ドイツの高級磁器ブランド KPMベルリンの歴史

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高度な装飾技術を誇りとし、輝かしい250年以上もの歴史をもつ磁器メーカー。

これがKPMです。

長きにわたって作られてきたため、今日の市場でKPM磁器作品は多くみかけることができます。

KPMの作品は、歴史の中で、様式の移り変わりやその時々の文化から受けた影響などを反映しています。

これらの作品はどれも、ハンドメイドのデザインや品質のみならず、当時のプロイセン王国やザクセンなどとのつながりを感じられるとして高い評価をうけています。

 

ドイツのオークションハウスLempertz所属、装飾美術のスペシャリストであるイングリット・ギルゲンマン教授はこのように語っています。

「今日までの100年で、KPMはモダンなかたちを作り上げました。とても良いデザイナーに恵まれた証拠です。その結果、現在のKPMが誇る他とは違う形、珍しい色合いを生み出すことに成功したのです。」

KPMの歴史

KPMは、Königliche Porzellan-Manufaktur Berlinの頭文字をとったもので、これは『ベルリン王立磁器工場』と訳すことができます。

工場の前の所有者であるヨハン・エルンスト・ゴツコウスキーが破産したことで、当時のプロイセン王フリードリッヒ2世によって買い取られ、KPMが設立されました。

フレデリック2世は、この工場でつくられていた『白き金』、中国の白磁の品質に近い、美しく透明感のあるその磁器を高く評価していました。

彼はこの工場に多額の資金を投資し、さらにエンブレムとして王笏を使用することを許しました。

彼の宮殿で使用するための作品も、ロココ調で作るようにと依頼し作らせました。

 

王立としてのはじまり

1763年の設立から、1918年ヴィルヘルム2世の退位までのあいだ、KPMは7人の王と皇帝によって所有されていました。

このころのKPMの作品は、当時の流行だけでなく、プロイセン王室の好みも反映しています。

1960年代の技術の進歩により、ますます近代的な生産方法やデザインが生まれましたが、それでもKPMはその時その時の風潮や流行に気を配り、ユニークなハンドメイドのデザインにこだわり続けました。

Berlin KPM Porcelain plaque with the royal family
1918年からKPMはドイツの州立となりました。
彼らもまたKPMの伝統を守りつつ、新たな作品を生産しました。
2006年、ベルリンの銀行家であるヨルク・ヴォルトマンはKPMの全責任を唯一の株主として引き受けることで、この歴史ある工場を完全に民営化しました。
その結果、ドイツ全土にセールスギャラリーが開かれ、KPMは世界進出をも果たしました。

KPMのスタイル

ロココ(18世紀初期から中期)

ロココという言葉は、フランス語で「貝」や「岩」を意味する『ロカイユ』からきています。

ロココ調は18世紀初期から中期、フランスで非対称や流線型が好まれていたのと同時期に普及していました。

フリードリッヒ2世はこのスタイルをとても気に入っており、宮殿に飾るための作品を多くKMPにつくらせました。

特に彼は、彼の非常に贅沢な宮殿に見合う、豪華なディナーセットの制作を依頼し、さらに、外交のお土産や贈り物としてもKMPのディナーセットを贈りました。

A large Berlin KPM porcelain platter made for Berlin Palace

新古典主義(18世紀後半)

18世紀後半、フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世の指示のもと、世間の新古典主義を盛り上げる動きにあわせ、スタイルを変化させました。

古代ギリシャ、ローマやエジプトの遺物に影響されたこの新古典主義は、クラシックなデザインと、「純粋なかたち」に触発されたものでした。

特に花瓶は、その遺物たちに寄せられたデザインが高く評価されました。

KPMのデザイナーたちは、新古典主義の流れを大いにとりいれつつも、古代ギリシャ、古代ローマ様式を作品に描きいれました。

KPM 古典主義のカップ&ソーサー

 

アールヌーボー(19世紀)

19世紀、KPMは人気のあるロココや新古典主義の作品を作り出しながらも、新しい、ファッショナブルなデザインを生み出しました。

このころには、この王立の工場はヨーロッパ中に名を知られており、さまざまな分野のエリートがあつまりました。

1878年、KPMは、磁器の研究を専門とする科学技術研究所を設立しました。

そこで作り出された新しい釉薬と色を使い、KPMのアーティストたちはほかにない作品を作り出すことができました。

この技術革命は、新たな、職人技やシンプルかつ豪華なアールヌーボー(ニューアートの意)の発生と同時期に行われていました。

「多くの工場は、19世紀にどのように塗装し、金メッキを仕上げていたかもはや知りません。それだけ当時の釉薬はとても実験的であったのです。」とギルゲンマン教授は語ります。

A small KPM tray with painted views

バウハウス(20世紀)

20世紀初期、バウハウス様式はKPMの磁器生産におおきな影響を与えました。

この様式は、『建築の学校』と訳され、「芸術的に積み上げる」プロセスを重要視し、「手が込んでいるが、シンプル」というスタイルに重きをおきました。

KPMのアーティストたちは、この流行のスタイルを取り入れ、それを作品に反映させ、滑らかで洗練された見た目、機能的な形、そして最小限の装飾でディナーセットを作成したのでした。

ロココ、新古典主義やアールヌーボーのころの作品に比べ、バウハウスのころのものは簡素でミニマリズムなのが特徴です。

KPM バウハウス様式のカップ&ソーサー

KPM マーク

1763年の設立以降、KPMは磁器の底の部分に、いくつかの重要なマークや記号をしるしてきました。

これらのマークは現在、専門家たちがKPMの歴史の中のどの時期の作品であったかを知る手掛かりとなっています。

 

1962年以降、マークはより現代的になり、それに作られた場所の名前がいれられることが多くなりました。

例えば、1980年代にベルリンで作られたものには、“ROYAL PORZELLAN KPM GERMANY.”と記されていることもあります。

 

KPMマーク表

 

KPMマークの見方

「コレクターが作品の真偽を確かめようとするならば、専門家に依頼すべき」とギルゲンマン教授は助言します。

マークをコピーすることが偽物を本物に見せる一番簡単な方法であるため、見極め方を知ることが大切です。

「適当な磁器を手に入れ、そこにマークを入れてみてください。

見方を知らない購入者は購入してしますでしょう。」

マーク 見方
「フリードリッヒ2世の王笏しか記されていないので、KPMのマークはコピーするのはたやすいのだと思わなければいけません。1780年ころ工場での生産量が増加したときさらにマークはずさんなものとなりました。」

しかし彼女は、見る目を養えば複製を見つけ出すことは、難しいことでないといいます。


KPM porcelain mark on the bottom of the writing set of Frederick William IV, around 1840-1860.
KPMは今も繁栄を続けて、フリードリッヒ2世の時代のロココ調のもの、時代を引っ張ってきた多くのデザイナーたちやその間間にあったすべての作品を今も作り続けています。
KPMの起源、華やかな歴史、そして高品質の技術はKPMの成功に大きく貢献しています。
そしてKPMは、マイセン、セーブル、ウエッジウッドとともにヨーロッパを代表する磁器メーカーのひとつとなっているのです。
ギルゲンマン教授は、KPMの作品を蒐集する一つの方法として、「目を引くものがあった時、それに興味をむけ、その作品を手に取りなさい。」と語ります。
「作品が導く先がなんなのか、人は知ることはないのです。」