フランスのエコールドナンシー美術館(エミールガレの美術館)レポート
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ナンシー派美術館で様々なエミールガレの作品に触れよう
今日のこの記事では、フランスのナンシー州(日本で言うところの県)にあるエコールドナンシー美術館に行ってきましたので、そのレポートを解説して参ります。
場所は、パリから結構離れており新幹線で1:30くらい西に進んだところにあります。
意外に思われるかもしれませんが、ヨーロッパの方の美術館は全部ではありませんが、写真撮影がOKなところが多いです。
そして、この美術館も撮影がOKの美術館なので、是非とも一度は足を運んで頂きたい場所ですね。
外観はこんな感じで、美術館というよりはお屋敷と言ったほうが近いかもしれませんね。
正面の玄関を開けると、右側にカウンターがありそこでチケットを購入します。
そして、館内に入って作品を鑑賞していくのですがエミールガレの作品が7割、ドーム兄弟の作品が2割、その他の工芸家の作品が1割くらいの割合で展示してあるので、どちらかと言うとガレがメインの美術館になります。
まず最初にお出迎えしてくれるのが、こちらのドーム兄弟の初期作品になります。
ドーム兄弟の中でも、初期作品に分類されるものであり日本ではなかなかお目見えできない作品が多いのが印象的ですね。
そのまま次に向かっていくと、またドームの作品が展示されています。
これらの作品は、アート作品と呼ばれるものでドーム兄弟が作り上げた作品の中でも、特に手がこんで作ってあるものです。
左から、スノードロップ、中央のグリーンの花瓶が森のスライム、一番右にある黄色いのが蘭の花になります。
さまざまな色の蝶々が飛んでいますが、まだらに見えるこの模様はドーム兄弟が得意としたヴィトリフィカシオンという技法で、溶融中のガラスに上から別の色の子なガラスを吹きかけることでこのようなマダラ模様を生み出し、独特なガラスの質感が生まれます。こちらは水仙の花の花瓶であり、花の部分はアップリケ(下地ガラスの上からさらにガラスを被せる技法)で花弁の輪郭が浮かび上がるように、グラビュールで葉脈が削られています。
こちらはイヌサフランの花の花瓶になります。
色合いも形もとても可愛いですね。
こちらの作品は、日本の書籍でも表紙などで使用されることが多いので、ご存知の方は多いかもしれませんが『フランスの薔薇』になります。書籍では大きさが分かりにくいと思いますが、実際の商品はかなり巨大で高さは45cm程度あると思います。やはり、ガレの最高傑作の1つに入る作品ですので美しさは凄まじいですが、それよりも私の感想はかなりパワーがありましたね。
力を与えてくれるというか、運気が上昇しそうな気持ちにさせてくれました。こちらも有名な作品ですが、表面にはカマキリ、裏面にはセミが描かれた水差しになります。
ひび割れしてるように見えますが、これはアイスクラック技法と言って故意に割れてるように見せるガレの初期作品にだけ見られる技法なのです。
トンボが地面に向かって落ちていってるところが描かれている作品です。昆虫の短い寿命、生命の儚さを花瓶で表現してあり、作品の中に『意味』が込められているガレの代表作品です。
ガレの作品の中でも、激レアのコウモリが描かれた花瓶です。
製造数がかなり少なく、日本でこの作品を展示してあるところは、おそらくないと思われます。
こちらもガレの作品の中で、特に有名な『手』になります。
ガラスで作られたとは思えないほど、忠実に繊細に再現されており生命のパワーを感じることができます。
光の透け具合によって、その表情を変える様子はまさに光の魔術師と言っていいでしょう。
オルセー美術館にも、同じものがあるのですがデザインが少し違います。
オルセー美術館の作品には、貝殻や回想の装飾が施してあり、少し豪華な印象がありますね。
オルセー美術館のレポートが気になる方はこちらの記事もご覧ください↓
こちらは木製の寝具になるのですが、製作者はエミールガレになります。
意外と感じる方も多いと思いますが、ガレはガラスに着手する前には陶器や木を使った作品を多く残しています。
アールヌーボー時代らしく、柔らかな曲線美と昆虫(蝶々)をモチーフに製作されておりエミールガレの木製作品の中でも大型に分類されます。
こちらは木製のテーブルになりますが、日本のデザインにかなり近いと思いませんか?
これはジャポニスムと言って、日本の芸術、美術を取り入れて作られたものになります。
1800年代の中盤から終わりにかけて、日本の芸術はヨーロッパの人々を魅力しました。
そしてそのデザインは、さまざまなところで模倣し取り入れられ作品の中に取り込まれていくことになるのですが、特にナンシーの芸術家たちは『高島北海』という農林水産省で働いていた日本人が技術指導で滞在していたために、その心までをも理解していたと言われています。
高島北海は、役人ではあったものの絵を描くことにも秀でており、水墨画などたくさんの作品を生み出しています。
そして、その日本の芸術やデザインをそのまま直接ガレなどに指導したのでしょう。