レマニア(Lemania)の歴史とミリタリークロノグラフ
レマニア(Lemania)の歴史とミリタリークロノグラフ
スイスの時計・ムーブメント製造メーカー・レマニア(Lemania)。
レマニアは一般的にはあまり知られていませんが、時計マニアの間では「隠れた名ブランド」として有名です。
どれだけの名ブランドなのかと言いますと、例えばムーブメントで見ますと、「世界三大時計ブランド」と呼ばれるヴァシュロン・コンスタンタン・パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲにも採用されていて、オメガ「ムーンウォッチ」に搭載されて月面にも到着しています。
そして時計完成品で見ますと、レマニアは精巧なミリタリー・クロノグラフを手掛けており、特にイギリス国防省向けに長年時計を納入していました。
そんな輝かしい歴史を持つレマニアですが、その社名はもう存在しません。
レマニアがたどった数奇な運命、そしてそのミリタリー・クロノグラフの魅力について、紹介させていただきたいと思います。
レマニアのはじまり
まずは、レマニアの歴史から。
レマニアの歴史は1884年、ジャガー・ルクルトで修行を積んだアルフレッド・リュグランという時計職人がスイス・ジュウ渓谷のル・サンティエに工房を構えたことから始まります。
工房はその後、ル・サンティエのすぐ近くの小さな町、ロリエント(l'Orient)に移転されました。
当初は「リュグランSA.」という社名でしたが、1930年ごろから「レマニア Watch & Co.」という名前を使い始めています。
SSIHーレマニア・オメガ・ティソの提携
1932年、レマニアはオメガ・ティソの提携に加わり、この3社でSSIHというグループを結成しました。
創業当初からクロノグラフ・ムーブメントに力を入れていたレマニアですが、この時期には数多くのミリタリークロノグラフも手掛けました。
1946年、レマニアはキャリバー2310というムーブメントを開発します。
このムーブメントはオメガ・キャリバー321のベースとなり、オメガ・スピードマスターに搭載されました。
オメガ・スピードマスターは、NASA(アメリカ航空宇宙局)が当時取り組んだ月への有人宇宙飛行を目指す「アポロ計画」に使用された時計です。
1969年、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した時、宇宙飛行士にの腕につけられていたのはスピードマスターでした。
つまり、レマニアのムーブメントは宇宙に飛び立ち月面での作業にも耐えられるほど頑丈で精巧だと証明されたのです。
しかし1970年代になると「クオーツショック」の影響でSSIHの経営は悪化していきます。
レマニアは安いクオーツ時計に対抗しようと、低価格ムーブメント・キャリバー5100を開発しました。
その努力も虚しく1981年、レマニアは時計メーカー・ピアジェグループに売却され、「ヌーベル・レマニア(『新しいレマニア』の意味)」に社名を変更しました。
ヌーベル・レマニアとホイヤー
ピアジェ・グループは1982年にタグ・ホイヤーの前身・ホイヤーを買収します。
こうしてヌーベル・レマニアとホイヤーの結び付きができ、ホイヤーの時計にレマニアのキャリバー5100ムーブメントが搭載されるようになりました。
しかし1985年、ホイヤーは中東の投資家グループ・TAGに売却され、タグ・ホイヤーに社名を変更します。
次第にタグ・ホイヤーとの関係は薄れていき、レマニアのムーブメントは採用されなくなっていきました。
ヌーベル・レマニアとブレゲ
1992年、ヌーベル・レマニアは中東の投資家グループ・インベストコープに買収されました。
インベストコープはそれ以前の1987年にブレゲを買収、ブレゲ・グループを構築していました。
こうしてヌーベル・レマニアはブレゲ・グループの一員に加わることになりました。
レマニアからマニュファクチュール・ブレゲへ
1999年、インベストコープはブレゲ・グループをスウォッチ・グループに売却します。
レマニアは、SSIH時代のパートナーだったオメガ、ティソと再び同じグループに入ることになったのです。
スウォッチはキャリバー5100のグループ外への供給を中止、ジンなどの時計メーカーはこのヌーベル・レマニアのムーブメントを使うことができなくなりました。
ヌーベル・レマニアはスウォッチ傘化となりましたが、グループ内のムーブメント製造メーカー・ETAと立ち位置がダブってしまいました。
それに、スウォッチが目指していたのはブレゲのブランド再興であり、ムーブメントの強化ではありませんでした。
そうした理由から、スウォッチはヌーベル・レマニアを「マニュファクチュール・ブレゲ」という社名で「ブレゲのムーブメント部門」と位置付け、「ブレゲの時計は『自社』開発したムーブメントを搭載している」というセールスポイントを作り出したのです。
こうして「レマニア」の名前は姿を消してしまいました。
しかし、その伝統は「マニュファクチュール・ブレゲ」に脈々と受け継がれています。
「マニュファクチュール・ブレゲ」は今もスイス・ジュウ渓谷のロリエントに工場を構え、精巧なムーブメントを製造し続けています。
レマニアのミリタリー・クロノグラフ
さて、次はレマニアのミリタリー・クロノグラフについてです。
ムーブメントの開発・製造に力を入れていたレマニアですが、イギリス、スウェーデン、南アフリカなどの国々に軍用クロノグラフを収めていた時期があります。
特にイギリス国防省とのつながりは長く、1940年代から1970年代にかけてイギリス海軍・空軍向けのクロノグラフを製造していました。
1940年代から1960年代にかけて製造されたイギリス軍向けモノプッシャー・クロノグラフは、年代別にシリーズ1、シリーズ2、シリーズ3の3つに分類されています。
モノプッシャーとは、クロノグラフ(ストップウォッチ)を操作するプッシャーが1つしかないモデルのことです。
2時方向のプッシャーを1回押せばクロノグラフが作動し、もう1回押せば停止、さらにもう1回押すとリセットされる仕組みになっていました。
空軍、海軍航空隊、原子力潜水艦部隊など納入先によってダイアルの色もブラック、シルバー、ホワイトとバリエーションがあり、ケースもステンレス製ではなくチタン製のものもありました。
シリーズ1とシーズン2には金メッキの施されたキャリバー15CHTが搭載され、シリーズ3には衝撃吸収装置・インカブロックが追加されたキャリバー2220が搭載されています。
シリーズ3のダイアルにはイギリスの官有物であることを示す「ブロードアロー」の下に「INCABLOCK」の文字がプリントされていて、キャリバ-2220が搭載されていることを示しています。
ただ、ムーブメントの切り替え時期にズレがあったり、イギリス国防省に返納されるたびに手の加えられた時計も多いため、シリーズとムーブメントの関係性には例外もあるようです。
針、アワーマーカー、数字の12と6にはもともと、蓄光塗料としてラジウムが使用されていました。
しかし、1960年代になると、放射性物質であるラジウム塗料の塗られた時計を大量に保管するのは危険だとして問題視され、同じ放射能物質でもより危険の少ないトリチウムに塗り直すことが決められました。
塗り直された時計のダイアルには、トリチウム塗料が使われていることを示す「丸T」マークが加えられました。
初期のシリーズ1にはラジウム塗料のまま残っているものもあり、ダイアルには「丸T」マークも「LEMANIA」のロゴも印刷されていない、非常に珍しいものになっています。
蓄光塗料についてさらに言うと、原子力潜水艦部隊用のクロノグラフには、ミリタリー・クロノグラフに必須の蓄光処理が施されていません。
その理由は「放射能」。
蓄光塗料に使われたトリチウムも放射能物質だったため、原子力潜水艦に設置された超高性能の「放射能漏れ検出装置」を誤作動させてしまう可能性があったのです。
トリチウムを使用していないためダイアルの「丸T」マークは消され、視認性を高めるためにホワイトダイアルにブラックのアワーマーカー/数字がプリントされました。
シリーズ1とシリーズ2は左右対象の丸型ケースで、ケースサイズは38mmでした。
それに対してシリーズ3は竜頭とプッシャーを守るために左右非対称のケースが採用され、ケースサイズも40mmと少し大きくなりました。
その後イギリス国防省の使用が変わり、レマニアは1975年から1976年にかけて、ダブルプッシャーのクロノグラフを納入しました。
2時方向のプッシャーを押せばクロノグラフをスタート/ストップでき、4時方向のプッシャーを押せばリセットできる仕組みでした。
ムーブメントに採用されたレマニアのキャリバー1872は、毎時21,600振動、18石で48時間パワーリザーブ付きでした。
このクロノグラフは1975年に250本、1976年に250本の計500本しか製造されておらず、稀少なクロノグラフとなっています。
レマニアがイギリス国防省向けにクロノグラフを納入したのは、このダブルプッシャー・クロノグラフが最後でした。
コレクターの間で非常に人気の高いレマニアのミリタリー・クロノグラフ。
レマニアが今はもう存在しない会社だということも、その魅力を高めているのかもしれません。