伝統と革新のベネチアングラス(ムラノグラス) バラリン工房のマエストロの紹介
水の都、ベネチア。
仮面舞踏会に世界三大映画祭、水路を自由自在に進むゴンドラ。
どこか夢世界のようなこの街に彩り添えるのが世界的に有名なグラス、ベネチアングラスです。
写真:定番のお土産品であるベネチアングラスの小物
かつては「アドリア海の女王」という異名を持ち、世界随一の貿易都市だったベネチアで1000年近く受け継がれてきた伝統工芸がベネチアングラスです。
図:ムラノ島の古地図
ベネチアングラスの歴史
ベネチアングラスはイタリア語ではvetro de Murano(ムラーノ島のグラス)と呼ばれています。
ここで少しだけグラスの歴史を辿りましょう。
グラス製造の技法はもともと東方の国から伝わった技術でした。ベネチア共和国が貿易で富を得始めた頃、東洋では吹きグラスの技法がすでに確立され、中東でも同様のグラス製造が行われていたと言われています。貿易を通して海の向こうからこの技術がベネチアに入るまで、実は西洋ではグラス製造は行われていなかったのです。見事な工芸品に惹かれたベネチアの人たちはその作り方も熱心に学んだそうです。
こうして誕生したのがベネチアのグラス職人たちです。
そしてベネチアの職人たちはその後腕を磨き続けました。当時の腕利きの職人たちが作り上げたベネチアングラスは透き通るほどの美しい透明度で西洋諸国の人たちを魅了しました。
なぜベネチアでグラス工芸が発展したのでしょうか?
実は1960年代に見つかった資料によると、ムラーノ島でグラス製造が盛んになる遥か昔、8世紀にはベネチアの島のひとつ、トルチェッロ島で職人が「テッセラエ」という正方形のグラス製品を作っていたという記録がありました。しかもこのグラスはローマ帝国の大浴場のモザイクタイルや教会や有力者の豪邸の装飾として使っていたことが分かりました。
なのでベネチアという土地には昔から、グラス製造技術が根付きやすい基盤のようなものがきっとあったのでしょう。
やがてベネチア共和国はナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍に侵攻され、その歴史にピリオドを打ちます。共和国の終焉と共に残念ながらムラーノ島のグラス工芸も衰退してしまいました。
しかしグラス職人たちは美しい工芸品を作ることをやめませんでした。
その後、ベネチアングラスは人気を取り戻し、街が観光地として発展していく中で街を支える重要なお土産品として製造に勢いが戻ってきました。
その後、ベネチアングラスは人気を取り戻し、街が観光地として発展していく中で街を支える重要なお土産品として製造に勢いが戻ってきました。
ベネチアングラスはその美しさで数多の人を魅了し続けました。
現在ベネチアを訪れる人々の中にはこのグラスを求めてムラーノ島に行く人も多くいます。
人々を魅了し続けるベネチアングラス
では、ベネチアングラスとボヘミアングラスなど他のものとの一番の違いは何か。
ベネチアングラスの特徴はその職人の腕が光る手作業です。色や重さ、形、模様はもちろん、気泡の入り方まで個性が光り、同じものはけして存在しません。
また製法面での特徴を述べるなら、素材に鉛を含まないソーダ石灰を使用している点があります。
写真:ベネチアングラスの壷
しかしベネチア共和国時代、グラスの原材料を自分の国で産出できませんでした。非常に限られた環境下で作られていた貴重な品だったのです。実は共和国政府はベネチアングラスの技術の流出を恐れてた結果、グラス産業を厳しい管理下に置く判断を下したのでした。ムラーノ島に職人を集めたのもその政策の一つです。そのような規制のもと、グラス職に立ちは知恵を絞りマンガンやコバルトの好物を独自配合して色を表現しました。
ベネチアングラスの証
このように大人気のベネチアングラス。
もちろん偽物も残念ながら出回っているのが現状です。1980年以降は観光客が急増して、買い求める人が増えた影響もあり、ミルフィオーレ製品やグラスビーズまで偽物が出回るようになりました。そこで本物のグラス製品の品質を保証するためにガラスメーカー協会はフランス人アーティストのシバウット氏に依頼して表章を作りました。(イタリアの伝統工芸品の表章をフランス人に依頼するという点はなかなか面白いですね。)
画像:Vetro Artisico Murano の表章
この表章には“cana de soffio”というガラス吹きを表す薄紫色のマークがあしらわれています。
この印こそが正真正銘、本物のベネチアングラスである証明なのです。
ではここからは数あるベネチアングラスの工房の中でも特に注目を集めている工房を紹介します。
バラリン工房
ベネチアの小さな職人の島、ムラノ島。
ここでは才能あふれる職人たちが古くから伝わる伝統工芸を受け継いできています。
何世紀にもわたり愛され続けていたムラノ島の工芸品こそ、現在観光客のお土産品、日常を彩るアイテム、そして時にはアート作品として愛されているベネチアグラスなのです。
現在ムラノ島で随一の腕を持つ職人といえばマッシモ・ミケルーツィとジュリアーノ・バラリンでしょう。
バラリン工房の作品はその高いデザイン性から多くのファンがいます。
現在この工房を率いるのはジュリアーノ・バラリン。
1942年生まれの職人です。
ムラノ島のグラス職人の家に生まれたバラリンは幼いころより様々な著名な職人たちからその伝統の技を教え込まれました。彼の師匠には父や祖父といった家族はもちろん、アルビーノ・カッラーラ、フランチェスコ・マルティヌッツィ、カルロ・トッシなどがいます。
1942年生まれの職人です。
ムラノ島のグラス職人の家に生まれたバラリンは幼いころより様々な著名な職人たちからその伝統の技を教え込まれました。彼の師匠には父や祖父といった家族はもちろん、アルビーノ・カッラーラ、フランチェスコ・マルティヌッツィ、カルロ・トッシなどがいます。
写真:ジュリアーノ・バラリン
その才能っぷりを証明するのは彼に与えられた「マエストロ」という名誉ある呼び名でしょう。
ジュリアーノは現在、ベネチアングラスのマエストロの一人として名を連ねています。
ジュリアーノと共にマエストロの称号を持っているのはカッラーラ・アルビーノ、マルティヌツィ・フランチェスコ、カルロ・トッシィ‘カラメーア’がいます。
彼らは世界各国で個展を開き、グラスの美しさを世界中に広めています。
日用品であったグラス製品ですが、彼らの作品は有名美術館の工芸品の部屋に陳列されているほどなのです。
1973年に独立して自分の工房を構えたジュリアーノ。
現在は息子のロベルトと共にグラスを作り続けています。
彼らは独立後、作品の種類を多様化させました。
ムラノに古くから伝わる技術を駆使してランプ、カップ、皿、ボトル、燭台、花瓶、ボウルなどを作っています。
ここ数年、ジュリアーノの名前をより広めた出来事がありました。
ベネチアの職人の栄誉ともいえるプリ・デ・クリスタルを受賞したのです。
これはイタリアのIntstitue of Sciences and Artsが卓越した伝統技術を持つ職人にのみ与えられる賞です。ジュリアーノの伝統技術の中に新たな現代的な表現を加えた作品は「ウォーターマーク」と呼ばれる水紋のような文様があり、独自のすかし細工のようなフィリグリーという表現の素晴らしさは多くのファンを魅了しています。
日用品であったグラス製品ですが、彼らの作品は有名美術館の工芸品の部屋に陳列されているほどなのです。
1973年に独立して自分の工房を構えたジュリアーノ。
現在は息子のロベルトと共にグラスを作り続けています。
彼らは独立後、作品の種類を多様化させました。
ムラノに古くから伝わる技術を駆使してランプ、カップ、皿、ボトル、燭台、花瓶、ボウルなどを作っています。
ここ数年、ジュリアーノの名前をより広めた出来事がありました。
ベネチアの職人の栄誉ともいえるプリ・デ・クリスタルを受賞したのです。
これはイタリアのIntstitue of Sciences and Artsが卓越した伝統技術を持つ職人にのみ与えられる賞です。ジュリアーノの伝統技術の中に新たな現代的な表現を加えた作品は「ウォーターマーク」と呼ばれる水紋のような文様があり、独自のすかし細工のようなフィリグリーという表現の素晴らしさは多くのファンを魅了しています。
ジュリアーノは独自の表現を求め、バラリン工房が伝え続けてきた伝統技法にさらに新しい技術を盛り込むことで、今までのベネチアングラスにはない表現を生み出しました。
洗練されたモダンな印象を与えるシャープな作品からもジュリアーノの特徴をくみ取ることができます。
洗練されたモダンな印象を与えるシャープな作品からもジュリアーノの特徴をくみ取ることができます。
ジュリアーノは工房の職人だけでなく、アーティストとして作品を出品もしています。
1981年にベニス・マートという国際的な展示会で初めて自身の作品を出品しました。
その後、ムラーノ島のグラスミュージアムの展覧会に出品するなど、様々な場所で活躍しているのです。
写真:ジュリアーノ・バラリンのベネチアングラス作品(花瓶)