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再び脚光を浴びるアンティークブローチ
ここ数シーズン、ファッションショーや映画授賞式のレッドカーペットに現れるハリウッドセレブたちの間で、ブローチの人気が高まってきています。
髪の毛にあしらったり、ネックラインや深いVバックを彩ったり、ドレスのウエスト部分や、あらゆるスタイルのジャケットに留めたりと、ブローチはファッションシーンで再び脚光を浴びています。
ブローチはシャネル、ブシュロン、ショーメ、ショパールによる最近のハイジュエリーコレクションだけでなく、アンティークブローチを探している方の関心も惹きつけています。
ブローチを愛用している、今年90歳の誕生日を迎えたエリザベス2世女王の影響や、ジュエリーを単なるキラキラ輝く以上のものと考える新しい世代の女性が、この以前からある装飾品に新たな光を当てています。
しかし、ブローチはジュエリーとして始まったわけではありません。
ブローチは、衣類を固定するために使う機能的で実用的なアイテムとして生まれました。
歴史上最初のブローチは植物のとげと火打ち石で作られていましたが、金属から作られたピンは青銅器時代にまでさかのぼります。
歴史的なアルバート王子のブローチを身に着けた1971年のロイヤルエプソムでのダービーデーのエリザベス女王。 画像:Brian Moody / Rex / Shutterstock
ビザンチン時代にブローチはより装飾的になりましたが、それでも一般的にはスカーフやショールの留め具として着用されていました。
最終的には当時流行したスカーフやショールを留めるものではなく、アクセサリーとして身に着けるためのより精巧なデザインに進化しました。
スタイル、象徴性、思い出のいずれか、またはこの3つすべてに興味があるかどうかにかかわらず、時代を超えたブローチの歴史と魅力をお楽しみください。
喪(そう)のブローチ
ゼストフルヴィンテージのセピア喪用ミニチュアブローチ(ローズゴールド製)
あらゆる形態の喪用のジュエリーと同様に、喪のブローチは死別後、亡くなった愛する人の思い出として着用されました。
喪に服するためのジュエリーは16世紀から存在していましたが、18世紀から19世紀にかけて人気が高まりました。
この時代に喪用のブローチには、さまざまなデザインやディテールがほどこされるようになりました。
ジョージ王朝時代初期には、ブローチはよく遺言で家族や親しい友人に譲るよう書かれていました。
18世紀後半、喪に服するジュエリーのミニチュアが流行しました。
以下の画像のようなガラスで覆われた楕円形のブローチは、象牙に悲しみの風景がセピア色で描かれており、髪の毛とシードパール(涙の代表)が組み込まれることもありました。
ヴィヴィアンのトレジャーワンダーランドのビクトリア朝のシードパールがあしらわれたエターナリーヘアブローチ(15カラット)
裏面には故人の名前と生年月日が刻まれており、時には髪の毛を収納できるようにもなっていました。
また他の広く使用されていた喪のブローチは、亡くなった愛する人の髪の毛を入れ込んだものです。
すべてのヘアジュエリーが死に結びついているわけではませんが、喪のブローチでは髪の毛は永遠の象徴として、クリスタルまたはガラスの下に喪失と涙を表す石と共に埋め込まれています。
喪用のブローチは、ビクトリア女王が20年間にわたってアルバート王子の喪に服していたことから広まりました。
エグレットブローチ(羽飾りブローチ)
Kunsthandel InezStodelのシルバーゴールドとフラットカットガーネットのエグレットブローチ
羽の形をしていて、シルバーまたはシルバーでメッキされたゴールドにフラットカットのガーネットまたはダイヤモンドがセットされたエグレットブローチは、17世紀と18世紀に広まり、そして再び19世紀と20世紀に流行しました。
この時代のブローチの特徴は、小さな鳥が羽の周りを飛んでいる様子など、非常に細かいディテールがほどこされていました。
トレンブラントブローチ
S.J. フィリップスエンのトレンブラントアンティークブローチ。シルバーメッキのゴールドにフローラルスプレーとダイヤモンド
トレンブラントブローチ(En tremblant)は、震える(揺れる)ことを意味するフランス語で、ブローチの形状を表しています。
ほとんどのトレンブラントブローチは、花の中心が着用時に動くようなメカニズムで取り付けられています。
このタイプのブローチは、ローズカットまたはオールドマインカットのダイヤモンド、あるいはその両方がセットされており、電気が登場する前の18世紀と19世紀に流行していました。
ダイヤモンドがろうそくの明かりの中で動くと、美しく輝き印象的な効果がありました。
グランドツアーブローチ
スペアルームアンティークのフォロ・ロマーノのマイクロモザイクグランドツアーブローチ
19世紀後半の文化的洗練を反映し、グランドツアーブローチはバケーションに出かける余裕のあるヨーロッパの上流階級でもてはやされました。
ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマを旅行中に、観光客はこうした小さなジュエリーを旅の記念に購入しました。
グランドツアーブローチには、古代ローマの建築や絵画のシーン、花、動物、鳥が描かれています。
グランドツアーブローチの模様は、主にピエトラデュラとグラステセラの2種類のモザイク象嵌細工で描かれていました。
イタリア語でピエトラデュラは硬い石を意味します。
象嵌細工のプロセスでは、マラカイト、ラピス、アベンチュリン、ターコイズの半貴石をカットしてパズルのように正確に組み合わせることで、黒い背景に情景やモチーフを描き出しました。
マイクロモザイク技法を使用し、象嵌細工のグラステセラまたはロッドをぴったりと組み合わせることで、風景や鳥、あらゆるスタイルの花や花束をミニチュアサイズで作成しました。
カメオブローチ
Bentley&Skinnerのビクトリア朝のパールで囲まれたハードストーンカメオ
カメオ(浮き彫りをあしらった硬い石または貝殻)は古代にまでさかのぼりますが、グランドツアーの思い出の品としても広まりました。
多くの人が、カメオのブローチをビクトリア女王に関連付けています。
ビクトリア女王はカメオを深く愛し、裁判所のメンバーやスタッフにアルバート王子または彼女自身の肖像がほどこされた、カメオを贈ることがよくありました。
しかし、どの時代においても最も魅力的に思われるカメオのブローチは、伝説、神話のシーン、または神々と女神などの物語を描いたものです。
彫刻がほどこされた石の層を見て時代を感じることができるカメオは、硬い石から作られています。
ラブブローチ(恋人のブローチ)
スペアルームアンナのスターリングラブブローチ(1880年頃)
ビクトリア朝後期の耽美主義(たんびしゅぎ)時代の愛のブローチは、銀のシートから作られ、愛情の印としてデザインされました。
ここに描き出されたモチーフとメッセージは、ビクトリア朝時代のジョージ王朝派とロマン派のジュエリーで最初に使用されたものでした。
このようなラブブローチは軽量で、ローズゴールドとイエローゴールドを重ねたシルバーで作られているため、どんな社会階級の人であってもこうした小さな記念品を所有したり贈ったりすることができました。
恋人同士や重ね合う心、家族への思いや関係性、良い知らせなど、あらゆるものを意味するラブブローチは、当時の人たちの情熱を掻き立てました。
一般市民は、ラブブローチを贈ったり受け取ったりすることで、ロマンスを味わうことができたのです。
ドレスクリップ
アールデコ調のダブルクリップブローチ(ダイヤモンド、オニキス、プラチナ)
ドレスクリップは、1920年代と1930年代における新しいスタイルのファッションで着用された斬新なデザインのジュエリーでした。
複数の方法で着用できたため、1つの大きなブローチとして使用することも、背面の仕組みを取り外して、2つの別々のクリップとして着用することもできます。
イブニングドレスのストラップ、ドレスの左右のネックライン、襟、袖口や、靴などに固定したり、2つに分けてハンドバッグに取り付けたりすることもできます。
初期のデコクリップの多くはホワイトダイヤモンドとプラチナでデザインされていましたが、需要が高まるにつれ、他の貴石も多く使用されるようになりました。
20世紀になると、カルティエ、ヴァンクリーフ&アーペル、デビッドウェッブ、ヴェルデュラ、ティファニー、そして多くの有名なブランドが、さまざまなスタイルのブローチをデザインしました。