ドイツの高級陶磁器マイセン(MEISSEN)磁器の歴史と窯印(青の双剣マーク)
マイセンの磁器が作られた歴史
マイセン磁器はザクセン選帝侯であるアウグスト強王(Augustas Rex)のスポンサーのもと、ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーによって1709年にドイツのドレスデンで始まりました。
初期のマイセン磁器は、実際にはベトガーせっ器と呼ばれる赤茶色の焼物で、1710年にライプツィヒ・イースター・フェアで初めて販売されました。
同じ年の6月、アウグストの命を受けてマイセンの磁器工場が完成し、ドレスデンからマイセンに生産拠点が移りました。
ベトガーは、白磁の製法を完成させ、マイセンのすべての生産が新しい磁器の製法に切り替わる1713年まで、マイセン磁器製作所から赤茶色のせっ器を引き続き販売しました。
新しい製法と製造プロセスでこのような優れた繊細な磁器を生み出したベトガーは、ヨーロッパ磁器の父と評されています。
増築、改築を繰り返しながら、マイセン磁器製作所は現在も優れたマイセン磁器を生産し続けています。
マイセンの窯印
マイセンは創業当初から、様々な工場と製作者のマークを使用していましたが、有名な双剣のマークは1722年~23年まではマイセンの公式マークではありませんでした。交差した双剣のマイセンマークは、1722年~23年以来今日までずっと、手描きの青い下絵付けのマークです。
そして公式に以下のような変遷を遂げています。
注:マイセンの双剣のマークは、最も贋作や偽造の多いマークのひとつです。
したがって、本物であることを証明する過程における指標とはなりますが、必ず本物であることを保証するものではありません。
したがって、本物であることを証明する過程における指標とはなりますが、必ず本物であることを保証するものではありません。
上の画像のようなくっきりと整ったイラストは、出版用に作成されたものです。
実際のマイセン磁器に見られる手描きのマイセンマークは下の画像のようになります。
- スラッシュ1つ - 1740年から1938年まで絵付けなしで売られた商品、1740年から1938年まで
- スラッシュ2つ - 二級品とみなされた食器、1852年から1870年まで
- スラッシュ3つ - 級外品の商品(焼成時の欠陥を含む)、1852年から1870年まで
- スラッシュ4つ - 最低品質とみなされた商品、1852年から1870年まで
これが実際の、マイセンの品質を表すマークです。
4995ドルの値がつけられた茶器で見つかったものです
販売者の説明では、その茶器セットは非常に優れた品質のマイセンとされており、写真は確かに常人の目には豪華なセットに見えました。
それでもマイセンの基準には達しておらず、そして、マイセンがその茶器を二級品とみなした印がつけられているという記載は説明にありませんでした。
1920年から1930年の間に使われた「公式の」マイセンマークは他に少なくとも2つありました。
マイセンARモノグラム
ARモノグラムは、マイセン工場の創設者である選帝侯アウグスト強王の王室で使用される物のための特別なマークでした。
ほとんどの資料ではARモノグラムの使用は1730年までとされていますが、1733年に彼の後を継いだ息子であるアウグスト三世の王室のために作られた品にも付けられました。
時には王室訪問者のために作られた贈り物に付けられることもありました。
マイセンAFモノグラム
AFモノグラムは、選帝侯フリードリヒ・アウグスト三世王子のためにデザインされた磁器専用で使用されました。
このモノグラムマークは、1733年~1734年に使用されただけなので、マイセンの商品の年代を示す印として信頼できるものです。
*ここでは黒で示していますが、このマークもコバルトブルーの下絵付けのマークです。
M.P.M. - Meissener Porzellan Manufaktur(マイセン磁器製作所) 1722年に使用
K.P.F. - Königliche Porzellan Fabrique(王立磁器工場) 1722年に使用
K.P.M. - Königliche Porzellan Manufaktur(王立磁器製陶所) 1722年以降に使用
1720年以前には、他にも多くの絵付け師、ろくろ師、造形師、製作者のマークがマイセン磁器(及びベトガーせっ器)に使われており、多くの商品に、公式の青い下絵付けの双剣マークと合わせて複数のマークが付けられていました。
画像引用元:arts-antique.com/Meissen_Marks.htm