカタログの768ページに品番3404で紹介されています。
底に「R LALIQUE, France N: 3404」とサインしてあります。
ガラスの高さは11.4cmで幅は7.6cmです。
ガラス収集家やルネラリック収集家にとっては是非欲しい一品です。
ルネラリック 「ミモザ」花瓶 1924
この花瓶は1924年にルネラリックによってつくられましたが、ガラスのアールデコ期の1932年になってから販売された。
「ミモザ」と呼ばれており、品番は1473です。
透明なガラスに繻子の仕上げがされています。
模様は首で始まり、底にかけて先細りします。
元々の青緑の繻子は年代の割にはいい保存状態です。
とても細い首は縦長になっており、口が広くなっています。
花瓶の高さは17.1cmで首は1.9cmです。
口の幅は1cmで、底の幅は11.4cmです。
首の内側にとても小さい切れ端があり、お望みであれば取り除くことができます。
ルネラリックのサインがありますが見えにくいです。
ルネラリック「リーヴル」と野うさぎの花瓶オパール色ガラス
原産国と年代:フランス、1923年頃
大きさ:直径14cm、高さ16.5cm
概要:これは半透明のガラスで全体に葉の模様がされた珍しく、美しい花瓶です。
球体の上半分には野うさぎの一隊がいます。
よって、「リーヴル」と呼ばれています。
アールデコの有名な先駆者ルネラリック(フランス人、1860-1945)によって彼のキャリアの全盛期だった1923年につくられました。
「リーヴル」ガラスには細部にまでこだわった野うさぎのレリーフが花瓶全体を駆け回っています。
野うさぎはリズムある模様で、一品ずつ異なった表情をしています。
渦を巻く葉が走る野うさぎに力強さを加えます。
花瓶の底には沈み彫りで「R. Lalique. Model 2012, Marcilhac no. 942」と彫られています。
ルネラリックは他の多くの作品同様この花瓶の復刻版を製作していません。
状態:全体的に保存状態は良好です。
ルネラリック 「聖フランシス」 半透明のガラス花瓶 1930年頃 複雑な鳥模様
「聖フランシス」という1930年にデザインされたルネラリックのガラス花瓶です。
半透明のガラスに鳥と枝が施されています。
本体は細く、口径は広がっています。
底にブロック体で「R Lalique France」と印字されています。
高さ17.8cmで、口径は幅17.1cm、底は幅5.7cmです。
素晴らしい保存状態にです。
ガラスコレクションに加えるべき一品です。
ルネラリック オパール色の「ダイナス」 ガラス花瓶 1926年頃 裸の水の女神模様
「ダイナス」と呼ばれるルネラリックのガラス花瓶は1926年にデザインされました。
オパール色の不透明ガラスにはルネラリックで期待するような6体のアールヌーヴォー様式の裸の水の女神が肩から水瓶座で水を注いでいる姿が細かく施されています。
底にはブロック体で「R Lalique France」と「No. 972」と印字されています。
高さ18.cm、口は幅12.7cm、底の幅は10.4cmです。
素晴らしい保存状態で、傷はありません。
とても素晴らしい作品です!
ガラスコレクションに加えるべき一品です!
ルネラリック アールデコ花瓶 「ローリエ」 1925年頃 サイン有り
この花瓶がオリジナルだと保証します。
「R. Lalique」というサインがあり、「France」もわずかだが見て取れる。
1925年につくられた「ローリエ」と呼ばれる品番947で、葉模様です。
浮き出た葉とベリーが施されています。
とてもいい保存状態で傷がありません。
高さは17.78cmで、幅は10.8cmです。
ルネラリック オパール色と青着色の花瓶 「オルモー」
これは「オルモー」と呼ばれるとても素晴らしいルネラリックの花瓶です。
花瓶はオパール色の白いガラスでできています。
葉の模様が施されています。
全体に青着色がされています。
このモデルは1926年につくられ、直後に生産されるようになった。
大きさ:高さおおよそ17.5cm
サイン:ブロック体で「R Lalique」、手書きで「France」
保存状態:非常に美しい状態で保存されていたようで目立つ欠け、割れ、傷はありません。
製作者について:
ルネラリックはフランスのアールヌーヴォーの装飾芸術の代名詞となりました。
ルネラリックは1860生まれで、1881年にパリで宝飾品をデザインし始めました。
ルネラリックは1883年にガラスを使った革新的な実験を多く行なうようになった。
初期の作品はロウ型法を用いた。
ロウ型法は本体をロウで作成し、周りに鋳型がつくられます。
ロウは溶かされ、溶解したガラスが鋳型に流される。
ルネラリックガラスはこの製法で大量生産のために工場が拡大される1905年頃までつくられました。
ワックスモデルを用いた一品限りの生産方法によるルネラリック・ガラスの特徴は失われました。
この試みは成功し、ルネラリックは1909年にコン・ラ・ヴィルにガラス工場を開きました。
アールヌーヴォー期にルネラリックは幅広い商品で知られていました。
香水入れ、花瓶、インク入れ、装飾された箱、ブックエンドなど。
1921年にアルザス・ロレーヌ地方のウィンジャン・シュル・モデにより大きな工場を開きました。
1930年代までにルネラリックは世界で最も重要なデザイナーとなりました。
ルネラリックのガラスは鉛を基に、鋳造か型枠でつくられています。
アールヌーヴォー期に好まれたモチーフとしては踊る妖精、魚、トンボ、葉です。
特徴としてはエッチングされたレリーフが施されています。
時を経ると10色も用いる作品も登場し、ほうろう細工がなされるものまで誕生した。
これらの作品は特に黒色のものが収集家の中では高値で取引されています。
1920年代と1930年代にルネラリックはアメリカのネイティブ・アメリカン芸術を模倣した花瓶やボウルをいくつかつくっています。
また、鳥、葉、幾何学を用いたアールデコ様式のものも製作しました。
花瓶、時計、フードマスコット、足付きグラス、ボトルの他にも色々とつくられました。
ほとんどのガラスが透明かオパール色で、「R. Lalique」とサインされています。
サインは彼が亡くなる1945年まで用いられました。
息子のマルクが会社が引き継ぎ、生前製作されていたものの生産は中止されました。
現在でも世界を魅了するガラスを製作しています。
ルネラリック 「イビ」 花瓶
ルネラリックのトキの模様の美しい花瓶です。
このエレガントな花瓶は美しい口とアシの上にトキがいる装飾がされています。
この花瓶は背景が鮮やかな緑色で、鳥とアシを引き立たせています。
1934年につくられたもので、現在は復刻版がつくられています。
この商品は初期の花瓶で1945年より前のものです。
大きさ:高さおおよそ24cm
サイン:手書きで「R Lalique France」
保存状態:目立つかけ、割れ、傷なく良好な状態です。
ルネラリック 葉模様のボール
ルネラリックのボウルは浮き出たロメインの葉のモチーフとスターリングシルバーの縁が施されています。
ボウルの直径は24.1cmで高さが9.2cmです。
中の真ん中に「R Lalique France」と刻印されています。
保存状態は素晴らしいです。
1920年頃の作品です。
1926年頃 ルネラリック オパール色ガラス 「ドンレミ・シャルドン」 花瓶 シアン・グリーン色
1926年頃の主要なルネラリックの「ドンレミ」花瓶です。
初期の直筆サイン「R. Lalique, France」があります。
ふんわりと鋳造された花瓶はオパール色ガラスで突き出たアザミが葉の上に生えています。
限られた数がこのように色づけされ、このようにシアン・グリーン色をしています。
高さは21.2cmです。
傷はありません。
ルネラリック・ガラスの初期の素晴らしい作品です。
1920年代 ルネラリック 香水入れ モリナール・カレンダル 裸婦像
ルネラリックの香水噴霧器です。
これは1920年代の作品で、1927年のモリナールの「カレンダル」のためにつくられました。
二種類存在します。
ガラスの蓋と金属の噴霧器。
ガラスの保存状態は素晴らしく、傷はありません。
裸婦像の周りには青色がかすかに残っています。
ガラスの底には「Molinard France Lalique」とエッチングされています。
噴霧器はマルセル・フランク社のものです。
「0」、矢印、「F. Le Provencal」、「Molinard and Pte S.G.D.G.」などの刻印がされています。
中には「529」の刻印もあります。
噴霧器は金属に金メッキがされており、いい保存状態でわずかにかすり傷があります。
ポンプの蓋には修復の跡があり、ポンプも機能しますが、ディスプレイとして立たせておくか、納めて小さくするのがいいでしょう。
使うと壊れる恐れがあります。
噴霧器は高さ13.5cmで、最も広いところで8.2cmです。
ルネラリック 「ペリゴール」 花瓶
珍しいルネラリックの「ペリゴール」花瓶です。
「トルサード・ヌエ」と呼ばれることもあります。
もともと1928年につくられました。
貝殻のような形が重なってできていて、シドニーのオペラ・ハウスのようです。
完成品は大きな花の蕾のようです。
花瓶は繻子仕上げがされており、青灰色の色つきが鉄のような見た目を醸し出しています。
サインによるとこの花瓶は1932年頃のものです。
大きさ:高さおおよそ14.5cm
サイン:底に直筆の「R Lalique France」
保存状態:目立つ大きな欠け、割れ、傷なく基本的良好な状態です。
ルネラリック 「シノン」模様シャンパングラス
シャンパンで乾杯するのに最も豪華なシャンパングラスかもしれません!
この「シノン」模様シャンパングラスはルネラリックによって1932年から37年頃に製作されました。
この透明ガラスには台座なような足がついています。
台座は緑色で2列の渦模様が施されています。
大きさ:高さおおよそ8cm
サイン:底に「R Lalique」と砂吹きされています
保存状態:基本的良好な状態です。
ルネラリック 博物館級 「マルチン・ペシュール」 花瓶 黒
このルネラリックの花瓶は有名なオークション会場でも滅多に目にできません。
とても細かく装飾されています。
オーナーの威厳、美への愛、収集家の投資など様々な方を魅了します。
保存状態は素晴らしいです。
2001年にニコラス・ドーズによって180万円の評価がされました。