シルバーポットの意外な役割と紅茶とコーヒーでおもてなしする歴史

1860年、ニューヨークの子供向けの雑誌に『Tea』というタイトルの記事が載せられました。

記事の中では紅茶と緑茶の価値が比べられていましたが、作者はこう締めくくっています。

「紅茶も緑茶もすごい力を持っている。人と人とを繋ぐことができるんだ。お茶を飲みながら人はいくらでも話し続ける。世界中のお茶の席で、どれだけの噂話がされてきたんだろう。

これってお茶の力なんだ!なんてことだ!すごくワクワクしない?」

 

この著者が述べたように紅茶やコーヒーは単に喉を潤すだけのもではなく、人間関係を築き上げるうえで社会的な役割を持つということがわかります。

もしそこに、素敵な食器類とおもてなしの心が備われば、そこに集う人々にとって過ごしたその時間はとても有意義なものになるに違いありません。

 

写真のオーフ&シェパードのシルバーポットは土台となる脚の部分からポットの蓋にいたるまで、植物をあしらった細工が施されまさに人々の談話の席を盛り上げる力を持っています。

多くの人々が囲むテーブルの中心にあっても見劣りをしない豪華な成り立ちは、お茶の時間を優雅に演出してくれます。

※オーフ&シェパードのシルバーポット

 

オーフ&シェパードのシルバーポット

 

その場にいる人を芸術、そして社交の世界へと導くこのシルバーポット。
アメリカ芸術の流行を余すところなくとらえており、使っているだけで持ち主のセンスがテーブルに溢れます。持ち主を洗礼された上流階級に見せてくれる一品です。
 

 

シルバーポットでセンスを見せる

 

銀細工師のエドガー・M・オーフとジョージ・L・シェパードがこのシルバーポットを制作したのは、1852年から1861年の間とされています。2人の作ったシルバー製品は、アメリカで権威を誇る小売業者ボール・ブラック社を介して販売されました。

銀製品が広がりをみせる中で、それを扱う人々の生活も大きく変化の時を迎えることになります。銀製品を使用する者は、ポットや湯沸かし器、そして砂糖容器や紅茶の出がらしを入れる器など日常的に使う器を選ぶ際には、非常に慎重にならなければなりませんでした。
というのも、シルバー製品は合金製品や陶磁器と比べてみるとはるかに値が張るからです。壊したり、傷つけたりしたりては大変です。
 

職人による素晴らしい細工が施された銀は多種多様なデザインを再現するのに最適な素材でしたが、貴金属であるために、高級なシルバー製品を購入できるのは上流階級であるほんの一部の人々に限られていました。
 

映画音楽などで活躍したアメリカの作曲家バーナード・ハーマンは、『センス』について次のような考えを持っていました。

「センスというものは、社会的つながりと社会的格差の両方において特権を得るためにモノを使って示される。その際重視されるのは、『美、卓越、適合性、礼儀作法』であり、各要素は美的感覚、階層性、機能性、社会的価値を象徴したものだ。」


いかに素晴らしいものを選びもつことができるかはセンスによるもので、所有するシルバー製品の質やデザインにそのセンスがでると考えていたと思われます。
 

センスの良さをアピールするにはオーフ&シェパードのシルバーポットはまさに理想的とも言える素晴らしさを持ち備えています。
 

人は、自分を取り巻く環境である部屋の内装や庭の装飾など、所有するものに合わせて自分の振る舞いを変えます。つまりセンスのよいものを持つことは自信の立ち居振る舞いに影響を与えることになるので、オーフ&シェパードのシルバーポットのような素晴らしいものを持てば、自ずとセンスがみにつくわけです。
 

話の中心となるシルバーポット

 

民俗学を研究しているジェラルド・ポシウス教授によると、噂話には3つの特徴があるそうです。
それは、目新しさ、競争性、そして関連性の3つです。

オーフ&シェパードのシルバーポットはハーマンの述べたセンスの要素をすべて満たしている作品です。
自然をテーマにして詳細に描かれた枝や花の凝ったデザインが、人々の美的感覚に訴えかけます。バラや朝顔といった花々が渦を巻き、絡み合う様子が際立つボディは、滑らかに磨かれた部分も見られ、絶妙のバランスをとっています。
職人の技が光るのは取っ手の付け根部分ですが、継ぎ目がほとんど分からず、接合に使われる合金はポットをひっくり返さなければ見えないようになっています。
 

各パーツはどれも手を抜くことなく繊細に作られています。
ぐるりと曲がる取っ手は細く、見た目の美しさに重点をおき、丈夫さや実用性を重視して作られてはいません。そのため、ポットは慎重に取り扱う必要があります。
よく磨かれた表面は今も昔も変わらず光り輝き、のぞき込めば自分の顔がはっきりと映るほどです。

こちらのポットは、銀の純度の高いスターリングシルバーで作られています。メッキの施された銀や卑金属とは比べようのない大変貴重なものです。(卑金属とは貴金属ではない金属のことで、鉄や鉛などのことです。)
機能性の観点からいえば、銀メッキや鉄、アルミなどの卑金属を使う選択肢もあったのでしょうが、銀の美しさに代わるものはありません。
 

シルバーポットを使用する際は大きさも重要で、お茶会やディナーの席に着く人々にとって、テーブル上のポットがお喋りの邪魔になってしまっては元も子もありません。
 
またシルバーポットの役目は、飲み物を提供するだけではなく、飾っているだけで十分に裕福さをアピールする役目も果たしています。
社交の場においては、美しいポットを使って温かい飲み物を提供することで、主人の丁寧なおもてなしの心を客人に見せることが出来ます。
 

このシルバーポットは大変高価なもので通常はポット単体でなく、4~5つのシルバー製品をセットで購入していたため、購入時には入念に検討を重ねる必要がありました。セットの中で一番価格の低かったものでさえ、当時のニューヨークの一般家庭の年収を上回っており、どんな贅沢品よりも高価な代物だったのではないかと言われています。
 

銀製品を購入すると、初期費用はもちろん掛かりますが、それ以降も維持費が必要です。このシルバーポットは上流の家庭向けに作られ、販売されていました。
 

 

この絵はシーモア・ジョセフ・ガイによって描かれた油絵『ブーケの取り合い』です。

※「ブーケの取り合い」シーモア・ジョセフ

「ブーケの取り合い」シーモア・ジョセフ

資本家でメトロポリタン美術館の財団管理委員を務めたロバート・ゴードンの妻と子供たちを描いているのですが、絵の中にシルバー製品が描かれているのが見えます。
 

絵の中にはシルバーティーポット、クリームポット、紅茶沸かしなどが並んでいます。

これらのシルバー製品を取り囲むように壁に飾られている約25枚もの絵画、テラリウム、本、そしてシャンデリア。

家庭内に自分のセンスで選んだシルバー製品を集め飾っていたのは、彼の故郷ロンドンも含め、国境を越えて大切にされるおもてなしの慣習に影響されていたと思われます。


シルバー製品を所有している家庭は何らかの出資をしている場合が多く、職業も記録されていました。中には壁紙製作社や土木技師という記録もあります。

高級木材製の家具ほどではありませんが、鑑定士により、当時のシルバー製品にはかなりの高い価値が付けられていたようです。

こうした財産目録のようなもの中には、先立つ夫が家財のシルバー製品を妻に与えることを遺言したことも書かれていました。オーフ&シェパードのシルバーポットは遺産として認めるにふさわしく、すべて未亡人に残されていたと思われます。
 

フィラデルフィアに残っていた家財一覧表を見ても、ニューヨークのシルバー製品の流行がわかります。
フィラデルフィアの家財一覧表にはシルバー製品が少なく、あったとしても銀の含有率の低いものが目立ちます。さらに銀製の食器のコレクションよりもスプーンや腕時計など小さめのものが多く見られました。

そうした銀製の小物は、高いものだとストーブと同じくらいの価値がつけられていました。机や本棚と比べると、その半分くらいの価格です。
 

銀細工師 オーフ&シェパード

 

エドガー・オーフとジョージ・シェパードは、1852年頃に小売業者ボール・ブラック社向けにシルバー製品を制作するため、コンビを組み1860年頃までシルバーポットを製造していました。
オーフ&シェパードの工房は大きくも小さくもなく、約25人を雇っていましたがそのなかには、シルバーポットの表面装飾をする専門の彫金師もいたそうです。

ジョン・チャンドラー・ムーアが1850年にボール・トムキンズ&ブラックのために制作したティーケトルの取っ手には木の枝のようなデザインに葉の装飾が施されていますが、これはオーフ&シェパードのシルバーポットとよく似ています。制作費の削減のため、よいデザインを使いまわす工房も多くありました。

 

オーフ&シェパードのシルバーポットの精巧なデザインは、19世紀初頭から人気を集めていたボルチモア形式に似ている点が多くあります。

表面全体にルプッセで打ち出された花々と渦巻き模様は、このボルチモア形式の大きな特徴の一つです。渦巻き模様や自然をテーマにした花模様は、壁紙や布製品にもよく使われていました。


ボルチモア形式で有名な銀細工師といえば、ピーター・ルレとアンドリュー・エリコットですが、サミュエル・カークの工房も1820年代から精巧なルプッセ装飾を創出し、『ボルチモア・シルバー』と呼ばれる花と渦巻きの装飾で評判を得ていました。サミュエル・カークが制作した湯沸かし器は、後のオーフ&シェパードのシルバーポットに明らかに通じるものがあります。

※ボルチモア・シルバー

ボルチモア・シルバー

 

取っ手の曲線の描き方や花や葉の入り組んだ細かい装飾はまさにオーフ&シェパードの得意とするものです。このような精巧なデザインの流行はニューヨークに始まり、フィラデルフィアなど各地に広がりました。
フィラデルフィアでも、オーフ&シェパードのシルバーポットとほとんど同じような木の枝を模した取っ手をもつ水差しが見つかっています。


※オーフ&シェパードのシルバーポット

オーフ&シェパードのシルバーポット

 

ニューオーリンズでは、ドイツ出身のアドルフ・ヒンメルが、オーフ&シェパードのデザインによく似た作品を作りました。ロココ式を取り入れ、植物の描かれた軽やかな印象のシルバーポットです。

※オーフ&シェパードのシルバーポット

オーフ&シェパードのシルバーポット

 

シルバー製品の市場は競争が激しく職人たちは、世界の流行にも見劣りしない高品質の商品を作り出すために、世界の事情に精通したパトロンに気に入られようと躍起になっていました。
ボール・ブラック社はデザインの流行に乗るだけではなく、万博に自社の製品を展示するなどして自ら流行の波を作りだしました。

 

1852年、ロンドンの水晶宮で開催された万博では、ボール・ブラック社はシルバーとカリフォルニア・ゴールドを使用したティーセットを展示し、ゴールドラッシュで採れた金と洗練されたデザインが注目を浴びました。

間もなくオーフ&シェパードはシルバーポットを制作し始め、彼らの製品はこれ以上ないほどに小売業者の高い評価を受けました。地方と世界の両方の影響を受けた彼らの凝った装飾のシルバーポットは、見る人に強い印象を与え、大変な人気を集めました。

 

 

ブランドショップの始まり

ボール・ブラック社は『宝石商』と呼ばれ、ブロードウェイ247番地にショップを構えていました。

輝かしいブランドショップの立ち並ぶ通りは、いつも住民や観光客で賑わい、大きなショーウィンドウから差し込む太陽の光が、クルミやカエデの木で作られた陳列棚の上の銀食器や金の時計、ダイアモンドに降り注ぎ、美しい商品は一層輝いて見えました。

 

こちらのイラストは、1852年のボール・ブラック社のブランドショップの様子です。


※1852年ボール・ブラック社ブランドショップ

1852年ボール・ブラック社ブランドショップ

 

店先に掲げられた黄金の鷲のシンボルは、社名がマーカンド社であった時期から使われていたもので、誇り高い歴史を象徴していました。

 

オーフ&シェパードのシルバーポットには装飾のされていない部分がありますが、これはボール・ブラック社が所有者のイニシャルを刻印していた場所です。

今はコレクターたちの手によりイニシャルは消されていますが、自身のイニシャルが刻まれたシルバーポットには一層愛着が湧いたのではないでしょうか。

  

紅茶やコーヒーを嗜む

 

シルバーポットは、紅茶やコーヒーを嗜むにあたって大切な要素でした。

ヴィンタートゥール美術館に展示されているオーフ&シェパードのシルバー製品は写真にある5点ですが、もしかすると当初はこれにコーヒーポットも加わり、6点セットで販売されていたのかもしれません。

※オーフ&シェパード(ヴィンタートゥール美術館)

オーフ&シェパード(ヴィンタートゥール美術館)

 

アバディーンのアンティーク販売店ジョン・ベルの広告では、上の5点にコーヒーポットと湯沸かし器も加わった全7点のセットを見ることができます。

 

フォーマルなディナー会では紅茶とコーヒーが同時に提供されるため、シルバー製品はセットで購入されることが多かったようです。たとえフォーマルな席でなくても、シルバーポットは美しいインテリアの一部として、ハーマンの述べた『センス』で客人をもてなしていました。

シルバー製品は、飾り物としても日常的に使うものとしても両方の価値があります。
部屋ごとに記録されたニューヨークの家財一覧表を見ると、銀製品はキッチン用品として分類されていることもあれば、ダイニングルームの欄に分類されていることもありました。これらの違いは、部屋の内装やパーティーの目的などによって生まれたものだと思われます。パーティーに使用しない場合も鑑賞用として飾られ、主人の美的センスや社会的地位を象徴していました。
 

人々の中心にあるシルバーポット

 

1864年、ある小さな町の牧師が何も告げずに町を去ったとき、聖職者たちの間で特別にお茶会が開かれました。

そこでは、牧師が去ってしまった原因を噂し合い、誰がどのようにして誰から聞いたのかも分からない根も葉もない話がどんどん広がりました。

ニュースやゴシップ、噂話をする席では、大都市でも小さな町でも関係なく、テーブル上にはティーポットがありました。ポットは社会活動の中心にいつも存在しているのです。
 

人々の生活のあるところにいつもあったシルバーポットは、時を越え、場所を変えてもその品質と洗礼されたセンスは色褪せることなく、輝き続けているのです。