マイセンのカップ&ソーサー番外編

 

珍しいマイセンの作品を見てみよう

 

こちらの絵付けは、母親ヴィーナスと子供(キューピット)が描かれていますが、カップ&ソーサーの絵付けとしては、とても珍しいものです。

アンティーク カップ&ソーサーのご紹介です。

 

 

まずは こちらの気になるサイズはというと

カップ 高さ 約6.4cm

ソーサー 直径 約13cmと、小さめサイズです。

 

 

マイセン マルコリーニ期のソーサー 

ヴィーナスは、お花の首飾りを作り、キューピットはその横で、母親に甘えていますね。

 

 

マイセン マルコリーニ期のカップ

 

 

こちらはなんの女神でしょうか。

弓のようなものを持ち、なにか考え事をしているようです。

 

 

マイセン マルコリーニ期のカップの持ち手

 

 

こちらのカップ&ソーサーは、18世紀の作品ですが、

コバルトブルーの色があせることなく、きれいな状態ですね。

 

鏡のようにつやがあり、顔がカップに写りそうなくらいです。

このような絵柄のカップでお茶をいただくと、

ヨーロッパの教会の中にでもいるような気持になりますね。

 

わざわざ旅行に行かなくても、協会の天井に絵が描かれた絵を思い浮かべながら、

静かにお茶の時間を楽しみたいものです。

 

 

次は木に止まる美しい鳥が描かれた、

マイセン アンティーク カップ&ソーサーのご紹介です。

マイセン 小鳥のカップ&ソーサー

マイセン 小鳥のカップ&ソーサー

 

こちらは、カワセミでしょうか。

まずは、気になるサイズはというと

カップ 高さ 約6.5cm 直径 約8.3cm

ソーサー 直径 約13.3cmとなります。

 

マイセン 小鳥のカップ&ソーサー

 

カワセミが飛ぶ虫を狙っているのでしょうか。

物音もしない、静かな空間を感じさせられます。

 

葉がブルーグリーンなので、少し寒々とした感じがします。

 

冬の午後、淡い日差しの下、暖かくしたお部屋で飲む1杯のコーヒーは、

ぜひこういうカップを使いたいものです。

 

マイセン 小鳥のカップ

 

この鳥の描写はすばらしいですね。鋭い目で虫を狙っています。

光の加減で、胸や体の筋肉までもがよくわかるではありませんか。

 

すばらしく生き生きと描かれた絵ですね。大人のためのカップだと思います。

 

マイセン 小鳥のカップ

 

うしろ側には、蝶が飛び、ブルーのお花が浮き出ています。

 

表側の緊張感とはちょっとギャップがありますが、

これはこれでホッとするものも感じられますね。

 

 

次は、フルーツ(果物)シリーズの

マイセン アンティーク フルーツ(果物)のカップ&ソーサーのご紹介です。

 

マイセン フルーツのカップ&ソーサー

 

まずは、気になるサイズはというと

カップ 高さ 約6cm 直径 約6cm

ソーサー 直径 約13.3cmとなります。

 

ボックスタイプのカップですね。

 

マイセン フルーツのカップ&ソーサー

 

お花、果物、お野菜、きのこが勢ぞろいです。

 

こんな絵柄って、日本にはないですよね。

きのこがメインのカップなんて、かわいらしいじゃないですか!

 

お客さまにこのカップでコーヒーをお出ししたら、

キャーかわいいって言われちゃいそうです。

 

マイセン フルーツのカップ&ソーサー

 

反対側にも、きのこちゃんがころがっています。

 

マイセン フルーツのソーサー

 

ソーサーは、果物中心です。中央にあるのはりんごでしょうか。

半分に切った断面が描かれているなんて、ユニークですね。

 

こちらは、18世紀の作品ですが、当時の職人さんたちの遊び心が伝わります。

 

でも、どんな模様を描いても大人の絵になるところは、

さすがマイセンとしか言いようがありません。

 

昔の人たちも、この絵を眺めながらお茶を楽しんだのでしょうか。

はるか昔のことなのに、気になってしまいます。

 

 

次はピンク色が印象的な

マイセン アンティーク マルコリーニ期 ピンクローズカップ&ソーサートリオのご紹介です。

マイセン マルコーニ期のピンクローズのカップ&ソーサー

 

すばらしいピンク色ですね。

 

マイセンに限らず、西洋の食器は、コバルトブルーのものが多い中、

このようにべったりとピンク色が乗っているカップ&ソーサーは珍しいような気がします。

しかもピンクローズだけでなく他にも花が5つあるので華やかで美しいですね。

 

 

気になるサイズはというと

カップ 高さ 約6cm 直径 約10cm

ソーサー 直径 約13.7cm

プレート  直径 約17.5cmです。

 

 

中央はグリーン1色です。色具合が東洋的な雰囲気もしますね。

 

今の時代、このようにピンク1色で色付けをすると、

もっと軽い感じに仕上がると思います。

かわいいだけのピンクの器になってしまうでしょうね。

 

むかしの技法だから、しかもマイセンだからこそ、

強いピンクであっても上品に仕上がるのですね。

 

こちらの作品はマルコリーニ期の作品でマイセンのコレクターの方であるならば
ご存知の通り歴代マイセンの中で一番絵付けが美しい時代だと言われています。

まだまだ量産することが出来ず職人が手書きで絵付けをしていた時代なので
職人の技術や息遣いを感じることが出来ますね。
 

 

世界的に高い評価を受けてヨーロッパの白磁器の最高峰に立つに

相応しい存在となってるマイセン。

その歴史は約300年と長く、初期の作品から過去の時代の様式を

復刻したしたものなど様々あります。

そのため、その長い歴史を辿った様式を確認しておくことが不可欠です。

それが作品の歴史を正しく理解することにつながっているからです。

まずは、マイセンの歴史から磁器発明、それに次いで年代の作品の

特徴を紹介していきます。

マイセンの独自力

 

マイセンがヨーロッパの白磁器の最高峰に君臨している、

その理由として二つのことが挙げられます。

一つ目は、ヨーロッパ諸国が1400年代から開発に躍起なった「硬質磁器」を

ドイツのザクセン候国が1709年に東洋から製法を教わることなく、

独学で磁器の研究開発により再発明を成し遂げた

歴史的事実です。

二つ目は、1710年に設立されたマイセン磁器工場において初期から現在まで、

300年以上の長い歴史の積み重ねと、培われた技力で最高級の製品を創造して

きた芸術的伝統です。

しかも、それらの作品は食器から装飾美術品まで幅広く展開され、

その年代の流行をいち早く取り入れ世間の人々を、

美的感覚を魅了してきたのです。

形や文様など昔からの伝統を引継ぎながら、新たな技術やデザインを採用する

スタイルは年代を超えてもその伝統品から放たれるアートは未だ人々を

引き付ける力を持っています。

 

マイセン磁器発明まで

 

マイセンの磁器発明はの日付は1709年10月29日となっています。

発明に貢献した人物は「ベットガー」という薬剤師と自然科学者「チルンハウス伯爵」です。

1700年当初、ベットガーは薬剤師の修業の傍ら、熱心に古い文献などを参考に、

卑金属を金に変える錬金法研究実験をしていたのです。

1701年9月に薬剤師の資格を取得するとともに、どこからともなくベットガーが

「錬金術で金の製造に成功した」という噂がながれてしまします。

その噂を耳にした、プロイセン王は国の財政難回避のため、

「金作り職人」としてベットガーに出頭を命じます。

身の危険を感じたベットガーはヴィッテンベルク(ザクセンの都市)に逃げますが、

やはり、その逃亡先で彼が錬金術師だという素性が明らかになると同じように

財政難に苦しんでいた、アウグスト王はベットガーを連行するように命令し、

彼は1701年に11月末にドレスレンに移送されます。

噂が流れてから、2か月でこのような大きな騒ぎになってしまったのです。

それから、彼は厳重な監視の下で半ば強制的に錬金術の実験を強要されます。

その実験の監督官と任命された一人6年の海外留学で先進国の医療や科学、

経済、学問を学び帰国したばかりのチルンハウスです。

彼はこの時、留学先で学んだことを活かし軟質磁器の開発をしています。

そんな彼が目をつけていたのが更にこの科学技術を応用した、

高質磁器の開発だったのです。

ここから、二人の硬質磁器の開発が始まったのです。

1708年に、残念ながらチルンハウスは亡くなってしまいますが、

この時には、ほぼ硬質磁器は完成していたと言われています。

その後ベットガーはチルンハウス家の家庭教師であった、

シュタインブルックの協力によって赤と白の硬質磁器の完成を報告しています。

そして、1710年1月23日にアウグスト王がヨーロッパに向け磁器発明を発表し、

3月にマイセンの古城の敷地に磁器工場が設立されたのです。

シュタインブルックですが、マイセン工場で検査官として敏腕を発揮しますが

なによりもすごい事は1722年に「双剣の窯印」を提案したのがこの人物です。

 

1700年代のマイセン磁器について

 

18世紀のマイセン磁器の作風はその時代の流行ととも

に豪壮、豪華なバロック様式から

優美、繊細なロココ様式にへ移行しています。

さらに、1775年頃からは古典主義の様式へと作風が

移り変わっています。

これらの作品を見ると、時代の流れとともに、

その背景が窺がえ知ることができます。

 

マイセンは白磁器は研究と改良を重ねた結果、

1713年頃から、お皿、器、壺、ポットなどが量産されはじめ、

次第にマイセンの磁器の主流占めて行きます。

驚かされべく事は、その白磁器の芸術的完成度です。

わずか、工場設立から3年でこのような作品を

完成さられたかは、長年、他の素材で創作していた

腕のある職人の技術が活用されたことにあります。

 

後期バロック様式のマイセン

 

1720年にマイセン工場に画家「ヘロルト」が招かれ、

すぐに才能を開花させます。

彼は作品のデザインから、完成まで一貫して仕上げる作業工程の

確立や、絵付師の絵画教室の指導、絵付けに使われる良質な顔料の開発

などマイセンにおいて幅広い分野で活躍します。

その彼の活躍によって制作されたのが「柿右衛門」の色絵シリーズの写しを

忠実に再現したデザインや当時ヨーロッパでブームだった、

「シノアズリー」の文様を施した作品です。また、彼はその文様

などからオリジナルのデッサンを加え「ヘロルト・シノアズリー」を

制作しましす。

 

ロココ様式のマイセン

 

1730年代に入り、ロココ様式が広がり始めると東洋のデッサンを

見本として取り入れてたデザインから欧風のデザインを見本に

デッサンが描かれるようになりますが、同時期にマイセンでは、

「コバルトブルー」の技術が確立します。

そこで誕生したのが「タマネギ文様」です。

1731年にはマイセンの人形の作者として有名な

彫像家の「ケンドラー」がマイセン工場に招かれます。

ここから、マイセンの造形(人形・置物)においての伝統も一つ

加わったのです。

 

マイセンの古典主義への転換

 

1763年以降は7年戦争を経て転機が訪れます。

バロック様式やロココ様式に限界を感じはじめ、

マイセン工場はもっと広い世界に目を向けるようになります。

特に影響を受けたのがフランス古典主義の趣向です。

この時期同時に、ドレスデンでは古代ギリシャヘレニズム期の

彫刻の美しさを評価する文化的環境も整い始めていました。

それに、ともなってマイセンの古典主義様式の転換もさらに

促進します。

マイセンの彫刻家たちは熱心に古代彫刻を研究しました。

その人物の一人である「ユゥフツアー」の代表作品として、

「三美神」、「ヘロとレアンドロス」が有名です。

ビスキュイ磁器を使い、古代の大理石像を彷彿させる

作品として仕上がっています。

 

1800年代のマイセン磁器について

 

19世紀に入るとナポレオンの侵略時代から脱し、

マイセンはドイツの平和とともに活気が戻ります。

1814年、マイセンは工場と技術部門の各総監督の就任により

技術面での合理的改革と平行して時代の要求にあった

新たなデザインの開発などが進められます。

その一つが、1817年に発表された、「豊かな緑の葡萄の葉の輪」と

名づけられた、食器のシリーズです。

新たに開発された、下絵用の深緑色が採用され、

この白地に側面を包み込むような深緑色の模様の

デザインで代表的なコーヒーポットの造形は、

古代のワイン壺をモチーフに、持ち手は白鳥の首を象った

曲線美が特徴的な作品として仕上げられています。

それらの作品は、ドイツの古典派と思わせるよな

理想的な雰囲気を日常生活で具現化された作品といえます。

また同時期に「散らし小花」、「紅ばら」と名付けられたデザインも

誕生しました。

これらはの可憐な模様は市民層から人気が高く、

ビーダーマイアー様式の趣向に沿った作品達です。

 

 

1851年には、ロンドンでの万博をきっかけに、

マイセンは磁器製品や過去の伝統技術を見直して

います。

 

 

この時代の作品をグループに大きく分けると2つあります。

その一つは、万博出品目的で、ロココ様式とルネッサンス様式を

復活させて造形、デザイン装飾が施された、

いわれる、新ロココ様式と新ルネッサンス様式の作品の制作です。

 

もう一つは、万博を通じて、新たなマイセンの作風を

取り入れた作品です。

工場で新たに開発された「パテ・シュエール・パテ」という

新技術を用いた製品です。

1862年の万博に展示され、それがマイセンにとって

新たな目標となったのです。

1867年のパリ万博では最優秀賞を受賞され、

その後、マイセンは万博や展覧会において

毎回、世界中から注目を浴びるようになったのです。

 

1900年代のマイセン磁器について

 

20世紀目前になると、アールヌーボーの様式が流行はじめ

マイセンもその様式に伴った製品の制作に躍進します。

この、新たな造形スタイルや模様、装飾はマイセンの長年

培われた技術と努力によって世間から高評で歓迎されました。

そして、創作面においても新たな展開があります。

工場内の若い芸術家達にも独自の感性が生かせるようにし、

それを、自由に作品を表現させることで新風を吹き込む

取り組みが行われます。

 

このように、マイセン磁器が今日まで発展してきた裏側には、

その時代に遅れることなく、あらゆる技術、開発、研究を

妥協することなく成し遂げ合理的運営をしていたからと

言えます。

そして、現在もマイセンは発展し続けているのです。