機械式時計・手巻き時計 ジラール・ペルゴ~世界で初めて腕時計を量産したブランド~

ジラール・ぺルゴ(Girard-Perregaux  略称GP)は、スイスのラ・ショー=ド=フォン

に本社を置く時計メーカーです。

現在はLVMH、リシュモンと同じくファッション業界大手のケリンググループに属しています。

同グループはグッチ、同じ時計ブランドではユリス・ナルダンを保有していることでも有名です。


ジラール・ペルゴは創業してから一環として、自社製造にこだわる

数少ないマニュファクチュールとして名を馳せています。

自社製造を創業以来貫いているブランドには、ロレックスがひとつあげられるでしょう。

ただ、ジラール・ペルゴとロレックスの大きな違いは、ジラール・ペルゴには

嗜好品としての機能がより多く搭載されているところでしょうか。

たとえば、ロレックスは「実用時計」として、オイスターケース、デイトジャストとしての

機構は充実していますが、ミニッツリピーター、トゥールビヨン、永久カレンダー、

スプリットセコンド・クロノグラフなどの複雑機構を備えた時計はありません。

その点、ジラール・ペルゴには「嗜好品」として、そういった美術的価値のある

複雑機構を備えた時計も発表されているのが特徴です。
また、そういった上にあげたような、グランド・コンプリケーションの条件になるような

超複雑機構を有さない、もっと手軽に私たちが手にすることのできる時計が

あるのもジラール・ペルゴの魅力のひとつです。

値段は40万円代で手に入るものもあるので、時計初心者が

初めて買うのにも適した時計ブランドのひとつです。
実は日本で初めてスイス時計を販売したのも同ブランドです。

日本の時計文化がより浸透したのには、同社の活躍があってのことだったのです。

■歴史
1 ジャン・フランソワ・ボット
ジラール・ペルゴは様々な代表的人物が絡み合って、形成されたブランドです。

その絡み合った紐のひとつひとつをほどいていくと、歴史は1791年にまで遡ります。
ジラール・ペルゴの源流はジャン・フランソワ・ボットというひとりの時計職人にあります。

1772年、あまり裕福ではないジュネーブの労働階級の家にジャン・フランソワ・ボットは誕生します。

しかし幼くして孤児となった彼は、12歳から職人の世界に飛び込み、

ケース組立師、宝石、金銀細工師、時計師といった様々な技能を習得していきます。

弱冠19歳の時には自分で時計を製造するようになり、マニュファクチュールの原型となる

職人の集団を形成するようになりました。

彼はそこで大きな成功をおさめ、ヨーロッパ、トルコ、インド、中国と販路を広げました。

バルザックやデュマといった歴史に名を遺す文豪たちも彼のことを記しています。

1837年に亡くなったあとは、ジャック・ボットとジャン・サミュエル・ロッセルへと引き継がれました。

そして彼の功績をたたえた人々は、彼の墓碑をジュネーブのプレンパレ墓地に建立し、今でも同墓地に残されています。

2 コンスタン・ジラール
もうひとつの源流はコンスタン・ジラールにあります。

コンスタン・ジラールはその名のとおり、ジラール・ペルゴの名前の由来となった人物です。

1825年、ジュラ山脈に位置するラ・ショー=ド=フォンに誕生した彼が時計職人になるのは、

同地に生まれた人間の運命なのかもしれません。1852年ジラール&シー社を設立、

その2年後、ル・ロックルで同じく時計業の一家の娘、マリー・ペルゴと結婚しました。

そして1856年、二人の名前を組み合わせ、ジラール・ペルゴ社が誕生しました。
1880年ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の依頼でドイツ海軍のために、

ガラス面を格子で覆った腕時計を2000本製造。

この時代には腕時計は時期尚早でしたが、最も早く腕時計の量産をした

ブランドとして歴史に名を遺す結果となりました。

彼は1889年のパリ万博にてスリー・ゴールド・ブリッジの

トゥールビヨンを発表し、金賞を受賞。

これがジラール・ペルゴ社のマスターピースとなりました。
その後、義弟のアンリ・ペルゴ、ジュール・ペルゴとともに南北アメリカ市場にも進出、

同じく義弟のフランソワ・ペルゴは1859年シンガポールに赴き、

翌年の1860年来日、日本国で初めてスイス時計を発売しました。

こうして、ジラール・ペルゴ社は社名を世界に広げていきました。

3 オットー・グラエフ
ジラール・ペルゴ社は1906年、コンスタン・ジラールの後を継いだ、

コンスタン・ジラール=ガレがボット社を買収しました。

1と2で紹介した二つの源流が初めて一本になった瞬間です。
それから22年後、ドイツの時計職人、オットー・グラエフが創業した

ミモ社がジラール・ペルゴ社を買収、その後急速的に世界に販路を増やしいきました。

1940年代には本格的にアメリカ市場にも進出。現在も残るモデル、シーホークで人気を博します。

オットー・グラエフ自身は1948年になくなりますが、1970年代にはセイコーと

時を同じくして世界初のクオーツ時計を発明しました。

しかし、セイコーが開発した日本式のクオーツによるクオーツショックは

すさまじく、甚大な影響をジラール・ペルゴ社も受けたのでした。

4 ルイジ・マカルーソ
ジラール・ペルゴはクオーツショックに対抗するべく、

他のスイス高級時計ブランドと同じく、機械式時計にその反撃の可能性を見出します。

1992年自動車レーサー兼実業家のルイジ・マカルーソが経営権を任されると、

フェラーリ社との提携をはじめとして、着実に成長、高級時計ブランドとしての

確固たる地盤を築き上げるまでに復活しました。

■代表モデル
・オート・オルロジェリー
複雑機構を有し、ラグジュアリー感に満ちた、ジラール・ペルゴの中で最も高級なラインです。

特に、コンスタン・ジラールがパリ万博で金賞を受賞したマスターピースである

スリー・ゴールド・ブリッジ・トゥールビヨンをモディファイした腕時計型の

スリー・ゴールド・ブリッジ・トゥールビヨンは、ミニッツリピーターも搭載した、

グランド・コンプリケーション。価格は4000万以上する超高級腕時計となっています。
・ヴィンテージ1945
アールデコ調のクラシカルな形をしたラインです。シンプルな顔つきなので、

どこにでもつけていけるモデルです。

価格も記念モデル等でなければ、40万円代で手に入るものも多くあります。
・ジラール・ペルゴ1966
1966年、ジャイロマティック技術を利用し、毎時36000回振動する高振動ムーブメントを搭載しました。

これにより時計の精度が高まりました。

このコレクションは1966年に開発された時計のオマージュとして誕生したラインなのです。

超薄型ケースにその技術が込められているため、とても華奢な時計です。
・ホーク
ホークシリーズは防水機能などを有したスポーツコレクションです。

頑丈なケースでムーブメントは覆われ、ごつごつとした無骨な印象を与えます。
・トラベラー
トラベラーはムーンフェイス、GMT機能、ワールドタイマーなどを搭載した、その名のとおり、

世界を股にかけて活躍する人にピッタリなコレクションです。

見た目も他のブランドの同じようなコレクションと比べて、おとなしい印象があり、

値段も40万円ほどで手に入るものがあるのも特徴です。

・キャッツアイ
女性のためのコレクションです。オーバル型のシェイプからその名がついています。

その丸みは女性らしい柔和な印象を与えるのとともに、ダイヤなどをあしらった

ケースからは大人の女性にふさわしい気品に満ちています。

ジラール・ペルゴは自社による生産をやめない貴重なマニュファクチュールであり、

今も新しいムーブメントを作り続ける希少な技術革新者なのです。

是非みなさんもその心意気に触れてみてはいかがでしょうか。