英国の高級陶磁器ブランド、トスカナ・テーブルウェア(Tuscan Tableware)ってどんなブランド?
トスカナ・テーブルウェアは、イギリスのスタフォードシャーで、1878年、R.H.プラントによって設立されました。
スタフォードシャーの記録によると、プラントファミリーは最低でも1775年頃より陶芸家として活動していました。
1780年に生産されたマークが付いている水差しと、白い艶加工の籠があります。これらはベンジャミン・プラントによって製作されたものです。
1775年の同一人物による日記は個人蔵として保管されています。
その几帳面な仕事は、ベンジャミンがいかに作品の光沢や他のディテールにこだわったかを示し続けています。
トスカナ・テーブルウェアの個性的な歴史の内部です。
彼らのブランドは1967年に、親会社のウェッジウッドに買収されるまで、トスカナとして知られていました。
ウェッジウッドはマーケティング戦略として、ロイヤルをブランド名に足しました。
何故、ウェッジウッドは、このような小さな、あまり世に知られていない、家族経営の企業を買収するために必死になったのでしょうか?
トスカナ・テーブルウェアを素敵にしたスージー・クーパー
トスカナは、すでに素晴らしいメーカーでしたが、スージーはそれを更に格好良くしました。
1950年代、陶磁器のシェアを広げたかったスージー・クーパーとの合併で、トスカナは卓越した存在として有名になりました。
しかしながら、今までの家族の名前ではなく、名声を得ていたスージー・クーパーのようではなく、企業はクーパーとの合併のずっと以前から、ストークオントレントではとても名の知れたメーカーでした。
彼らは、兄弟、そして数多の子孫が経営に関わることによって順調に経営を行っていました。
リサーチ部門、製品部門が、彼らの強い企業精神において良い働きをしていました。
これはいつでも良いサインです。
1950年代、彼らは二つの特筆すべき、技術面での成長を遂げました。
一つは、とても高品質で、ホテルウェアにぴったりの、陶器、メタライズド・ホテル・チャイナです。
この陶器はとても丈夫で壊れにくい耐久性を持っていました。(技術者でアート・ディレクターだったJ.B.クラークにより発明されました。)
また、ほのかなピンクの色合いの陶器素材、ピーチ・ブルームもありました。
ウェッジウッドは、1967年にトスカナ、スージー・クーパーの両方の名前を買収しました。
評価の高い、アイコン的なデザイナー、クーパーに代わって、すぐに顔のないボス達が企業を運営するようになったため、彼らは彼女のアイディアのほんの一部しか、店先に送り出すことしかできませんでした。
誰もいない船舶
悲しい事に、このような大きな企業によくあるように、満タンの大口を叩く人々と、誰もいない船舶が、大きな不快音を生み出します。
当然、真の才能のある人物であるクーパーのような人々は、その気まずい環境に息苦しくなり、彼女は、わずか四年で耐えられなくなり、ディレクター職を辞任し企業を去りました。
業界で、デザインに関わる身としては、何度私が、中間マネジメントにおいて、クリエイティブが息苦しくなる姿を見たかわからないほどです。
2009年、ついにUKの陶器産業が、終わりを迎えたことに、私は何も驚きませんでした。
しかし、彼女は一体どんな人物だったのでしょうか?なぜスージーは、彼女の一生の中で有名になったのでしょうか?
思慮深いリーダー
単刀直入に言うと、クーパーは『思慮深いリーダー』で、熱心なデザイナーでした。
彼女はまた、素晴らしいビジネスウーマンで、企業家でした。
繰り返しになりますが、陶器の業界で成功した企業を調べている時、筆者は繰り返しこの同じパターンを見ています。
ビジネスにおけるボスとは、人や物を動かし責任を取れる人物は、決して単なるビジネスパーソンや、マネジメントエグゼクティブではなく、中心にあるものは"クリエイティブ"であり、最低でも流行の先端のさらに前にいるような、自社のデザイナーチームを統括、指揮できる人物です。
理由は、陶器業界におけるビジネスというのは、単なる物を売る商売ではなく、"アート・ビジネス"だからです。
どうやってそれを行わなかったのか
どれだけ優れたデザイナーかどうかは問題ではなく、彼らが署名をした、特別なコレクションのいくつかのパターンや型は、企業全体でけっして除かれることはありません。
これは、企業が生き残ることを目的に、デザインに対する献身さの真のパワーを持つというよりも、デザイナーがポートフォリオに新しい物を加え収入に繋げるためです。(チリン!どうもありがとうございます!)
ですから、スージーは多くの美しく革新的なアイディアの供給を絶え間なく続けたと同時に、素晴らしいビジネスウーマンであった、非常に良い例です。
真のアーティスト
彼女は単にトスカナ・テーブルウェアに名前を貸したわけではありません。
彼女は彼らの専門知識と規模を、彼女のアートを表現するために必要としていたのです。
陶器の世界から引退し、愛するマン島へ旅立ちました。
しかし、その後10年以上に渡って、素晴らしく価値のある、非常に質の高い絵画作品を残しました。
私の言いたいことが皆様に伝わっているといいのですが。
彼女に会ったことのある人は、精力的に押し進むようなエグゼクティブタイプには全く見えない、と言います。
彼女は小さく、静かに話す人物で、彼女の作品が上手くいくように、真の心遣いを持った人物でした。
しかし、私にとって神の様な存在である、彼女は全てきっちりやり遂げました。
精力的に押し進むタイプのエグゼクティブはぜひメモを。
トスカナ・テーブルウェアは非常に幸運でした。彼女が彼らのドアを叩いたのですから。