スイスの高級ブランド ユニバーサル・ジュネーブの最高峰のクロノグラフ時計:トリコンパックス
ユニバーサル・ジュネーブの最高峰の時計:トリコンパックス
ユニバーサル・ジュネーブの時計と聞いて「トリコンパックス」を思い浮かべる人も多いでしょう。
実際ユニバーサル・ジュネーブは古く懐中時計を中心に製造していた時代から複雑時計を得意としていました。彼らの長きにわたる時計作りの歴史の中で得た知識を詰め込んだ時計こそがこのトリコンパックスです。

ユニバーサル・ジュネーブの歴史
はじまり
ユニバーサル・ジュネーブは1894年にユリス・ジョルジュ・ペレ(Ulysse Georges Perret)とヌーマ・エミーユ・デコーム(Numa Emile Descombes)の二人がスイスのル・ロクルに設立した会社です。当時の社名は二人の名前を取って「Descombes&Perret」でした。(その後ユニバーサル社(Universal Watch)に社名を変更しています。)
創業時から二人が広告の中でのうたい文句としていのが「二人の時計師がケース、ダイヤル、ムーブメント、そしてそのほかの部品を提供します。」でした。そして驚くことにその広告の通り、ユニバーサルでは部品のほとんどを自社でまかなっていたのでした。
元々この町は17世紀以来時計産業が大変盛んでした。
この地に伝わる伝説によると、ロンドンから持ち込まれた懐中時計が壊れてしまったとき、ダニエル・ジャン=リシャールという手先の器用な人が修理してみせたそうです。
リシャールはそののち、独学で時計の仕組みを学び、自分で作り始めたことがこの町の時計産業に繋がったと言われています。
ちなみに2009年に隣町のラ・ショード・フォンと共に「ラ・ショード・フォンとル・ロックル―時計製造業都市計画」という名でユネスコ世界遺産リストに登録されました。
さて、話をユニバーサル・ジュネーブの歴史に戻しましょう。
1917年にユニバーサル社は腕時計のクロノグラフを発表しました。
そしてこのタイミングで工場をジュネーブに移転します。
その後1934年に社名をユニバーサル・ジュネーブ(Universal Watch Co Ltd. Geneve)に変更します。
移転の理由は積極的に海外輸出ができるようになるからでした。
彼らの目論見通り、事業は順調に拡大しました。
1929年の世界恐慌をなんとか乗り切ったユニバーサル・ジュネーブは創始者の子供たちの世代になり外部から資本を受けれるようになり、より自由な時計作りに没頭できる環境となりました。
コンパックスシリーズの誕生
1936年にユニバーサル・ジュネーブは自社のクロノグラフに「コンパックス」という名前を付けて発表しました。
このクロノグラフの開発にはクロノグラフ製造を専業にしているマーテル・ウォッチ(Martel Watch Co.)の強力がありました。
これがのちにブランドの名を押し上げた名シリーズへと成長していったのでした。
コンパックスシリーズにはコンパックス以外にも次のようなものがあります。
アエロ・コンパックス
(Aero-Compax:30分と12時間の積算計を持つノーマルタイプのクロノグラフのこと。12時のところにメメントダイヤルがあり、9時位置のリューズで操作する。)

デイト・コンパックス
(Dato-Compax:クロノグラフに日付表示を加えたもの。)

メディコ・コンパックス
(Medico-Compax:医療従事者用の時計。簡易的な脈拍計測機能が搭載されているもの。)

ユニ・コンパックス
(Uni-Compax:30分の積算計を持つ2レジスタークロノグラフのこと。)

1944年にトリコンパックスを発表しました。
技術の粋を結集させたこのモデルは発表後、世界中のファンを魅了しました。
トリプルカレンダーとムーンフェイズとクロノグラフ機構を搭載した、まるでスーパーカーのようなこの時計はユニバーサル・ジュネーブの技術力を余すことなく発揮した名品と言えるでしょう。
さらなる革新、マイクロ―ター
その後もユニバーサル・ジュネーブは新開発を進めていきます。
なかでも1955年に特許を取得したマイクローター機構は革新的なものでした。
この機構は機能性を求めるにつれて大きくなりがちな時計のスリム化を目指しました。
厚みの原因となるローターという部分を機械の中心から外し、小型化。
その小型化したものを機械の中に埋め込むという複雑難儀な技を実現させたのでした。
その後のユニバーサルジュネーブ
しかしながら1970年代に起こったクオーツショックの打撃をユニバーサル・ジュネーブも受けてしまいます。
この打撃によって創業時より受け継いだ企業体系は途絶えてしまいました。
しかし名門ブランドとしての歴史を繋ぐべく、彼らは1980年代からは中東やアジアといった新たなマーケットへ販路を広げたのでした。
本格的なリニューアルが始まったのは2004年です。
この年にユニバーサル・ジュネーブでは多くの人々に愛された名品へのオマージュの意を込めてアエロ・トリコンパックスを限定発売しました。
徹底された技術力に裏付けされた機能性はもちろんのこと、エレガントさを兼ね備えたデザインは「これぞユニバーサル・ジュネーブ!」と言いたくなるような作品に仕上がりました。
ヴィンテージ品のアエロ・トリコンパックス

1970年以前、小型ローターの自動巻き機械時計を手掛けたのはユニバーサル、ビューレン、ピアジェの3社だけでした。
中でもユニバーサル・ジュネーブの時計はデザイン性と造形の美しさが話題となりました。
残念ながら現在日本にはユニバーサル・ジュネーブの正規代理店はありません。
とても貴重なユニバーサル・ジュネーブの腕時計となっているので、この時計と出会う機会があるのであれば、歴史と作り上げた時計師たちの知識と技術力が詰まった作品に触れてみてはいかがでしょうか。
トリコンパックス
トリコンパックスはユニバーサル・ジュネーブのシリーズの頂点といっても過言ではない、素晴らしい複雑機械の腕時計です。そのクオリティの高さと比較的リーズナブルな価格設定だったため、多くの人を魅了した時計は1960年まで製造が続けられました。
トリコンパックスの「トリ」(Tri=3)は搭載された三つのカレンダーを差します。
「30分積算計」と「12時間積算計」を搭載したクロノグラフだけでなく、さらに月、日、曜日、ムーンフェイズを装備しています(ただし月の変更は手動となっています)。これだけの複雑機械が量産されていたことを考えると、ユニバーサル・ジュネーブの技術力と製造力のすごさがわかります。
この当時、クロノグラフのムーブメントは開発はおろか、自社製造することは困難でした。
同じスイスの名門時計メーカー、パテック・フィリップ社でさえムーブメントにはバルジュー社のものを改良して搭載していました。
このような中、ユニバーサル・ジュネーブでは創立者二人が掲げた理念「二人の時計師がケース、ダイヤル、ムーブメント、そしてそのほかの部品を提供します。」を守り通したのでした。

スイスの時計産業の町
ラ・ショード・フォンとル・ロックル時計製造業の都市計画は2009年にユネスコの世界遺産リストに登録されました。
スイスのヌーシャテル州に広がるこの地域は伝統的な時計製造が盛んな町です。また、ラ・ショード・フォンの歴史を感じる街並みは国定文化財にも指定されています。
ラ・ショード・フォンは1780年以降、時計製造の他にレース製造業、金属加工業が盛んでした。大規模火災に見舞われたこの町を再建する際、工場都市として発展していきました。1900年代はじめに機械化された時計工場の影響で、世界の時計生産の55%をラ・ショード・フォンが担っていました。
共に時計製造で有名なル・ロックルはラ・ショード・フォンと比べると小さな町です。しかしこの地に伝わるジャン・リシャールの伝説や、1770年頃にはこの地出身のアブラアン・ルイ・ペルレ(Abraham Louis Perrelet)が自動巻きの懐中時計を開発した歴史からもわかるように時計産業をじっくりと丁寧に育んできました。
ユニバーサル・ジュネーブを愛した著名人
エリック・クラプトン
クリーム時代のクラップトンはトリコンパックスをよく見に着けていたことで有名です。
ジャン・コクトー
フランス人の詩人であるコクトーはユニバーサル・ジュネーブのファンだと公言していた有名人の一人です。彼はユニバーサルの限定モデルの名前を自身の詩の中に登場させたりしています。
また、トリコンパックスではありませんが、ポールルーターというモデルは1940年代スカンジナビア航空のパイロットの公式ウォッチに採用されていました。この時計は1954年に就航したデンマーク、コペンハーゲンとアメリカ、ニューヨーク間の通称、北極ルートに由来しています。